中央銀行 起源

中央銀行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/05 07:33 UTC 版)

起源

世界最古の中央銀行は1668年に設立されたスウェーデンリクスバンクであるとされる。1694年にはイギリスイングランド銀行が設立された。イングランド銀行は対フランス戦のための資金調達目的で設立された王国政府の銀行であったが、19世紀初頭までは単なる大銀行の1つの位置付けであり、当時は特権認可された複数の銀行が独自の銀行券を発行していた。イギリスでは19世紀の初頭に金融恐慌が頻発し、多くの銀行が破綻して銀行券が無価値になる混乱が発生したため、1844年にイギリス首相ロバート・ピールの名を冠したピール銀行条例(正式名称:イングランド銀行設立特許状の修正法)が制定され、イングランド銀行以外の銀行による発行業務が禁止された。

これらの自然発生型の中央銀行に対して、1882年に設立された日本日本銀行1913年に設立されたアメリカ合衆国連邦準備制度などは当初から物価の安定や通貨の発行業務を目的として設立されたものである[注釈 1]。中央銀行の数は1900年には18行であった。その後、1920年代から急増し、1960年までに約50ヶ国に、1990年には160行を超える状況となった[9]

日本

日本における唯一の中央銀行は日本銀行である。日本銀行法で定められている。

本土復帰前の沖縄ではアメリカ軍票であるB円や通貨である米ドルが流通したが、特殊銀行であった琉球銀行は通貨発行や金融機関の監督などの権限を有しており、中央銀行的な役割を持っていた(ただし、通貨発行権については一度も行使されることが無かった)。なお、これらの権限の多くは後に行政機関に権限移譲されたほか、最終的には復帰直前に普通銀行に転換した。

独立性

中央銀行は政府から独立しており、金融に関して独自の判断をするという位置づけを与えられている[10]。政府から独立した存在であることが求められるのは、政府が通貨価値の保持を怠り、目先の諸問題に対応することを避けるためである[11]。中央銀行は通常は一つの通貨に対して一つ存在する。中央銀行はこの通貨量を調整する権限を持つため大きな影響力を持つ。

1960年代に世界的に経済政策が行なわれるようになった。ケインズ政策においては財政政策として歳出を増大させるとクラウディングアウトが発生し、乗数効果に制約が掛かる。しかし、中央銀行が適切に量的金融緩和政策を行なえば、クラウディングアウトは発生せず、財政政策が最大の効果を発揮する。このポリシーミックスは供給力に未稼働の余剰部分がある場合は有効であるが、供給力が限界に達すればその政策効果は実質GDP増大ではなく物価上昇(インフレーション)の積極的な要因となる。

民主主義の政府は、物価の安定よりも完全雇用を志向する性質があるため、インフレが起きる可能性があっても財政政策の効果発現のため中央銀行へ金融緩和を求めることになる。もし、中央銀行に政府の要求を断る力が無ければ、最終的にインフレとそれに伴う資産の再分配(インフレリスク)及び潜在成長力を損なう可能性がある。このため、中央銀行は政府から独立する必要が有り、政府の要求如何に関わらず、通貨価値を保持することが求められる(通貨の番人)。

政府のインフレバイアスに対する中央銀行の独立性が低かったり、中央銀行がインフレ抑制に積極的でなかったりする国の通貨は信認され難い。

ドイツ(1990年の東西統一前は西ドイツ)の中央銀行だったブンデスバンクは過去のハイパーインフレへの反省から、通貨価値の保持を最優先としていた。ブンデスバンクの影響を強く受けている1998年設立の欧州中央銀行(ECB)も「物価の安定」が第一義的目的となっている。

一方、アメリカのFRBはその政策目標が「物価の安定」と「最大の雇用」となっている。これは、世界恐慌で25%とも言われる完全失業率を記録した経験からである。実際、1970年代中頃まではFRBはほぼ財政政策による高金利の火消し役となっており、1970年代における高インフレの原因を作っていた。このため、ブンデスバンクとFRBは金融政策の方向性について衝突することが多かった。

イングランド銀行は、1997年に独立性を獲得する。イングランド銀行の独立性は「金融政策の運用手段はイングランド銀行に任せる」というもので、政策の目標は実質的に政府が決めている[12]

日本銀行は、1997年6月18日に全部改正された日本銀行法で独立性と透明性の向上が図られ[13]、第3条で「日本銀行の通貨及び金融の調節における自主性は、尊重されなければならない。」と定められた。


注釈

  1. ^ ただし、日本やアメリカでも、中央銀行設立前には、複数の発券銀行(国立銀行、国法銀行)からなる分散方式銀行制度を採用しており、その後に中央銀行制度に移行するという過程を経ている。またアメリカでは第一合衆国銀行第二合衆国銀行などの公認銀行が期間限定で存在したが、分権主義者の反対によりそれぞれ20年で公認期間が終了していた。
  2. ^ バンク・オブ・アメリカがアメリカの中央銀行と言われる事があるが、中央銀行ではない
  3. ^ ベトナム民主共和国の時代に設立され南ベトナムが編入された後も中央銀行として果たしている。

出典

  1. ^ a b 田中秀臣 『デフレ不況 日本銀行の大罪』 朝日新聞出版、2010年、9頁。
  2. ^ 田中秀臣 『デフレ不況 日本銀行の大罪』 朝日新聞出版、2010年、206頁。
  3. ^ 田中秀臣 『デフレ不況 日本銀行の大罪』 朝日新聞出版、2010年、200頁。
  4. ^ 田中秀臣 『ベン・バーナンキ 世界経済の新皇帝』 講談社〈講談社BIZ〉、2006年、62頁。
  5. ^ a b 田中秀臣 『ベン・バーナンキ 世界経済の新皇帝』 講談社〈講談社BIZ〉、2006年、63頁。
  6. ^ 田中秀臣 『ベン・バーナンキ 世界経済の新皇帝』 講談社〈講談社BIZ〉、2006年、163頁。
  7. ^ 田中秀臣 『デフレ不況 日本銀行の大罪』 朝日新聞出版、2010年、52頁。
  8. ^ 田中秀臣 『ベン・バーナンキ 世界経済の新皇帝』 講談社〈講談社BIZ〉、2006年、164頁。
  9. ^ 貨幣と中央銀行の歴史からみた物価と金融政策 (PDF) (日本語) 翁邦雄 日本大学経済学部経済科学研究所研究会
  10. ^ 竹中平蔵 『竹中平蔵の「日本が生きる」経済学』 ぎょうせい・第2版、2001年、179頁。
  11. ^ 高橋洋一 『高橋教授の経済超入門』 アスペクト、2011年、18頁。
  12. ^ 民主党で大恐慌?PHPビジネスオンライン 衆知 2009年2月10日
  13. ^ 1997年(平成9年)の日本銀行法改正(1998年施行)のポイントは何ですか? : 日本銀行 Bank of Japan
  14. ^ 田中秀臣編著 『日本経済は復活するか』 藤原書店、2013年、174-175頁。
  15. ^ 日本経済新聞社編 『マネーの経済学』 日本経済新聞社〈日経文庫〉、2004年、129頁。
  16. ^ 小峰隆夫 『ビジュアル 日本経済の基本』 日本経済新聞社・第4版〈日経文庫ビジュアル〉、2010年、92頁。
  17. ^ a b 【田中秀臣氏インタビュー】日本をデフレから救うのは、凡庸だが最良の処方箋の「リフレ政策」 ソフトバンク ビジネス+IT 2010年9月10日
  18. ^ 田中秀臣編著 『日本経済は復活するか』 藤原書店、2013年、109頁。
  19. ^ 日銀の独立性が失われれば、インフレ率は高くなるPRESIDENT Online プレジデント 2013年9月10日
  20. ^ 日本経済新聞社編 『マネーの経済学』 日本経済新聞社〈日経文庫〉、2004年、129-130頁。
  21. ^ 田中秀臣編著 『日本経済は復活するか』 藤原書店、2013年、176頁。
  22. ^ 日本経済新聞社編 『マネーの経済学』 日本経済新聞社〈日経文庫〉、2004年、79頁。
  23. ^ 金融政策決定会合議事録等(2000年8月11日議事録) (PDF) (日本語)
  24. ^ 日本経済新聞社編 『経済学の巨人 危機と闘う-達人が読み解く先人の知恵』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2012年、93頁。
  25. ^ 独占インタビュー ノーベル賞経済学者 P・クルーグマン 「間違いだらけの日本経済 考え方がダメ」 現代ビジネス 2010年8月20日
  26. ^ 日銀 黒田新体制始動 “物価目標 2%実現を”NHK Bizプラス 2013年3月21日
  27. ^ Don't worry about currency wars (英語) ロイター 2013年1月22日
  28. ^ バーナンキ議長も否定した中央銀行「目標の独立性」に固執する野田首相では景気はよくならない!「安倍期待相場」ではやくも市場が動き始めた 現代ビジネス 2012年11月19日
  29. ^ ドル安ではない。円高こそ問題だ。SYNODOS -シノドス- 2010年9月2日
  30. ^ The Effectiveness of Central Bank Independence Versus Policy Rules (PDF) (英語)
  31. ^ インタビュー:日銀は無制限緩和を、物価目標2─3%が適切=浜田宏一教授Reuters 2012年12月28日
  32. ^ 埋蔵金6兆円で好景気に PHPビジネスオンライン 衆知 2008年9月16日
  33. ^ 民主:デフレ脱却へ数値目標、政府・日銀連携を―公約素案 Bloomberg 2010年4月21日
  34. ^ インフレ・ターゲティングはデフレ脱却の特効薬となるのかnikkei BPnet(日経BPネット) 2012年12月27日
  35. ^ 日銀新総裁はゼロ金利に復帰をPHPビジネスオンライン 衆知 2008年5月8日
  36. ^ #254 無知につけ込まれて生きることのないために必要なこと。 - 田中 秀臣 さん(上武大学ビジネス情報学部教授)mammo.tv
  37. ^ 岡部直明 『ベーシック日本経済入門』 日本経済新聞社・第4版〈日経文庫〉、2009年、125-126頁。
  38. ^ 【中央銀行企画】④高望みはいけない 政治は日銀に責任転嫁47NEWS(よんななニュース) 2010年8月13日
  39. ^ 財政ファイナンスをやってはいけない東洋経済オンライン 2012年12月5日
  40. ^ 日本銀行を後戻りさせてはならないRIETI 2012年6月
  41. ^ 「白川総裁は誠実だったが、国民を苦しめた」 浜田宏一 イェール大学名誉教授独占インタビュー東洋経済オンライン 2013年2月8日
  42. ^ 次期政権は日銀法改正し、雇用最大化を目標に=中原元日銀審議委員Reuters 2012年11月30日
  43. ^ アベノミクス・安倍経済政策:期待と課題 金融緩和まだ足りぬ 元日銀審議委員・中原伸之氏毎日jp(毎日新聞) 2013年1月17日(2013年2月2日のインターネットアーカイブ)






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