ニホンザル 文化の中のニホンザル

ニホンザル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/13 10:01 UTC 版)

文化の中のニホンザル

明治時代に描かれた錦絵風の『桃太郎』のイラスト。1886年。

2015年(平成27年)2月2日発行の5円普通切手の絵柄として採用された[28]

呼び名

日本語「(さる)」は、元来ニホンザルを指して使われた呼び名であった。 異称は「ましら」で、和歌などでは盛んに使われる。南方熊楠によればこれは梵語に由来するものかという[29]

わびしらに ましらな鳴きそ あしびきの 山のかひある 今日にやはあらぬ (凡河内躬恒古今和歌集 ⑲雑体 #1067)

また俗に「エテ公」などとも言うが、これは一種の忌み言葉で、猿が「去る」に通じるのを避けて「得手」と呼んだことが起源とされる[30]。 南方がかつて熊野川を船で下ったとき、船頭は猿を「野猿(やえん)」「エテ吉」と呼び、決して「猿」の名を口にはしなかったという[29]。上記のように「猿が去るに通じる」のを避けるため「エテ」などの別名で呼んだとされるが、「猿」を忌み言葉とする文化は日本以外のアジア圏でも確認できるため、本来はそこに別の意味があったのではないかと考えられる。

いっぽうで、続日本紀に見える柿本朝臣佐留、歌人の猿丸大夫上杉謙信の幼名「猿松」、前田利常の幼名「お猿」など、日本人の名には「猿」を戴くものもあるのだが、南方によればこれは、古く猿をトーテムとする家族が多かった名残であろうという[29]。歌人や演者には「猿」を名前に入れる人が多く、古く日本全体で必ずしもすべての人が「猿」を忌み言葉にしていたのではないことがうかがえる。

ニホンザルのことを英語で Snow Monkey と呼ぶ。

山神としてのニホンザル

猿は古来“山神”とされた[注 2][32]。 猿は他の獣とは違って人の異形にして縮小態であり、それゆえに、山神の使者、あるいは神そのものとされたのも自然な成り行きであった[32]

南方によれば、田畑を荒らされるのを防ぐために猿に餌をやったことが、かえって猿は田畑の守り神であると認知させることになったのだという[32]。 また日吉信仰はおそらくその字のとおり太陽崇拝に関係しており、日の出とともに騒ぎ出す猿は日神の使者と考えられたのではないかという[29][32]中村禎里によれば、猿神が日本土着の起源をもつことは、これが日吉系の各社にかぎらず浅間など各地で山神信仰と結びついていることからも明らか[32]だが、そうした山神としての猿信仰が、仏教とともに流入したインドの土俗神とおそらく習合し、さらに「日吉」「庚申様」「馬頭観音」「猿田彦」などの猿と関連づけられた“看板”を獲得しながら普及する中で、後世の日本人の信仰が形づくられてきたのだという[32]。 なお、再度南方によれば、日本独特の民間信仰である庚申信仰で祀られる主尊・青面金剛とは、ラーマーヤナ説話の主人公・ラーマの本体たるヴィシュヌ神が日本で転化したものであり、青面金剛の足元にたびたび描かれる三匹の猿、「見ざる、言わざる、聞かざる」のいわゆる三猿は、ラーマに仕えたハヌマーンの変形に他ならない[29][32]。 とはいえ当然ながら、日本の信仰に表れる三猿は、まぎれもなく尻尾の短いニホンザルである。

馬と猿、猿曳き

日本には古来、猿は馬を守る守護者であるとする伝承があった。 たとえば「猿は馬の病気を防ぐ」として、大名屋敷などでは厩において猿を舞わせる習慣があった[33]が、こうした猿の舞を生業とする猿曳き(後の猿回し)は、柳田國男によれば、元来“馬医”をも生業に兼ねていた[32]

柳田はまた「厩猿(まやざる)」と呼ばれる習俗を紹介している。 これは東北地方に見られる風習で、馬(や牛)の健康、安産、厩の火除けなどを願って猿の頭蓋骨や手、あるいは絵札などを厩に飾るもの[34]。柳田によればこれは非常に古い伝統で、元来は実物の猿を厩につないでいたものだった[35]。厩に猿を飼う風習は古く『梁塵秘抄』や『古今著聞集』にも例があり[35]、また類似の習俗は中国やタイにもあったという[35]

大衆文化とニホンザル

ニホンザルは比較的身近な生き物であったことから、大衆文化にもよく登場する。 『靱猿』(うつぼざる)は狂言の曲で、毛皮でをこしらえるために猿をほしがる大名と猿曳き、そして子役の演じる猿が登場する著名な演目だが、猿自身が主役となる『猿聟』のような曲も狂言にはある。 『桃太郎』『さるかに合戦』などの有名な説話においても猿は重要な役割を演じている。 ほかにも川柳におもしろおかしく詠まれたり、身近な日用品などのモチーフとしても、猿の意匠はさまざまに使われてきた。

猿の尻木枯らししらぬ紅葉かな (犬筑波集)

「(悪事を)見ざる、言わざる、聞かざる」を象徴するとされるいわゆる「三猿」は、前述のとおり庚申信仰との関わりが深いが、もとは論語の教えや天台宗の教義が日本国内において猿と結びついたものかという。 左甚五郎作と伝える日光東照宮のレリーフが世界的によく知られており、現在では三猿のモチーフは世界各国で見られるようになっている。

見せ物としての猿まわしなどもある。


注釈

  1. ^ 高崎山については「高崎山のサル」(伊谷純一郎 1954, ISBN 9784062919777 )を参照。
  2. ^ 南方は『南方随筆』の中で旧・和歌山県龍神村で見た例を挙げている[31]

出典

  1. ^ Appendices I, II and III (valid from 26 November 2019)<https://cites.org/eng> (downroad 15/04/2020)
  2. ^ a b UNEP (2020). Macaca fuscata. The Species+ Website. Nairobi, Kenya. Compiled by UNEP-WCMC, Cambridge, UK. Available at: www.speciesplus.net. (downroad 15/04/2020)
  3. ^ a b c Watanabe, K. & Tokita, K. 2008. Macaca fuscata. The IUCN Red List of Threatened Species 2008: e.T12552A3355997. https://doi.org/10.2305/IUCN.UK.2008.RLTS.T12552A3355997.en. Downloaded on 15 April 2020.
    Watanabe, K. 2008. Macaca fuscata fuscata. The IUCN Red List of Threatened Species 2008: e.T39909A10282194. https://doi.org/10.2305/IUCN.UK.2008.RLTS.T39909A10282194.en. Downloaded on 15 April 2020.
    Watanabe, K. 2008. Macaca fuscata yakui. The IUCN Red List of Threatened Species 2008: e.T12565A3360100. https://doi.org/10.2305/IUCN.UK.2008.RLTS.T12565A3360100.en. Downloaded on 15 April 2020.
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 石井信夫 「ニホンザル」『日本の哺乳類【改訂2版】』阿部永監修、東海大学出版会、2008年、66-67頁。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah 相見満、高畑由起夫「シリーズ 日本の哺乳類 各論編 日本の哺乳類18 ニホンザル」『哺乳類科学』第33巻 2号、日本哺乳類学会、1994年、141-157頁。
  6. ^ a b c d e f g h i 岩本光雄「サルの分類名(その1:マカク)」『霊長類研究』第1巻 1号、日本霊長類学会、1987年、45-54頁。
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m 上原重男 「ニホンザル」『動物大百科 3 霊長類』伊谷純一郎監修 D.W.マクドナルド編、平凡社、1986年、98-105頁。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 渡邊邦夫 「ニホンザル」『動物世界遺産 レッド・データ・アニマルズ1 ユーラシア、北アメリカ』小原秀雄・浦本昌紀・太田英利・松井正文編著、講談社、2000年、139頁。
  9. ^ a b c d e f 加藤陸奥雄、沼田眞、渡辺景隆、畑正憲監修 『日本の天然記念物』、講談社、1995年、716-720頁。
  10. ^ a b c 相見満「最古のニホンザル化石」『哺乳類科学』第18巻 2号、日本哺乳類学会、2002年、239-245頁。
  11. ^ サルが魚食、写真公開 上高地、信大など研究班 共同通信”. 2022年1月20日閲覧。
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  13. ^ “ニホンザル、ライチョウ捕食の瞬間 研究者が初めて確認”. 朝日新聞デジタル. (2015年8月31日). オリジナルの2016年5月6日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160506053807/http://www.asahi.com/articles/ASH804WG7H80UOOB00F.html 2015年9月1日閲覧。 [出典無効][リンク切れ]
  14. ^ 相見満、高畑由起夫「シリーズ 日本の哺乳類 各論編 日本の哺乳類18 ニホンザル」『哺乳類科学』第33巻 2号、日本哺乳類学会、1994年、p.149
  15. ^ a b 島泰三『魚食の人類史 出アフリカから日本列島へ』NHK出版、2020年、pp.21 - 22(渡邊邦夫の"Fish:A new addition to the diet of Koshima monkeys"『Folima Primatol』vol.52、1989年、pp.124-131からの引用)
  16. ^ 和田一雄「ニホンザルの餌付け論序説—志賀高原地獄谷野猿公苑を中心に」(PDF)『哺乳類科学』第29巻第1号、日本哺乳類学会、1989年、1-16頁。 
  17. ^ 野生鳥獣による農作物被害の推移(鳥獣種類別)”. 農林水産省. 2021年11月3日閲覧。
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  24. ^ 川本芳、川本咲江、濱田穣、山川央、直井洋司、萩原光、白鳥大祐、白井啓、杉浦義文、郷康広、辰本将司、栫裕永、羽山伸一、丸橋珠樹「千葉県房総半島の高宕山自然動物園でのアカゲザル交雑と天然記念物指定地域への交雑拡大の懸念」『霊長類研究』第33巻 2号、日本霊長類学会、2017年、67-67頁。
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  28. ^ 新デザインの普通切手の発行”. 2023年1月31日閲覧。
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