国定忠治 国定忠治を主題とする作品

国定忠治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 05:46 UTC 版)

国定忠治を主題とする作品

芝居

上述の通り新国劇、大衆演劇の定番である。新国劇では1919年(大正8年)の大阪弁天座『國定忠治』(脚本・行友李風)が初演[21]。初演時の配役は以下の通り[22]

國定忠治 - 澤田正二郎
板割の浅太郎 - 田中介二
清水巌鉄 - 金井謹之助
高山定八 - 小川隆
日光円蔵 - 倉橋仙太郎
川田屋惣兵衛 - 中田正造

今日、伝わっている台本(『行友李風戯曲集』所収「極付 國定忠治」)では五幕七場で構成されているが、大井広介によれば『國定忠治』は通しで上演されることは珍しく、陰惨な後半は割愛され、二幕目「赤城天神山不動の森」から三幕目第三場「半郷の松並木」まで、あるいは「赤城天神山不動の森」だけということも多かったという[23][注釈 5]。その「赤城天神山不動の森」での忠治の台詞「赤城の山も今夜を限り、生れ故郷の國定の村や、縄張りを捨て国を捨て、可愛い子分の手めえ達とも、別れ別れになる首途(かどで)だ」や「加賀の国の住人小松五郎義兼が鍛えた業物、万年溜の雪水に浄めて、俺にゃあ、生涯手めえという強い味方があったのだ」は歌舞伎の決め台詞ばりに普及して国定忠治のイメージを決定的にした。

大衆演劇では、2011年5月に、西条晃(現・曾我廼家晃)が、国定忠治の処刑場の場までの長編の芝居を上演した。また演歌歌手の公演でも演じられる。たとえば北島三郎の特別公演では、この話を劇に使ったことがある。

映画

戦前

戦後作品

小説

長編小説

短編小説

ドラマ


注釈

  1. ^ 母は武家出身の貞子(お貞)とされ、幼名は寅次。忠治磔刑後、下野国出流山満願寺に預けられ千乗と名乗った。後、還俗して大谷刑部国次と称し、出流山事件に参加、捕らえられて斬首となった[1]
  2. ^ 羽倉簡堂が著した「赤城録」では「是ニ於テ、義弟義子、曰ク多シ」[2]として日光円蔵ら忠治股肱の子分が『水滸伝』に模して紹介されている。なお、明治時代によく読まれた実録本でも忠治の物語は『嘉永水滸伝 国定忠治実記』などと題されていた。
  3. ^ 羽倉簡堂は「赤城録」でこの時の模様を「義子十八名ヲ擇ビ、各洋制短銃ヲ持チ、倶ニ往ク」[6]と記しており、忠治が「洋制短銃」を携行していたことを伝えている。奇しくもこの年、高島秋帆江川太郎左衛門によってヨーロッパ伝来の小銃がコピー製造されていることが知られているが[7]、忠治がその種のものを入手していたとは考えにくい。伊勢崎市の名主大島儀右衛門宅には「忠次遺愛の拳銃」とされる火縄式の短銃が保存されており[8]、「洋制短銃」とはこの火縄式の短銃を指すものと考えられる。なお、忠治は天保7年に義弟の茅場兆平が殺害された際、子分20名を率いて復讐に向かうが、羽倉簡堂はその模様を「忠治、復讐ノ為、乾児二十名ヲ率イ、火鎗刀矛ヲ持チ」と表記。この「火槍」も「刀矛」も中国で昔使われた武器であることを考えるならば、忠治が所持していたとは考えにくい。
  4. ^ 三室勘助(中嶋勘助、小斉勘助)は上州小保方村三室(佐波郡東村)の出身。中嶋家は東小保方村の名主を務め、忠治一家の浅次郎は勘助の甥にあたる。勘助は檀那寺である西小保方村の長安寺住職憲海や領主久永氏を相手とした訴訟に敗れると天保12年に隣村の八寸村八斉に移住し、関東取締出役の道案内に転身している。
  5. ^ 2007年、新国劇出身の緒形拳も参加して国立劇場で通し上演された際は全四幕七場とされており、「名場面「赤城天神山」をクライマックスに、最後の4幕では陰惨な結末が、ドラマを深める」と説明されていた[24]

出典

  1. ^ 子母沢寛『游侠奇談』民友社、1930年10月、214-218頁。 
  2. ^ 羽倉簡堂 著、羽倉信一郎 編『簡堂遺文』吉川弘文館、1933年5月、86頁。 
  3. ^ 子母沢寛『游侠奇談』民友社、1930年10月、236-238頁。 
  4. ^ 田村栄太郎『やくざ考』雄山閣、1958年10月、152-156頁。 
  5. ^ 高橋敏『国定忠治』岩波新書、2000年8月、74頁。 
  6. ^ 羽倉簡堂 著、羽倉信一郎 編『簡堂遺文』吉川弘文館、1933年5月、89頁。 
  7. ^ 銃(じゅう)とは?”. コトバンク. 2023年6月8日閲覧。
  8. ^ 日本放送協会 編『歴史への招待』 9巻、日本放送協会、1980年11月、180-181頁。 
  9. ^ 高橋 (2000)、p.141
  10. ^ 高橋 (2000)、p.140
  11. ^ a b 高橋 (2000)、p.195
  12. ^ a b 高橋 (2000)、p.196
  13. ^ 高橋 (2000)、p.197
  14. ^ 高橋 (2000)、pp.197 - 198
  15. ^ 高橋 (2000)、p.201
  16. ^ a b c d e 黒崎 2019, p. 37-46.
  17. ^ たばこクロニクル "THE・石黒敬七" コレクション 戦後の日本を笑いの渦に!! Archived 2016年3月3日, at the Wayback Machine.」『たばこジャーナル』日本たばこ産業、2009年9月15日更新、2016年2月26日閲覧。
  18. ^ 萩原 1965, p. 299.
  19. ^ 伊勢崎忠治だんべ会
  20. ^ “170年ぶり和解の手打ち/群馬、国定忠治の子孫ら”. 四国新聞. (2007年6月2日). https://www.shikoku-np.co.jp/national/life_topic/20070602000422 2017年8月24日閲覧。 
  21. ^ 北條秀司 編『行友李風戯曲集』演劇出版社、1987年11月、315頁。 
  22. ^ 大井広介『ちゃんばら芸術史』実業之日本社、1959年3月、25頁。 
  23. ^ 大井広介『ちゃんばら芸術史』実業之日本社、1959年3月、33-36頁。 
  24. ^ 「国定忠治」42年ぶり通し上演”. asahi.com (2007年4月5日). 2023年6月19日閲覧。
  25. ^ 実説国定忠治 雁の群日本映画データベース
  26. ^ 奥野久美子「明治大正期の国定忠治ものー菊池寛「入れ札」を論じるために」[1]


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