北陸トンネル 開通後の状況

北陸トンネル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/31 23:03 UTC 版)

開通後の状況

トンネルの先は嶺北
開通祝賀列車牽引のため飾られたEF70 18(三菱電機の雑誌広告)

開通当時は折からの高度成長期と相まって、科学文明の発展のシンボルでもあり、相当な話題となった。時間のかかるスイッチバックの単線、12か所ものトンネルをくぐる度に煤煙に悩まされていた旧線と較べ、複線電化、スピードアップ、コンクリートの枕木、蛍光灯照明の明るいトンネルはインパクトが大きく、新線開通祝賀式典の際には報道用のヘリコプターまで出動した。

都市間連絡のスピードアップ、輸送量増加の陰で今庄駅は急行通過駅となり、新保駅杉津駅大桐駅の沿線はモータリゼーションの進展および過疎化に伴いバスも通勤時間に数本走るのみとなった。

長大トンネルながら頸城トンネル筒石駅のようにトンネル内に駅が設置される構想は当初よりなかった。

トンネル完成後、北陸本線では交流電化や複線化が急激に進展した。北陸トンネルは2021年時点においても北陸以北の日本海沿岸・北海道地域と関西・中部地域を結ぶ大動脈となっている。

1972年11月6日、北陸トンネルを通過中であった急行「きたぐに」の食堂車で火災が発生し、30人の犠牲者を出した。この事故をきっかけに長大トンネル区間および列車の空調、電源設備の安全性改善が進んだと言われている(蒸気機関車時代は、蒸気そのものを機関車から客車に直接送ることができた)。この事故の前の1969年12月にも北陸トンネルを通過中の寝台特急「日本海」の電源車から出火する事故があったが、このときは運転士の判断で列車をトンネルから脱出させて消火したため死者は出なかった(詳細は北陸トンネル火災事故も参照)。

2006年10月21日に長年交流電化であった北陸本線長浜駅 - 敦賀駅間と湖西線永原駅 - 近江塩津駅間が直流電化され、敦賀口付近にデッドセクションが設けられた[13]。福井方面からやってきた列車は特急・普通を問わず、デッドセクションにおける交流→直流の電源切り替えに備えるため、トンネルを抜ける手前で減速し、運転士がデッドセクション通過中に切り替えを行う[13]

2020年3月27日、トンネル保守作業の際の通信回線としてauの中継基地局を設置した。その関係でauの携帯電話はトンネル内においても使用ができる[14]

旧線の現況

樫曲隧道(敦賀市獺河内)

旧線跡地は1963年11月4日に道路に転用された。旧線跡は、敦賀市街から葉原までが国道476号[15]、葉原から杉津までが敦賀市道[15]、杉津から今庄までが福井県道207号今庄杉津線となった[15][16]。杉津駅南方の河野谷トンネルは解体された[15]。また、杉津駅より山中トンネルまでは、山の中腹をトンネルと鉄橋でつないでいたが、公道化された。旧線鉄橋跡は深山、大桐付近も含め、いずれも鉄橋の上にアスファルト道路を載せている。

北陸本線下り線敦賀方新旧分岐点附近は記念碑が置かれた。

深山信号場附近は2車線道路に拡幅されて痕跡をとどめない。

樫曲トンネルおよび獺河内トンネルは北向き一方通行の一般道として供用されていたが、木ノ芽峠トンネル開通に併せた道路整備に際し、2002年に樫曲トンネルはレトロ調の街灯が設置されるなど車両通行禁止の歩道として整備され、獺河内トンネルは拡幅を経て2車線一般道のトンネルとなった。

獺河内地区の旧新保駅の下にあった木の芽川にかかる鉄橋梁は同じく2002年、木ノ芽峠トンネル開通に併せた道路整備により消滅した。

国道476号から葉原大カーブへ分岐する地点は神社内敷地を横断しており、廃線後も公道として供用されていたが、2007年の道路改修に際して元の神社に返され通行不可能となったため、新たに北側に国道に迂回連絡する車道築堤が造られた。旧道分岐地点近くの鉄橋はひきつづき道路橋として供用中である。

葉原大カーブ - 葉原トンネル南ポータルまでの直線区間は、3線をなす葉原信号場スイッチバック跡である。本線跡の道路の両側、すなわち山側の北陸道下り線築堤及び海側空き地が引き込み線であった。引き込み線築堤が一部北陸道の土台に流用されている。

杉津駅の跡地には北陸道上り線の杉津PAが設置された[15]。本線の山側に旧線から転用された道路を見ることができる。なお、杉津駅あたりの旧線跡は必ずしも北陸自動車道とは一致しない。旧線は山の斜面に沿ってなだらかなS字カーブを描くが、北陸道は盛り土をして一直線に敷かれた。

山中トンネルは旧線区間のなかで最長のトンネルであるが[15]、交互通行用の信号機が設置されていない。

町村合併により南越前町が発足してから山中信号場跡に記念碑が建てられた。「上り方引き込み線が上方の林道にあった」と説明文には書かれているが、実際には上下引き込み線は並んでいた。

大桐駅跡には上り線ホーム跡が残存し看板が建てられた。

福井県道207号今庄杉津線T字交差点(北陸本線踏切付近)から今庄方新旧分岐点までは私有地となり通行できない。

1996年2月10日に発生した国道229号豊浜トンネル岩盤崩落事故に伴い、葉原トンネル(事業主体:敦賀市)が1997年12月までの1年10か月間、山中トンネル(事業主体:福井県)が1998年4月までの2年2か月間通行止めになり、補強工事が施工された。歴史的に価値がある建造物であることから、当時の外観を極力損なわないように配慮した工事を行った。


注釈

  1. ^ 1982年(昭和57年)にスイスのフルカ・オーバーアルプ鉄道(現マッターホルン・ゴッタルド鉄道)にフルカベーストンネル(長さ15,442 m)が開通するまでの20年間は、狭軌の鉄道トンネルとして世界最長であった。
  2. ^ 当初計画では20,009 m。また、一部報道等で約19.7 kmとの記載も見られる。

出典

  1. ^ a b c データで見るJR西日本2020 施設” (PDF). 西日本旅客鉄道. p. 127 (2020年9月). 2021年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月3日閲覧。
  2. ^ a b c 敦賀市 1988, p. 613.
  3. ^ 北國新聞 2007, p. 254.
  4. ^ a b 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 I』JTB、1998年10月1日、91頁。 
  5. ^ “福井で並行在来線の準備会社設立 社長「県民を元気に」”. 日本経済新聞. (2019年8月13日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO48512740T10C19A8LB0000/ 2021年10月2日閲覧。 
  6. ^ 北陸新幹線敦賀延伸に向け「福井県並行在来線準備株式会社」設立”. マイナビニュース (2019年8月22日). 2021年10月2日閲覧。
  7. ^ a b c d 【日本の元気 山根一眞】新北陸トンネル「貫通しちゃいました」報告に唖然… 金沢~敦賀間の開業へ進む延伸工事”. ZAKZAK (2019年11月9日). 2021年8月3日閲覧。
  8. ^ a b 敦賀市 1988, p. 612.
  9. ^ 福井新聞 2000, p. 623.
  10. ^ 北國新聞に見るふるさと110年(下)』北國新聞社、2003年8月5日、31頁。 
  11. ^ 福井新聞 2000, p. 625.
  12. ^ a b 稲見眞一 (2021年2月17日). “稲見駅長の鉄道だよ人生は!! - 各駅停写の旅 - 切手と消印(13)北陸トンネル開通記念。”. 中京テレビ放送. 2021年7月13日閲覧。
  13. ^ a b “運転士、緊張の一瞬 デッドセクションを切り抜けろ 交直切り替え、JRに7カ所”. 産経ニュース. (2018年3月4日). https://www.sankei.com/article/20180304-JYMHQQPS4BODDPJJINS6QCTZNY/ 2021年8月3日閲覧。 
  14. ^ “北陸トンネル、auだけつながる謎 JR西日本金沢支社に質問”. 福井新聞ONLINE. (2020年6月10日). オリジナルの2021年7月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210711041218/https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1102092 2021年8月3日閲覧。 
  15. ^ a b c d e f つるがの四季 No.97” (PDF). 日本原子力研究開発機構敦賀本部. pp. 6-8 (2012年8月). 2021年10月2日閲覧。
  16. ^ 北國新聞 2007, p. 41.
  17. ^ a b c d 日本郵趣協会監修『ビジュアル日本切手カタログVol.1記念切手編』、郵趣サービス社、2012年、96頁。
  18. ^ a b 荒井誠一 切手に見る世界の鉄道 補遺〔7〕 北陸トンネル開通記念切手、鉄道ピクトリアル1964年3月号(通巻155号)pp36-37、電気車研究会
  19. ^ 出典・読売新聞2013年12月29日[要ページ番号]・鉄道ファン2014年3月号148頁
  20. ^ WORKING REPORT ~北陸新幹線~ 現場との連携で困難な地質を発破掘削で切り開く” (PDF). 鉄道・運輸機構だより 平成28年新春号(No.48). 独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構 (2017年1月). 2017年6月11日閲覧。
  21. ^ “北陸新幹線の新北陸トンネルが貫通 金沢ー敦賀間で最長”. 中日新聞Web. (2020年7月10日). オリジナルの2020年8月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200824045803/https://www.chunichi.co.jp/article/87094 2021年8月3日閲覧。 
  22. ^ a b c “北陸新幹線の新北陸トンネル貫通 金沢―敦賀間で最長”. 日本経済新聞. (2020年7月10日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO61393630Q0A710C2LB0000/ 2021年8月3日閲覧。 
  23. ^ 北陸新幹線〔津幡・敦賀間〕路線概要図”. 北陸新幹線建設促進同盟会. 2015年2月26日閲覧。
  24. ^ 整備新幹線の手続き状況”. 鉄道建設・運輸施設整備支援機構. 2019年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月2日閲覧。
  25. ^ 北陸新幹線の概要”. 新潟県交通政策局交通政策課 (2019年3月29日). 2021年10月2日閲覧。
  26. ^ 整備新幹線の工事実施計画の認可について』(プレスリリース)国土交通省、2012年4月4日https://www.mlit.go.jp/report/press/tetsudo09_hh_000032.html2014年12月16日閲覧 
  27. ^ a b c d “新北陸トンネル、10日貫通 南越前ー敦賀を結ぶ19.8キロ”. 中日新聞Web. (2020年7月8日). オリジナルの2020年7月12日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200712030815/https://www.chunichi.co.jp/article/85068 2021年8月3日閲覧。 
  28. ^ a b c d “新北陸トンネル福井貫く、北陸新幹線 2023年開業区間で最長、6年がかり”. 福井新聞ONLINE. (2020年7月11日). オリジナルの2020年8月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200808122952/https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1121581 2021年8月3日閲覧。 
  29. ^ 北陸新幹線 新北陸トンネル(葉原)工事安全祈願の開催のお知らせについて』(PDF)(プレスリリース)鉄道建設・運輸施設整備支援機構、2014年12月16日http://www.jrtt.go.jp/08-2Press/pdf/H26/pressh261216.pdf2014年12月16日閲覧 


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