陸軍飛行戦隊 沿革

陸軍飛行戦隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/10 05:31 UTC 版)

沿革

飛行第5連隊にて編成され戦地従軍中の飛行第2大隊第1中隊(中隊長加藤建夫大尉、1938年5月)。1938年8月1日、飛行第2大隊第1中隊・第2中隊と独立飛行第9中隊(飛行第6連隊にて編成)の3個中隊が合同して飛行第64戦隊が編成された

日本軍航空部隊は、観測気球の装備・運用を目的とし1904年(明治37年)に編成され同年の日露戦争に従事した臨時気球隊を原点とする。これは翌1905年(明治38年)に気球班となり、さらに1907年(明治40年)には気球隊に改編され交通兵旅団隷下となった。

飛行機で編成された実戦部隊としては、第一次世界大戦日独戦争)下1914年(大正3年)の青島の戦いに初めて実戦投入された臨時航空隊(青島派遣航空隊)が日本陸海軍初の実戦飛行部隊となる。1915年(大正4年)12月10日には臨時でない常設の飛行部隊として、日本航空発祥の地である所沢陸軍飛行場にて航空大隊が編成され、1917年(大正6年)には計6個大隊を保有していた。1919年(大正8年)に官衙たる陸軍航空部が設立、1925年(大正14年)に陸軍航空本部に昇格し、同時に航空兵科が独立した[註 1]

1920年代から航空部隊の更なる拡張を始めていた帝国陸軍は、1922年(大正11年)に従来の航空大隊を飛行大隊と改称、さらに1925年には飛行連隊(FR)に昇格され1930年(昭和5年)には計8個連隊および気球隊を保有していた。実戦飛行部隊としては飛行連隊そのものが出征するのではなく、飛行連隊内で編成された飛行大隊ないし独立飛行中隊(Fcs)が動員される。

1930年代後半、ソビエト赤軍赤色空軍)を仮想敵とした研究の中で、航空兵力差を補う効率的な航空部隊の運用法として空地分離方式が検討された。これは従来の飛行連隊から整備補給などの支援部門(地)を切り離し、飛行部門(空)だけを高速で前線基地へ展開させるという構想である。この構想を実現するために1937年(昭和12年)から満州所在の飛行連隊の空地分離が進められ、飛行部門の飛行戦隊FR / F)と、支援部門の飛行場大隊(ab)が編成された。日本本土の飛行連隊についても飛行戦隊と飛行場大隊への改編は行われたが、本土の部隊は固定的な防空任務を予定していたために、各飛行戦隊の隷下に飛行場大隊が置かれ、従来と実質は変化しなかった(内地型戦隊)。教育飛行部隊については飛行戦隊編制は基本用いられず、教育飛行連隊(1944年前後より教育飛行隊に改称)が基本単位だった。

1938年(昭和13年)には陸軍航空総監部が設置され(航空総監以下部員は陸軍航空本部兼)、同年に分離独立した陸軍航空士官学校を筆頭とする航空関連学校を管轄した。

太平洋戦争開戦時には計46個戦隊を有しており、大戦中の1943年(昭和18年)にも空地分離の改良が行われたが(#編制)、飛行戦隊は編制の変化はありつつも陸軍航空部隊の基本的な部隊単位として維持され、敗戦までには計92個戦隊に上った。

なお、帝国陸軍の空挺部隊(落下傘部隊)である挺進団(隷下に挺進連隊滑空歩兵連隊など)では、挺進兵の輸送やグライダーの曳航を行う飛行部隊として、挺進飛行戦隊(RFR)・滑空飛行戦隊(KFR)が編成されともに挺進飛行団RFB)に属し、1944年末には第1挺進集団に隷属した。


  1. ^ それまでは整備には工兵科、空中勤務者には歩兵科騎兵科砲兵科など様々な兵科からの出向者が携わっていた。
  2. ^ 太平洋戦争初期まで2個中隊編制だった第59戦隊(戦闘)、第81戦隊(司偵)ほか、また戦闘機集中運用のために4個中隊編制となったフィリピン防衛戦従軍の第200戦隊(戦闘)など、必ずしも3個中隊編制でない戦隊も少なからず存在した。また、分遣隊として1個中隊を戦隊から一時的に切り離し遠隔地にて独立飛行中隊的な運用をされる戦隊も多々あった。
  3. ^ 戦後に出版された多くの軍事関連書物などでは、大戦後期の飛行隊編成下の飛行戦隊について詳述してるにもかかわらず、本来は誤用の旧称である中隊(飛行中隊)と呼称をしている事が多くこれが浸透している。
  4. ^ 1944年(昭和19年)2月に英海軍駆逐艦パスファインダー」大破の戦果の第64戦隊、1943年12月に米海軍輸送船3隻命中弾の戦果の第68戦隊など。
  5. ^ 陸軍最年少の24歳で第244戦隊長となった小林照彦大尉が有名。
  6. ^ 陸士36期、陸軍士官学校校歌作詞者
  7. ^ 飛行集団の長は集団長(飛行集団長)。
  8. ^ 空中勤務者は教官助教を、地上勤務者も飛校附を中心に機体は飛校機材を使用。
  9. ^ なお、第5航空軍は隷下に飛行師団を擁せず飛行団を直属している。
  10. ^ 挺進連隊の部隊マーク「落下傘」を共用している。
  11. ^ 飛行師団(飛行集団)・航空軍・航空総軍および、方面軍・総軍・防衛総司令部などの高級司令部が司令部人員の輸送や連絡に用いる航空機を運用。
  12. ^ 官衙の中でも陸軍航空審査部飛行実験部(旧・飛行実験部実験隊)はマークを有さず、代わりに機体番号の数字を描いた。
  13. ^ 穴吹智は「吹雪」・「君風」の愛称を付けている。
  14. ^ 矢印自体は白で、縁をコバルトブルーとすることが多かった。
  15. ^ 「虎は千里往って千里還る」の中国(独飛18中の駐屯地)の故事から。
  16. ^ 部隊マークから連想された「タコ八」の愛称を持つ一方、その図案から「翼の生えた8」とも称される。
  17. ^ 同特攻隊には、装備の四式戦「疾風」の機体後端から機首に至るまで側面全体に赤色の「矢印」を描き、さらに「必沈」の文字を記入した大変派手なパーソナルマークで知られる高埜徳伍長が操縦者として居た。

出典

  1. ^ 碇義朗『新司偵 キ46 技術開発と戦歴』光人社、1997年。 
  2. ^ 梅本 (2010a), p.80
  3. ^ 梅本 (2010a), p.113
  4. ^ 梅本 (2010a), pp.94-95
  5. ^ 梅本 (2010a), p.61
  6. ^ 梅本 (2010a), p.118
  7. ^ 梅本 (2010a), p.68
  8. ^ 梅本弘 『第二次大戦の隼のエース』 大日本絵画、2010年7月、p.13
  9. ^ 神野正美 『台湾沖航空戦』 光人社、2004年11月、pp.90-91、なお、同書p.276に1945年1月2日に行われた飛行第7戦隊のサイパン島攻撃時の写真が掲載されている。
  10. ^ 偵察航空隊OB親睦会 テールマークの由来 2017年10月18日閲覧
  11. ^ 一〇〇式司令部偵察機





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