中央銀行に対する新連邦主義者の思惑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 00:22 UTC 版)
「1819年恐慌」の記事における「中央銀行に対する新連邦主義者の思惑」の解説
合衆国銀行の復活には2つの主目的があった。1つは兌換性を再開することで、州認証銀行の戦後インフレ指向施策を逆転させることであり、2つめは普通の人でも銀行貸付を獲得できる機会を拡大し、事業を促進し、秩序立ち利益の出る西方拡大を実現することだった。 合衆国銀行の規制のメカニズムは、財務省のために預託機関として金融的任務を果たすことにあった。このために個人、事業者、輸入者が税金あるいは関税を払うときに、州立銀行の紙幣を受け入れた。中央銀行は直ちにこれら集金額を正金保有高で財務省に対して信用付けした。合衆国銀行は紙幣を発行した州立銀行が、要求に応じて金と銀でその紙幣を買い戻すことを期待しており、政府銀行に払い戻すいわゆる兌換性を期待していた。 州立銀行は支払能力を維持するために、紙幣を貸し出すことを抑制するのが理想だったが、合衆国銀行が重要な債権者になって、彼等の正金保有高を消費し尽くさせないよう利益を出す必要があった。これに失敗すると、第二合衆国銀行が理論的には正金で政府勘定を即座に清算することを拒んだ金融機関の銀行券に信用を与えなくなり、これが破産の筋書きとなる 。 中央銀行のインフレ貸付における直接の影響力は、その紙幣が政府への資金支払に使われる(すなわち税金と関税)認証銀行に限られていた。 第二合衆国銀行とその支店は、認証されていない貸付機関によって支払われたコマーシャル・ペーパーについて、ほとんどあるいは全く直接の支配権が無かった。すなわち「銀行を始めるために必要なのは...刷版、印刷機、紙であり、『教会、酒場、鍛冶屋』が適当な場所である」という状態だった。これら規制の無い信用機関は、特にヤマネコ銀行の地域において、規制された銀行体系を「ある程度取り入れる」ことになった。
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