党争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 03:27 UTC 版)
度重なる補選の敗北と次期大統領選挙を見据えて、与党ウリ党では金槿泰を中心に、かつて袂を分かった民主党との再統合を模索する動きが活発化した(統合新党論)。盧武鉉は再統合を地域主義への回帰であるとして非難し、長文の手紙を発して党員へ呼びかけた。また、次期大統領選の有力候補と注目されたが、官僚出身で政治家でなかった高建の競争力を弱いと見て事実上大統領選出馬断念に追い込んだ。 ウリ党の親盧勢力も、盧武鉉の意を受けて党を死守するとの立場を見せた。金槿泰らが党の進路を決める全党大会を前に、外部人材の受け入れを妨げるとして基幹党員制の撤廃に踏み切ると、改正手続きに不備があるとして仮処分を申し立て、法院はこれを認めた。ここに至り、ウリ党の現職議員が全党大会を待たずに脱党を始めた。盧武鉉は党の現状を知り、青瓦台に親盧勢力を招いて党の分裂を防ぐように方針転換を促した結果、党憲の改正は改めて議決されたが、現職議員の脱党を完全に押し留めるには至らなかった。 そして2007年大統領選挙の結果、保守の李明博(イ・ミョンバク)候補に政権を譲る。余談に盧武鉉本人は時間が経って歴史が評価してくれることとし、比較的淡々と政権交代を受け入れる。
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