ドーハの悲劇とは? わかりやすく解説

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ドーハの悲劇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/24 16:07 UTC 版)

ドーハの悲劇(ドーハのひげき, 英語: Agony of Doha[1] or Tragedy of Doha[2][3])は、1993年10月28日[注 1]カタールの首都・ドーハアル・アリ競技場で行われたサッカーの国際試合、日本代表イラク代表戦の日本における通称


注釈

  1. ^ カタール時間16時15分開始の日本-イラク戦でアディショナルタイムにイラクの同点ゴールが決まった時刻は18時過ぎであり、6時間の時差の関係で、日本では日付が変わり10月29日の0時過ぎとなっていた。
  2. ^ イランの敗退が確定し、日本とサウジアラビアが勝ち点6で並ぶが、得失点差で日本が上回るため、日本の2位以上が確定する
  3. ^ サウジアラビアの敗退が確定し、勝ち点6で日本とイランが並ぶが、得失点差で日本が上回るため、日本の2位以上が確定する
  4. ^ 韓国の敗退が確定し、日本の2位以上が確定する
  5. ^ サウジアラビアが1位通過し、勝ち点6で日本と並ぶものの得失点差で上回るか得失点差同点で総得点で日本を上回る韓国が2位になる
  6. ^ 勝ち点6で日本・韓国・イランが並び、得失点差でイランが日本を上回り、韓国が得失点差で上回るか得失点差同点で総得点で日本を上回るため、日本が3位以下になる
  7. ^ イランと韓国の敗退が確定し、サウジアラビアの2位以上が確定する
  8. ^ 日本の敗退と韓国がイラクを上回ることが確定し、韓国の2位以上が確定する
  9. ^ 勝ち点6で日本と並ぶが、得失点差が4となり3の日本を上回るため、韓国の2位以上が確定する
  10. ^ 勝ち点6でサウジアラビアと並ぶが、得失点差で韓国が上回るため、韓国の2位以上が確定する
  11. ^ イランと勝ち点6で並ぶが、得失点差で韓国の方が上回るため、韓国の2位以上が確定する
  12. ^ a b 勝ち点6でイラク・サウジアラビア・イランが並ぶが、イランは得失点差で、サウジアラビアは総得点でイラクに及ばないためイラクの2位以上が確定する
  13. ^ 勝ち点6でイラク・サウジアラビア・イランが並ぶが、イラクが得失点差でサウジアラビアとイランを上回るため、イラクの2位以上が確定する
  14. ^ a b 勝ち点6でイラクとイランが並ぶが、イランは得失点差で及ばないため、イラクの2位以上が確定する
  15. ^ 日本と韓国の敗退が確定するため、イラクの2位以上が確定する
  16. ^ 勝ち点6でイラクと韓国が並ぶが、韓国は得失点差で及ばないため、イラクの2位以上が確定する
  17. ^ 勝ち点6でイランとイラクが並ぶが、イラクは得失点差で及ばないため、イランの2位以上が確定する
  18. ^ 勝ち点6でイランと日本が並ぶが、日本は得失点差で及ばないため、イランの2位以上が確定する
  19. ^ 韓国の敗退が確定し、イランの2位以上が確定する
  20. ^ 勝ち点6でイランと韓国が並ぶが、韓国は得失点差で及ばないため、イランの2位以上が確定する
  21. ^ 三浦泰年は読売サッカークラブにいた頃ラモスや実弟の三浦知良とプレーし、SBをした経験もあった。
  22. ^ 当時のルールではFIFA公式戦の交代選手は2人まで。なお1994年ワールドカップ本大会からフィールドプレーヤー2人+ゴールキーパー1人の最大3人に改正された[22]
  23. ^ サッカー不人気の理由に「引き分けが多い」というイメージがあったため、発足当時のJリーグは90分間で同点の場合はVゴール方式の30分間の延長戦を行い、それでも決まらない場合はPK戦を行ない決着をつけるという、引き分けが一切起こらないルールを採っていた。
  24. ^ 当時は終了間際にタッチラインで第4の審判員がアディショナルタイムの目安を表示するルールはなかった。
  25. ^ 後半4分にオムラム・サルマンのヘディングシュートが決まったが、オフサイド判定で取り消され、怒ったイラクの観客が空き缶を投げ入れた。
  26. ^ 前節の試合で既に本大会出場を確定。
  27. ^ FIFA安全規則違反により、アジア予選のホームゲーム国内開催権を剥奪。
  28. ^ 組み合わせの都合により、日本は最終節の対戦がない。

出典

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  62. ^ “日本代表のグループリーグE組最終戦、めまぐるしく順位変動…同時進行のドイツの状況で一変”. 読売新聞オンライン. (2022年12月2日). https://www.yomiuri.co.jp/sports/soccer/worldcup/20221202-OYT1T50242/ 2023年1月13日閲覧。 


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