ドーハの悲劇
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脚注
参考文献
- 一志治夫『狂気の左サイドバック 日の丸サッカーはなぜ敗れたか』、小学館、1994年
- 潮智史『日本代表監督論』、講談社、2002年
- 大住良之『アジア最終予選』、双葉社、2005年
- 後藤健生『日本サッカー史・日本代表の90年』、双葉社、2007年
- 後藤健生『日本サッカー史・日本代表の90年 資料編』、双葉社、2007年
- 鈴木洋史『天国と地獄 ラモス瑠偉のサッカー戦記』、文藝春秋、1994年
- 戸塚啓『青の群像 サッカー日本代表クロニクル 1992-2007』、ソニーマガジンズ、2007年
- 杉山茂樹『「ドーハ以後」ふたたび 世界から見た日本サッカー20年史』、PHP研究所、2012年
- 西部謙司 『サッカー日本代表システム進化論』、学習研究社<学研新書070>、2010年
- 『1945-2015 サッカー「戦後70年史」』、ベースボールマガジン社<分冊百貨シリーズ12 永久保存版 全7巻シリーズ③>、2015年
- 「週刊サッカーマガジン」1993年11月17日号、ベースボールマガジン社
- 「Sports Graphic Number No.839 ドーハの悲劇 20年目の真実」2013年10月31日号、文藝春秋社
関連項目
- パリの悲劇
- ヤウンデの悲劇
- メルボルンの悲劇
- ジョホールバルの歓喜 - 1998 FIFAワールドカップ・アジア地区第3代表決定戦 「日本vsイラン」
- 1998 FIFAワールドカップ日本代表
外部リンク
注釈
- ^ カタール時間16時15分開始の日本-イラク戦でアディショナルタイムにイラクの同点ゴールが決まった時刻は18時過ぎであり、6時間の時差の関係で、日本では日付が変わり10月29日の0時過ぎとなっていた。
- ^ イランの敗退が確定し、日本とサウジアラビアが勝ち点6で並ぶが、得失点差で日本が上回るため、日本の2位以上が確定する
- ^ サウジアラビアの敗退が確定し、勝ち点6で日本とイランが並ぶが、得失点差で日本が上回るため、日本の2位以上が確定する
- ^ 韓国の敗退が確定し、日本の2位以上が確定する
- ^ サウジアラビアが1位通過し、勝ち点6で日本と並ぶものの得失点差で上回るか得失点差同点で総得点で日本を上回る韓国が2位になる
- ^ 勝ち点6で日本・韓国・イランが並び、得失点差でイランが日本を上回り、韓国が得失点差で上回るか得失点差同点で総得点で日本を上回るため、日本が3位以下になる
- ^ イランと韓国の敗退が確定し、サウジアラビアの2位以上が確定する
- ^ 日本の敗退と韓国がイラクを上回ることが確定し、韓国の2位以上が確定する
- ^ 勝ち点6で日本と並ぶが、得失点差が4となり3の日本を上回るため、韓国の2位以上が確定する
- ^ 勝ち点6でサウジアラビアと並ぶが、得失点差で韓国が上回るため、韓国の2位以上が確定する
- ^ イランと勝ち点6で並ぶが、得失点差で韓国の方が上回るため、韓国の2位以上が確定する
- ^ a b 勝ち点6でイラク・サウジアラビア・イランが並ぶが、イランは得失点差で、サウジアラビアは総得点でイラクに及ばないためイラクの2位以上が確定する
- ^ 勝ち点6でイラク・サウジアラビア・イランが並ぶが、イラクが得失点差でサウジアラビアとイランを上回るため、イラクの2位以上が確定する
- ^ a b 勝ち点6でイラクとイランが並ぶが、イランは得失点差で及ばないため、イラクの2位以上が確定する
- ^ 日本と韓国の敗退が確定するため、イラクの2位以上が確定する
- ^ 勝ち点6でイラクと韓国が並ぶが、韓国は得失点差で及ばないため、イラクの2位以上が確定する
- ^ 勝ち点6でイランとイラクが並ぶが、イラクは得失点差で及ばないため、イランの2位以上が確定する
- ^ 勝ち点6でイランと日本が並ぶが、日本は得失点差で及ばないため、イランの2位以上が確定する
- ^ 韓国の敗退が確定し、イランの2位以上が確定する
- ^ 勝ち点6でイランと韓国が並ぶが、韓国は得失点差で及ばないため、イランの2位以上が確定する
- ^ 三浦泰年は読売サッカークラブにいた頃ラモスや実弟の三浦知良とプレーし、SBをした経験もあった。
- ^ 当時のルールではFIFA公式戦の交代選手は2人まで。なお1994年ワールドカップ本大会からフィールドプレーヤー2人+ゴールキーパー1人の最大3人に改正された[22]。
- ^ サッカー不人気の理由に「引き分けが多い」というイメージがあったため、発足当時のJリーグは90分間で同点の場合はVゴール方式の30分間の延長戦を行い、それでも決まらない場合はPK戦を行ない決着をつけるという、引き分けが一切起こらないルールを採っていた。
- ^ 当時は終了間際にタッチラインで第4の審判員がアディショナルタイムの目安を表示するルールはなかった。
- ^ 後半4分にオムラム・サルマンのヘディングシュートが決まったが、オフサイド判定で取り消され、怒ったイラクの観客が空き缶を投げ入れた。
- ^ 前節の試合で既に本大会出場を確定。
- ^ FIFA安全規則違反により、アジア予選のホームゲーム国内開催権を剥奪。
- ^ 組み合わせの都合により、日本は最終節の対戦がない。
出典
- ^ “Agony amid drama in Doha”. FIFA.com. 国際サッカー連盟 (2017年6月12日). 2022年12月3日閲覧。
- ^ “Football: Kazuyoshi Miura returns to Qatar 29 years after "Tragedy of Doha"”. Kyodo News (2022年11月22日). 2022年12月3日閲覧。
- ^ “Japan's current generation of players not haunted by 'Tragedy of Doha'”. Japan Times (2022年12月2日). 2022年12月3日閲覧。
- ^ “「ドーハの悲劇」沈黙の30秒は「体感10秒」だった!実況忘れた久保田光彦アナの思い”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2023年5月4日) 2023年5月4日閲覧。
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- ^ 94ワールドカップサッカー アジア地区最終予選 - NHK放送史
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- ^ a b ““ドーハの悲劇”から25年…ラモス瑠偉が武田修宏に「あり得ない!」と恨みを爆発”. ザテレビジョン. KADOKAWA (2018年5月7日). 2018年6月29日閲覧。
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- ^ “フセインの息子の元影武者、「ドーハの悲劇」の背景を暴露”. 映画.com (2011年10月21日). 2013年9月8日閲覧。
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- ^ 戸塚『青の群像 サッカー日本代表クロニクル 1992-2007』55頁。
- ^ 空白の17秒 ~日本がW杯にもっとも近づいた日~ クローズアップ現代+ 1993年12月22日放送
- ^ 鈴木洋史『天国と地獄 ラモス瑠偉のサッカー戦記』323頁。
- ^ ビートたけしのTVタックル 2017年7月2日
- ^ 二宮清純 (2013年11月3日). “ラモス瑠偉「復讐するは我にあり」”. sports communications. 2016年11月21日閲覧。
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- ^ ドーハの悲劇から20年、セルジオ越後氏「あれは悲劇じゃない」 サッカーキング 2013年10月28日
- ^ “小野、高原、稲本ら後の黄金世代が出場、初のアジア王者に/1994年のAFC U-16選手権”. SOCCER KING (2015年9月19日). 2020年9月9日閲覧。
- ^ 浅田真樹 (2013年10月17日). “ドーハの夜。オフトが綴った「二文字」が日本の未来を開いた”. Web Sportiva. 集英社. 2013年11月2日閲覧。
- ^ “マイアミの奇跡”よりも熱かった! “ドーハの悲劇”の教訓が活かされたアトランタ五輪予選・サウジアラビア代表戦2/2 フットボールチャンネル 2013年10月11日
- ^ 【元川悦子コラム】アトランタ五輪プレイバック:「28年の壁」をこじあけた日本、そして「マイアミの奇跡」 Soccer Journal編集部 2012年6月20日
- ^ アジア杯優勝、もうドーハは「悲劇の地」ではなくなった (1/4ページ) 日本経済新聞 2011年1月31日
- ^ “手倉森監督感慨「歴史逆転させた」ドーハでイラク相手にロスタイムV弾”. Sponichi Annex. (2016年1月27日) 2016年1月27日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “ドーハの奇跡!森保ジャパン、浅野V弾で逆転ドイツ倒”. サンスポ. (2022年11月24日) 2023年1月13日閲覧。
- ^ ““ドーハの歓喜”に列島が喜びの渦 堂安が押し込み、浅野が“神トラップ”でトドメ…日本が強豪ドイツに歴史的勝利”. FNNプライムオンライン. (2022年11月24日) 2023年1月13日閲覧。
- ^ “悲劇の記憶は塗り替えられた 「ドーハの奇跡2.0」森保ジャパンは何度でもジャイアントキリングを成し遂げる”. ザ・ワールド. (2022年12月2日) 2023年1月13日閲覧。
- ^ “W杯】E組激動の順位変動 全チームに突破&敗退の可能性あったが歴史は繰り返された”. 日刊スポーツ. (2022年12月3日) 2023年1月13日閲覧。
- ^ “日本代表のグループリーグE組最終戦、めまぐるしく順位変動…同時進行のドイツの状況で一変”. 読売新聞オンライン. (2022年12月2日) 2023年1月13日閲覧。
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