平松愛理
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平松愛理 | |
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出生名 | 平松絵里 |
生誕 | 1964年3月8日(60歳) |
出身地 |
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学歴 | 神戸海星女子学院大学文学部英文学科卒業 |
ジャンル | ニューミュージック・J-POP |
職業 |
歌手 シンガーソングライター 作詞家 作曲家 |
担当楽器 |
ボーカル ピアノ |
活動期間 | 1989年 - |
レーベル |
ポニーキャニオン(1989 - 1999) ユニバーサルミュージック(1999 - 2011,2018 - 現在) テイチクエンタテインメント(2011 - 2012) |
事務所 | ひらまつ堂 |
公式サイト | 平松愛理オフィシャルサイト |
本名:平松 絵里(読み方同じ)。ソロ歌手として活動する一方、他の歌手に楽曲提供も行っている。兵庫県神戸市須磨区出身。
所属事務所はひらまつ堂。
来歴
1964年、兵庫県神戸市に生まれる。父、母、兄の4人家族で育った[1]。
父親は平松医院院長。兄は大阪労災病院副院長。
音楽と出合ったのは3歳の時。実家の隣に住む7歳上の女の子が持つ電子オルガンを見たのがきっかけ。すぐに自分も同じオルガン教室に通うようになり、4歳からはオルガンとともにピアノも習い始める[1]。
10歳の頃、洋楽好きでカーペンターズファンの4歳上の兄の影響で、歌に興味を持ち始める。兄のギターの弾き語りに合わせピアノを弾きながらカーペンターズをハモっていた[1]。
親和中学校・親和女子高等学校に進学。中学ではコーラス部に入る。その傍ら、ピアノでオリジナル曲を作り始める[1]。高校では軽音楽部に入部、ボーカルとしてガールズバンド「ワイプアウト」に加わる。そのバンドで出演した学園祭でオリジナル曲を披露、自分で作詞・作曲した歌を歌って観客に拍手をもらったことでプロを意識するようになった[1]。
17歳の時に関西ローカルのオーディション番組「ヤングプラザ」に出演。それまでバンド活動に反対していた両親がテレビに出たことで反対しなくなり、さまざまなコンテストに挑戦するようになった[1]。
1982年、18歳の頃に古川昌義 (G) 、森俊之 (Key) 、山下政人 (Dr) と共に「ERI & WANDERLAST」を結成、神戸海星女子学院大学進学後も関西を拠点にアマチュアとして活動。
1986年、22歳の時に東京での再会を約束して「ERI & WANDERLAST」のメンバーと別れ、単身上京。アルバイトをしながら曲を作り、週2回はレコード会社に売り込みをかける生活を送る[1]。
1987年、村田和人率いる4人組のユニット「Honey & B-Boys」のアルバム『Back to Frisco』でレコード・デビュー。「My Wish」などの曲でボーカルを執っている。ただし名前の表記は本名の「平松絵里」だった。他の2人は、のちにソロデビューする西司と、パイパーのリーダーである山本圭右。
上京して3年ほど経った頃、レコード会社のディレクターがデイヴ・スチュワート & バーバラ・ガスキンを好きだと知り、最初に持ち込んだ曲を彼ら風のアレンジにやり直して再び持ち込んだ。するとそれが気に入られ、デビュー曲に採用された[1]。
1989年2月21日、シングル「青春のアルバム」とアルバム『TREASURE』でポニーキャニオンよりソロ・デビュー。
1992年3月、アルバム『MY DEAR』からシングルカットした「部屋とYシャツと私」が100万枚近いセールスを記録するヒットとなり、ブレイクを果たす。同年11月、ユニットHIRA^O SAKIとして尾崎亜美、崎谷健次郎と共同でシングル・アルバム『My Best Friends』をリリースする。
1994年1月29日、ともに楽曲制作をしていた編曲家の清水信之と結婚。結婚式場は東京・代沢の東京聖三一教会で行われた。
1995年1月17日、神戸の実家が阪神・淡路大震災で倒壊。同年4月21日、震災チャリティソング「美し都〜がんばろやWe love KOBE〜」(作詞:阿久悠、作曲:平松)をリリースする。
1996年に女児を出産。しかしデビュー当時から患い、以後毎日のように痛みに煩わされ続けた子宮内膜症のせいで母子共に危険な状態であった。出産後は「両親ふたりとも家を遅くまで留守にするのは育児に差し障る」という配慮から、平松と清水が組んで仕事をするのは差し控えるようになった[2]。
1997年1月17日、阪神淡路大震災復興支援ライブ「KOBE MEETING」を開催。その後、1月17日に毎年神戸市内で開催し続けた。
1999年、レコード会社をユニバーサルミュージックに移籍。
2001年、子宮内膜症が悪化し子宮を摘出。その半年後の2002年には乳癌が見つかり、音楽活動の休止を余儀なくされる。休止中は各地での講演活動に参加した。
2004年4月21日、新曲「YOU ARE MINE/部屋とYシャツと私2004」をリリースし、歌手活動を再開。また、併せて闘病手記「部屋とYシャツと『私の真実』」も上梓した。これ以外にも雑誌、新聞にエッセーを執筆。
2005年8月2日、子育てと仕事とですれ違いが生じ、代理人を通して離婚届を提出した。報道によると、憎み合っての離婚ではなく慰謝料等も生じず、娘(親権は平松が得た)の学校行事には父母揃って参加している。同年「KOBE MEETING」の活動などが認められ、神戸大使を委嘱される。
2008年、新しい形のライブ「SLOW ROOM」を始める。
2009年、ソロ・デビュー20周年記念で「ERI & WANDERLAST」を再結成、3月・12月にライブを行う。
2010年5月、神戸への社会貢献が認められ、第64回神戸新聞文化賞を受賞。5月30日、「がんばろうKOBEデー」と題してスカイマークスタジアムで行われたオリックス・バファローズ対東京ヤクルトスワローズ戦にて「美し都〜がんばろやWe love KOBE~」と国歌独唱を行った。
2011年、テイチクエンタテインメントのコンチネンタル・スターレーベルへ移籍。同年第1弾シングル「いいんじゃない?」、2012年に第1弾アルバム『花と太陽』をそれぞれ発売。
2016年10月、FM大阪「Nestle presents CHEER UP! MORNING」パーソナリティを務める。2017年4月よりTOKYO FMでも放送開始[3]。
2019年、「部屋とYシャツと私」のその後を描いた新曲「部屋とYシャツと私 〜あれから〜」を8月28日にソロ・デビュー30周年シングルとして発売。大晦日のももいろ歌合戦(BS日テレ・ニッポン放送・AbemaTVなど)へ初出場し、同曲を歌唱した。
2020年1月17日、25年続けてきた阪神淡路大震災・東日本大震災の復興支援ライブ「KOBE MEETING」の最終公演を行う[4]。1月21日、これまでの功績を受け、神戸市から感謝状が贈呈された[5]。同年5月19日、自身のYouTubeチャンネル「平松愛理 Channel *SLOWROOM*」で100日配信を開始する。
2021年、6月「BLUE MOON」・7月「白夜」・8月「ピラフになりたい」と、3ヶ月連続配信シングルリリースを行う。同年8月12日、新型コロナウイルス感染を公表[6][7]。同月29日に予定されていたライブ「SLOW ROOM〜今届けたいうた〜」は開催が延期された[6]。8月27日、回復を報告[8]。
音楽
デビュー当初は西平彰の編曲であったが、3枚目のアルバム『MY DEAR』、シングルでは「月のランプ」以降、編曲家が清水信之に代わる(なお『MY DEAR』の「悲しくて悲しすぎて」と「ファーストクリスマスイヴ」は萩田光雄の編曲)。清水による平松作品は数多いが、「戻れない道」の編曲は、打ち込み主体の通常の電子音スタイルとは異なり、アコースティックなハープとフルートをメインに使うといった、かつての松任谷正隆的な手法を用いている。
- ^ a b c d e f g h 大学時報 2007年11月号 pp.120-127「クローズアップ・インタビュー シンガーソングライター 平松愛理さんに聞く」
- ^ 平松愛理『ゲキツー!!』講談社、2001年8月。ISBN 978-4062108744。
- ^ a b “FM大阪「Nestlé presents CHEER UP! MORNING」”. 2019年11月1日閲覧。
- ^ “平松愛理さん「今年で最後」 復興支援ライブ”. 神戸新聞NEXT. (2020年1月10日) 2020年7月22日閲覧。
- ^ “神戸市:神戸大使平松愛理氏への感謝状贈呈について”. 神戶市 (2020年1月14日). 2020年7月22日閲覧。
- ^ a b “平松愛理が新型コロナ感染 ライブ延期も発表「苦渋の決断となりました」”. ORICON NEWS (oricon ME). (2021年8月12日) 2021年8月12日閲覧。
- ^ “平松愛理コロナ感染「細心の注意も不覚」29日予定のライブも見合わせ”. 日刊スポーツ (2021年8月12日). 2021年8月12日閲覧。
- ^ “コロナ感染の平松愛理 回復を報告「お陰様で無事回復し、今はゆっくり」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2021年8月27日) 2021年8月27日閲覧。
- ^ 「『部屋とYシャツと私』と夫婦別姓 平松愛理さんは今」、朝日新聞、2015年12月13日
- ^ a b “岡村孝子番組「岡村さんの希望で」平松愛理の代打を発表”. デイリースポーツ online. (2019年4月22日) 2020年7月21日閲覧。
- ^ “活動報告一覧 - 平松愛理さんの未発表曲のアニメMVを作りたい!!”. camp-fire.jp. 2024年5月16日閲覧。
- ^ 『朝日新聞』2013年1月12日付beうたの旅人
- ^ 『産経新聞』1995年8月30日付東京朝刊
- ^ 平松愛理が毎年恒例ミーティングで何度も涙した理由(2018年1月13日 日刊スポーツ)
- ^ 平松愛理さん 神戸での復興支援ライブ「最後に」(2019年12月4日 神戸新聞)
固有名詞の分類
日本の歌手 |
守屋浩 藤岡麻美 平松愛理 大根夕佳 Petit Pallet |
日本の作曲家 |
桃野コメット T-cophony 平松愛理 恋瀬信人 NOBODY |
ポピュラー音楽の音楽家一覧 (日本・個人) |
砂原良徳 ERI 平松愛理 小林啓子 高見沢俊彦 |
日本のミュージシャン |
DJ ARTS a.k.a ALL BACK T-cophony 平松愛理 ジョン・B・チョッパー 瀧澤賢太郎 |
日本の作詞家 |
AZUKI七 Satomi 平松愛理 松本タカヒロ 木の子 |
ラジオ番組のパーソナリティ・DJ |
Chigusa 野末陳平 平松愛理 内田誠 小林大作 |
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