魔女の宅急便 (1989年の映画) 制作の経緯

魔女の宅急便 (1989年の映画)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 07:52 UTC 版)

制作の経緯

カフェ/パン屋さん Porten, ゴットランド島ヴィスビュー
ヴィスビューの街並み

1985年(昭和60年)12月、映画プロダクション風土舎は角野栄子の児童文学『魔女の宅急便』の長編アニメーション化の企画を立ち上げた。「宅急便」がヤマト運輸登録商標であったことから、真っ先に同社にスポンサーを要請した。当初ヤマト運輸は難色を示したが、同社のトレードマークである黒猫が偶然にも物語に登場することから次第に前向きになり、スポンサーになることを了承した[11][12]

1987年(昭和62年)ごろ、風土舎とヤマト運輸は電通を通じて徳間書店に協力を申し込み、本作はスタジオジブリで制作される事となった。更に東映配給部長の原田宗親を納得させる為に日本テレビも制作に加わる事となる。

監督には当初、若手が起用される予定だった[13]。風土舎は「監督またはプロデューサーに宮崎駿か高畑勲を」との意向を示したが、両名は各々『となりのトトロ』と『火垂るの墓』の制作を開始したばかりであったため、監督には有望な若手を起用して宮崎はプロデューサーに回ることとなった[13]。最初に声がかかったのは当時、東映動画に所属しており、後に『美少女戦士セーラームーン』『おジャ魔女どれみ』『ケロロ軍曹』などで知られるようになる佐藤順一であったが、諸事情により企画が具体的に動き出す前に離れることになった[13][14]。次に指名されたのは、学生時代に宮崎が監督した『名探偵ホームズ』の脚本を手掛けたことがきっかけでアニメ業界入りした片渕須直だった[13]。約三十年後に『この世界の片隅に』で知られるようになる片渕も、当時は無名の新人であり、主要なスポンサーから「宮崎駿監督作品以外に出資するつもりはない」と申し渡されたことを受け、監督からは身を引いて作品には演出補として参加した[15]。そしてプロデューサーだけでなく監督も宮崎が担当することとなった[16]

作画のメインスタッフ陣にはキャラクターデザイン担当のチーフアニメーターに近藤勝也、補佐に大塚伸治を起用、美術監督は男鹿和雄の推薦で大野広司が起用される事となった。大野が所属していたスタジオ風雅の水谷利春社長もこのプロジェクトに賛同しすぐ大野の起用を決定した。脚本は一色伸幸が担当していたが、書き上げたシナリオが作品の雰囲気にそぐわないとして『となりのトトロ』の作業を終えた宮崎がシナリオを書く事となり、一色は降板した。シナリオ完成後、宮崎は絵コンテ作業を開始。途中、近藤喜文も絵コンテ作業を手伝っていたが、作画状況の関係から作画監督に回る事となる。

本作での宮崎の役目はプロデューサー、脚本、絵コンテ、監督の4役で、『風の谷のナウシカ』、『天空の城ラピュタ』、『となりのトトロ』で行っていた作画チェックは行わず、その役は作画監督の近藤勝也、近藤喜文、大塚伸治が担当した。

長編アニメーション映画としては制作期間が短く、作画の困難な群集シーンが後半に多数挿入された為スタッフの負担は大きかった。さらに途中でセルが不良品であることが判明、片渕はハサミでセルからキャラクターだけ切り取る作業に追われたほか、仕上げチェック係の眼精疲労患者が続出した[17]

原作をかなり自由に脚色し、背景にはスタッフがロケハンしたスウェーデンストックホルム及びゴットランド島ヴィスビュー、宮崎自身が1988年(昭和63年)5月に個人的に旅行したアイルランド、その他サンフランシスコリスボンパリナポリなどの風景を織り交ぜて使っている[18]。街の名前は、劇場公開時のパンフレットによれば原作のまま「コリコ」の街とされている。この街では白黒テレビが普及している一方でボンネットバスや大きな飛行船が使われているなど、現代ではなく過去の時代を舞台にしているものとみられる(宮崎によれば「二度の大戦を経験しなかったヨーロッパ」という設定)。ストックホルムとヴィスビューは宮崎がAプロダクション(シンエイ動画)時代の1971年(昭和46年)に幻の映画企画『長くつ下のピッピ』のロケハンで訪れた場所でもある。

当初70分ほどの中編を予定していた作品は製作が進むにつれ、100分を越える長編となった[19]。スケジュールは押し、製作費は4億円に達した(ペイするには16億円以上の興行でなければならず、当時ジブリ最大のヒットは『となりのトトロ』の約12億円だった)[19]。本作を配給したのはスタジオジブリ発足前から徳間書店の作品の配給を手掛けていた東映だが、東宝に配給させた前作の『火垂るの墓』と『となりのトトロ』の興行的失敗を理由にジブリ作品の配給の打ち切りを決定、本作は東映が配給する最後のジブリ作品となった[19]。実質的なプロデューサーであったアニメージュ副編集長(当時)の鈴木敏夫は、東映の原田宗親の「宮崎さんもそろそろ終わりだね。興行成績がどんどん下がってるじゃない」という厳しい言葉にショックを受け、TV放送のため『風の谷のナウシカ』を購入していた日本テレビに相談に赴いた[15][19]。そして同社の出資が決まると、「映画はヒットさせなくてはいけない」と考えた鈴木は、同局の各番組で本作を取り上げて宣伝してもらえるよう働きかけ、これをきっかけにスタジオジブリ作品に対する日本テレビのバックアップが始まった[15][19]。本作が失敗していればスタジオジブリはここで終了していた可能性もあったが、日本テレビの宣伝効果もあり、結果的に配給収入21億5000万円(2000年以降用いられるようになった興行収入に換算すると43億円)を記録するジブリ初のヒット作品となった[13][15][19]


注釈

  1. ^ a b 北米でファゾム・イベンツGKIDSが手掛けるイベント上映、“スタジオジブリ・フェスト”で2017年におよそ600館で公開[1][2][3]。2019年にも字幕版と併せて753館で劇場公開された[4][5][6]
  2. ^ 102分46秒12。
  3. ^ キキの両親について『普通の人間の父と魔女の母』という書き方がなされている。
  4. ^ 第1巻ではコリコの町に到着したシーンで人々から白い目で見られよからぬ事をするつもりではないかと疑いの言葉をかけられている他、2巻では人々の中に根付く魔女へのネガティブなイメージに直面したキキが思い悩むエピソードが描かれている。また、4巻では彼女の母親が魔女である事を理由に結婚を反対されたと語られている。
  5. ^ 街の人々からは驚きの目で見られてそそくさと立ち去られたのみ。その後も飛行中に車道に飛び出した事を警官にとがめられたり、ホテルに泊まろうとした際に未成年である事を理由に受付から身分証の掲示を求められたのみで、魔女である事を理由に白眼視される事はない。
  6. ^ ドーラが言うには13歳の頃に来た。
  7. ^ キキが住む事になった部屋の裏の小窓から見える、白いアパートらしき建物の中央階の角部屋。
  8. ^ 田中敦子のペンネーム[27]

出典

  1. ^ Zack Sharf (2017年3月28日). “Studio Ghibli Fest Bringing Six Animated Classics Back to the Big Screen — Exclusive”. インディ・ワイヤー. ペンスキー・メディア. 2020年3月22日閲覧。
  2. ^ DAVE MCNARY (2017年7月17日). “Reissues of Six Miyazaki Films in the Works From Studio Ghibli, Gkids”. Variety. 2018年8月22日閲覧。
  3. ^ GKIDS Presents Studio Ghibli Fest 2017 ─ Kiki’s Delivery Service”. Fathom Events (2017年). 2021年2月22日閲覧。
  4. ^ SOURCE Fathom Events (2019年2月14日). “GKIDS and Fathom Events Return with a New Studio Ghibli Series Lineup of Celebrated Animated Masterpieces in U.S. Cinemas Throughout 2019”. PR ニュースワイヤー. Cision. 2020年3月22日閲覧。
  5. ^ 「Kiki's Delivery Service」(2019 Re-release) ─ Domestic(米国)”. Box Office Mojo. Amazon.com. 2020年3月22日閲覧。
  6. ^ GKIDS Presents Studio Ghibli Fest 2019 ─ Kiki’s Delivery Service: 30th Anniversary”. Fathom Events (2019年). 2021年2月22日閲覧。
  7. ^ a b c d 叶精二『宮崎駿全書』148頁。
  8. ^ 1989年配給収入10億円以上番組 - 日本映画製作者連盟
  9. ^ トトロ、魔女宅、千と千尋…ジブリ作品をモチーフにした扇子や巾着など夏小物”. マイナビニュース (2020年6月14日). 2020年7月8日閲覧。
  10. ^ 可愛いすぎて迷っちゃう! トトロ、魔女宅、耳すま...全6種のジブリエコバッグ見て。”. ニコニコニュース. 2020年7月8日閲覧。
  11. ^ a b c 叶精二『宮崎駿全書』フィルムアート社、2006年
  12. ^ 「宅急便」はヤマトHDの登録商標? ジブリ映画『魔女の宅急便』との関係を広報に聞いた” (2022年4月2日). 2022年4月3日閲覧。
  13. ^ a b c d e なぜキキは飛べなくなったのか『魔女の宅急便』の「疎外感」という恐怖 (1ページ目)”. 文春オンライン. 文藝春秋 (2022年4月29日). 2022年7月24日閲覧。
  14. ^ 佐藤順一の昔から今まで(8)横にならない大学生時代と『魔女の宅急便』”. WEBアニメスタイル. 株式会社スタイル (2020年12月21日). 2022年7月25日閲覧。
  15. ^ a b c d なぜキキは飛べなくなったのか『魔女の宅急便』の「疎外感」という恐怖 (2ページ目)”. 文春オンライン. 文藝春秋 (2022年4月29日). 2022年7月24日閲覧。
  16. ^ 片渕須直 (2010年9月6日). “β運動の岸辺で 第47回 宅急便の宅送便「次は自分たちで、ね」”. WEBアニメスタイル. 2011年6月24日閲覧。
  17. ^ WEBアニメスタイル | β運動の岸辺で[片渕須直]第52回 真面目に働いてれば、あとに何かは残ってるもの”. www.style.fm. 2024年4月6日閲覧。
  18. ^ 叶精二『宮崎駿全書』137頁
  19. ^ a b c d e f 『魔女の宅急便』タイトルをヤマト運輸が問題視!? 実はトラブル続きだった!”. サイゾー (2022年4月29日). 2022年7月25日閲覧。
  20. ^ 日本アニメは世界の潮流から外れている 片渕須直監督が本気で心配する、その将来”. 朝日新聞GLOBE+ (2020年3月5日). 2022年5月28日閲覧。
  21. ^ 構成・本誌:松岡かすみ / インタビュー:林真理子 (2019年7月13日). “『魔女の宅急便』角野栄子さんがジブリ版を見て思ったこととは〈週刊朝日〉”. AERA dot.. 株式会社朝日新聞出版. p. 1. 2022年11月30日閲覧。
  22. ^ 梶山寿子『ジブリマジック―鈴木敏夫の「創網力」』講談社、2004年、38頁。 
  23. ^ ドキュメンタリー映画「夢と狂気の王国」(宮崎駿の発言)
  24. ^ イメージアルバム『魔女の宅急便』ブックレットより。
  25. ^ 『ジブリの立体建造物展 図録』スタジオジブリ、2014年7月25日初版、105頁。
  26. ^ 芸術の青森みどころ紹介1 あの「魔女の宅急便の絵!?」”. 青森県立美術館 (2011年2月2日). 2016年1月16日閲覧。
  27. ^ @seijikanoh (2016年1月22日). "ブラシにまたがるキキ〜逆立つブラシ毛〜集中「とべ!!」〜上昇・三段飛び〜通行人をすり抜け「燃やしちゃうわよ!」まで、付けPAN祭り(笑)、田中敦子さん。クレジットに氏名はありませんが、本作限定のペンネーム「長谷川明子」として担当。初公開の新事実です!". X(旧Twitter)より2023年5月18日閲覧
  28. ^ a b “ジブリの主題歌集に“増補盤”、30万枚ヒットのアルバムに曲追加。”. Narinari.com. (2015年12月10日). https://www.narinari.com/Nd/20151235129.html 2016年1月16日閲覧。 
  29. ^ ユーミン『魔女の宅急便』主題歌、23年ぶり秘話公開へ”. ORICON STYLE (2012年11月20日). 2016年1月16日閲覧。
  30. ^ Disc. 久石譲 『魔女の宅急便 イメージアルバム』 – 久石譲ファンサイト 響きはじめの部屋
  31. ^ Disc. 久石譲 『魔女の宅急便 サントラ音楽集』 – 久石譲ファンサイト 響きはじめの部屋
  32. ^ Disc. 久石譲 『魔女の宅急便 ドラマ編』 – 久石譲ファンサイト 響きはじめの部屋
  33. ^ 第13回日本アカデミー賞優秀作品”. 日本アカデミー賞. 2016年1月16日閲覧。
  34. ^ 第44回毎日映画コンクール”. 毎日新聞. 2016年1月16日閲覧。
  35. ^ 第7回ゴールデングロス賞受賞作品”. 全国興行生活衛生同業組合連合会. 2016年1月16日閲覧。
  36. ^ 第63回キネマ旬報 ベスト・テン”. キネマ旬報. 2016年1月16日閲覧。
  37. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 叶精二『宮崎駿全書』145頁。
  38. ^ a b c 叶精二『宮崎駿全書』146頁。
  39. ^ 綾瀬はるか、強敵・ジブリと“バッティング” 出演ドラマ初回の裏番組が「ラピュタ」で低空発進 (2/2ページ)”. Zakzak (2016年1月22日). 2016年1月25日閲覧。
  40. ^ “4年半ぶり「魔女の宅急便」18.8%の高視聴率”. スポニチ Sponichi Annex. (2016年1月25日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/01/25/kiji/K20160125011919730.html 2016年1月25日閲覧。 
  41. ^ “「魔女の宅急便」13回目のテレビ放送も視聴率12.5% すべて2ケタ”. スポーツ報知. (2018年1月9日). https://hochi.news/articles/20180109-OHT1T50069.html 2018年1月9日閲覧。 
  42. ^ a b 文化通信社 編『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』ヤマハミュージックメディア、2012年、251–252頁。ISBN 978-4-636-88519-4 
  43. ^ 公開当時のパンフレットより。





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