近鉄鳥羽線 車両

近鉄鳥羽線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/15 22:32 UTC 版)

車両

鳥羽線の列車は、大阪線との直通列車は基本的に大阪線所属の車両が使用され、それ以外の列車は基本的に名古屋線所属の車両が使用されているが、朝と夜間の名古屋線直通列車は一部に大阪線所属の車両が使用されている。

また、ワンマン列車にはいずれも名古屋線所属車両である1201系・1230系・1240系・1259系・1440系・9000系(ワンマン対応車のみ)が使用されている。

歴史

現在の志摩線は参宮線を延長するような形で沿線住民の交通手段のほか奥志摩への観光客の誘致を目的として1929年(昭和4年)に志摩電気鉄道(志摩電鉄)が開業した路線で、軌間は鳥羽駅で接続する参宮線に合わせて1067mmの狭軌とされた。志摩電鉄は宇治山田市(現・伊勢市)への延伸を目指しており、1928年(昭和3年)6月に鳥羽 - 二見間の延長工事許可を取得し、その一環として佐田浜(鳥羽駅前)や小浜海岸の埋め立てを計画した[13]。二見で三重交通神都線に連絡して、宇治山田へ至る予定であった[14][15]。しかし延伸先の二見で県道と鉄道の立体交差を巡り折り合いがつかなかったことに加え、鳥羽駅で参宮線に乗り入れる立体交差計画がうまくいかなかったことが重なり、志摩電鉄は毎年のように計画変更や期限の延長申請を繰り返した[16]1935年(昭和10年)8月、三重県知事富田愛次郎は鉄道免許の失効を理由に工事延長を不許可とし、延伸計画は頓挫した[17]。その後陸運統制令による戦時統制の勧奨の流れを受けて、1944年(昭和19年)に三重県内の中小私鉄統合で設立された三重交通の路線となる。

その一方で、山田線は参宮急行電鉄(参急)の手により、現在の大阪線と合わせて大阪から伊勢神宮への参詣鉄道とするために建設が行われ、1931年に宇治山田駅までの全線が開業した。

戦後の高度成長期に入り、近鉄は伊勢志摩方面の観光事業を推し進め、当時の近鉄線の終点であった宇治山田駅の1番線ホームをバスが横付けして停車できるよう改造し、1961年(昭和36年)4月から近鉄特急の到着に合わせて、三重交通と近鉄が共同出資した三重急行の賢島行きの特急バスが接続するといったようなことも行い、客誘致に努めていた。しかし、本格的に事業を進めるには、やはり大阪・名古屋方面から直接アクセスできるほうがよく、三重交通志摩線は三重交通の鉄道事業の三重電気鉄道への分離の後に、1965年に近鉄へ合併し、同社の志摩線となった。その上で、山田線と志摩線をつなぐ鳥羽線を建設し、志摩線も軌間1435mmの標準軌に改めて、賢島駅まで特急を直通させることにした。

全線が開業したのは日本万国博覧会開催直前[* 5]1970年3月1日だが、当初は需要・工期の面から単線だった。ただし、用地は複線分確保しており、一部のトンネルや橋梁は複線幅で構築していた[18]。この開業は、当時まだ京都方面から直通急行列車が乗り入れており、ある程度の活況を見せていた国鉄参宮線に打撃を与え、完全なローカル線へ転落させる要因となった。開通から5年後の1975年に全線複線化を達成している。

  • 1967年(昭和42年)
    • 7月12日:近鉄が山田線を賢島まで延長する計画を公表。計画当初は「宇治山田 - 鳥羽間の路線を新設し志摩線を改良する」案と「宇治山田から山越えして賢島へ直行する」案の2案があった[19]
    • 8月9日:山田線の賢島までの延長に関して、「鳥羽が観光の拠点となっている」ことや「志摩線を活用することで建設費を節約できること」などを理由に宇治山田駅 - 鳥羽駅間の路線を新設することを表明[20]
    • 8月11日:標準軌で複線を目標とするなど、計画の具体的内容を発表。但し、完成当初の全線複線化は困難としている[21]
    • 9月11日:伊勢市岩渕 - 鳥羽市鳥羽間 鉄道敷設免許申請[22]
    • 12月23日:伊勢市岩渕 - 鳥羽市鳥羽間 鉄道敷設免許認可[23]
  • 1968年(昭和43年)5月20日:鳥羽線建設工事に着手[24]
  • 1969年(昭和44年)12月15日:宇治山田駅 - 五十鈴川駅間が開業[25]
  • 1970年(昭和45年)3月1日:五十鈴川駅 - 鳥羽駅間が開業し全通。志摩線との直通運転開始[26]
  • 1971年(昭和46年)12月25日:宇治山田駅 - 五十鈴川駅間複線化[27]
  • 1973年(昭和48年)10月:複線化工事着手[28]
  • 1975年(昭和50年)
    • 4月11日:五十鈴川駅 - 朝熊駅間複線化[27]
    • 12月20日:朝熊駅 - 鳥羽駅間複線化[27]。同区間にあった四郷信号所廃止。
  • 2007年(平成19年)4月1日:各駅でPiTaPaICOCAの取り扱い開始。
  • 2010年(平成22年)4月1日:宇治山田駅 - 鳥羽駅間の全線で名古屋列車運行管理システム「KRONOS」(クロノス)の運用開始[29]

駅一覧

  • 全駅三重県内に所在。
  • 快速急行・急行ともに鳥羽線内は各駅に停車。快速急行は下りのみ運転。
  • 特急列車は近鉄特急の記事を参照のこと。
  • #印の駅は列車待避可能駅。
駅番号 駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線 所在地
M74 宇治山田駅 - 0.0 近畿日本鉄道:M 山田線(普通がE 名古屋線白塚駅、急行がD 大阪線大阪上本町駅、特急がA 難波線大阪難波駅B 京都線京都駅及び E 名古屋線近鉄名古屋駅まで直通運転) 伊勢市
M75 五十鈴川駅#
(内宮前)
1.9 1.9  
M76 朝熊駅 3.0 4.9  
M77 池の浦駅 5.7 10.6   鳥羽市
M78 鳥羽駅# 2.6 13.2 近畿日本鉄道:M 志摩線(特急と普通が賢島駅まで直通運転)
東海旅客鉄道:参宮線
  • 単線時代は朝熊駅 - 池の浦駅間の四郷トンネル宇治山田寄りに列車行き違いのための四郷信号所があった[18]
  • 朝熊駅、池の浦駅は、無人駅

主要駅の乗降客数

2018年11月13日調査による主要駅の乗降客数は次の通り[30]

  • 宇治山田 8,650人
  • 五十鈴川 2,603人
  • 鳥羽 3,741人

注釈

  1. ^ この区間で特急が海岸線沿いを走る風景が、近鉄のCMでしばしば使用される。
  2. ^ ただし対名古屋では近鉄の方が割安になり、伊勢市 - 鳥羽間などでも通学定期運賃は近鉄の方が安い。
  3. ^ 2012年3月20日ダイヤ変更までは京伊特急のうち、阪伊乙特急に連結しない単独運転のものも五十鈴川駅を通過していた。
  4. ^ 名阪特急運用の設定が存在しない50000系「しまかぜ」23000系「伊勢志摩ライナー」は除く。
  5. ^ その当時、万博来場客を伊勢志摩へ誘致する狙いもあった。

出典

  1. ^ a b 寺田裕一『改訂新版 データブック日本の私鉄』 - ネコ・パブリッシング
  2. ^ 駅ナンバリングを全線で実施します 〜あわせて案内サインや放送での多言語対応を拡充します〜”. 近畿日本鉄道 (2015年8月19日). 2023年10月2日閲覧。
  3. ^ 交通アクセス”. 伊勢神宮. 2023年2月10日閲覧。
  4. ^ 「近鉄鳥羽線で初事故 トラック 一方通行の踏切へ進入」中日新聞 1970年(昭和45年)3月9日付 10版 15面、「近鉄鳥羽線で初の事故 トラックと衝突」伊勢新聞 1970年(昭和45年)3月9日付 7面
  5. ^ ダイヤ変更についてのお知らせ” (pdf). 近畿日本鉄道 (2010年2月10日). 2021年7月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月21日閲覧。
  6. ^ 近畿日本鉄道|特急列車の時刻表(2020年3月14日変更)”. 2020年10月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月23日閲覧。
  7. ^ 近畿日本鉄道|特急列車の時刻表”. 2021年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月23日閲覧。
  8. ^ 平成26年のダイヤ変更について” (pdf). 近畿日本鉄道プレスリリース (2014年7月23日). 2021年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月21日閲覧。
  9. ^ 2022年12月17日(土)ダイヤ変更について (PDF) - 近畿日本鉄道プレスリリース 2022年10月12日
  10. ^ a b c 鉄道ファン』2014年1月号 {第633号} p.56 - p61
  11. ^ "伊勢市駅~賢島駅間に新しい観光列車「つどい」を導入" (PDF) (Press release). 近畿日本鉄道. 27 May 2013. 2023年3月23日閲覧
  12. ^ a b "~観光列車「つどい」が賢島駅~伊勢市駅間で復活~ 観光列車つどい「海女さん列車」を運行します" (PDF) (Press release). 近畿日本鉄道. 19 July 2022. 2023年3月23日閲覧
  13. ^ 鳥羽市史編さん室 1991, p. 246.
  14. ^ 三木理史『近鉄沿線の近現代史』クロスカルチャー出版、2022年、p.169
  15. ^ 近畿日本鉄道『100年のあゆみ』2010年、p.360
  16. ^ 鳥羽市史編さん室 1991, p. 247.
  17. ^ 鳥羽市史編さん室 1991, p. 248.
  18. ^ a b 近畿日本鉄道『最近20年のあゆみ』1980年、48頁。 
  19. ^ 「近鉄、賢島まで乗り入れ 45年完成めざす 鳥羽経て志摩線を活用か」伊勢新聞 1967年(昭和42年)7月14日付 1面
  20. ^ 「鳥羽経由ルートに決まる 近鉄志摩乗り入れ 用地買収、協力求む 泉副社長、地元で表明」- 伊勢新聞 1967年(昭和42年)8月10日付 1面
  21. ^ 「来年2月から着工 近鉄山田線延長 広軌で複線を目標 鳥羽駅舎 地元の声聞いて」- 伊勢新聞 1967年(昭和42年)8月13日付 1面
  22. ^ 「三重県史 資料編 現代2 産業・経済」p894-896
  23. ^ 近畿日本鉄道『最近20年のあゆみ』1980年、401頁。 
  24. ^ 近畿日本鉄道『最近20年のあゆみ』1980年、402頁。 
  25. ^ 近畿日本鉄道『最近20年のあゆみ』1980年、405頁。 
  26. ^ 近畿日本鉄道『最近20年のあゆみ』1980年、406頁。 
  27. ^ a b c 近畿日本鉄道『最近20年のあゆみ』1980年、99頁。 
  28. ^ 『近畿日本鉄道100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年、p.378
  29. ^ 名古屋列車運行管理システム「KRONOS」が運用開始します (PDF) - 近畿日本鉄道プレスリリース 2010年3月30日
  30. ^ 駅別乗降人員 山田線 鳥羽線 志摩線 - 近畿日本鉄道


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