ドン・キング ドン・キングの概要

ドン・キング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/11 09:17 UTC 版)

Don King
King speaking at FreedomFest in July 2016
生誕 (1931-08-20) 1931年8月20日(92歳)
オハイオ州クリーブランド
職業ボクシングプロモーター
活動期間1954−present
著名な実績"モハメド・アリ vs. ジョー・フレージャー 3", "モハメド・アリ vs. ジョージ・フォアマン"
子供3
公式サイトwww.donking.com

人物・評価

ドン・キング(2007年)
やり手のプロモーター
マイク・タイソンモハメド・アリイベンダー・ホリフィールドラリー・ホームズ等、ヘビー級トップボクサーのビックマッチを手がけたり、実現しても王座が剥奪される事がある統一戦において、ヘビー級統一トーナメントやミドル級変速統一トーナメントや史上初めて全ての試合が世界タイトルマッチになった8大タイトルマッチを実現させるなどボクシング興行における立役者であり、やり手のプロモーターだった。その一方でマフィアと繋がりがあるとの噂や、契約違反やファイトマネーを搾取しているとして提訴されるなど、契約選手及び、そのマネージャーとの金銭トラブルが絶えることがなかったため関係者からの評判は悪い。
当時のプロボクシングのスター選手はアフリカ系アメリカ人が多く、同じアフリカ系アメリカ人であるキングは交渉の際に黒人差別の問題を強調してうまく扇動することで数多くのアフリカ系アメリカ人スター選手と契約に結びつけた。
全盛期は深夜に候補となるプロボクサーの家に勧誘に訪れ、大声と早口でまくし立てて強引に契約を勝ち取る手法を取っていた。
現在は単独で大きな興行が打てないほど力が落ちており、他のプロモーターとの相乗りで興行を開催している。
マイク・タイソンとの契約
タイソンを育てた名トレーナーのカス・ダマトも彼を嫌っており、タイソンには「絶対に組んではいけないプロモーター」だと生前に助言していた。しかしダマトが亡くなり、ダマトの次にタイソンが信頼していたマネージャーのジム・ジェイコブスも亡くなると、タイソンは助言を守ることなくドン・キングと契約した。
これほど悪名高いキングと契約した最大の理由として、やはりアフリカ系アメリカ人という共通点、そして当時のヘビー級のトップボクサーのほとんどがドン・キングの契約下であり、これによって試合が組みやすくなるという事情も背景にあった。事実、ビル・ケイトンやジム・ジェイコブスなどダマト所縁の人物が、タイソンのマネージメントを担当していた頃も、主要試合のプロモーターはドン・キングであったことが多かった。
キングへの評価
マイク・タイソン『貪欲で冷酷な野郎だ、あいつなら1ドルのために自分の母親を殺しかねない。』[2]
ラリー・ホームズ『おれがボクシングで犯した唯一のミスはキングと契約したことだ。俺はあいつの中に悪魔を見た、あいつがあんな変な髪型をしてるのは、角を隠すためだ。あいつから離れようとすると足をヘシ折ってやるとか言って脅されたよ。』[2]
バーナード・ホプキンス『俺はドン・キングが嫌いなんだ。……ボブ・アラムでさえも出来なかったことを俺が成し遂げたんだよ。奴の最後のファイター(タボリス・クラウド)を破り、ボクシング界から追い出してやった』『バークレイズ・センターでも言ってやったんだ。"離れてから10年だな。お前が送りこんできたファイターは全て倒した。20度防衛した内の90%はお前のファイターだった"ってね。ドン・キングを業界から追い出す仕事をバーナード・ホプキンスがやるなんて誰が想像した?』[3]

来歴

生い立ち

オハイオ州クリーブランドで6人兄弟の5番目に生まれる。10歳の時に父親が製鉄所で事故死している。ゲットーアフリカ系アメリカ人居住区)で育ち、地元の中学高校を経てケース・ウェスタン・リザーブ大学に進学した。同大学を中退後、合法非合法を問わず様々な職を経験した。

違法賭博と2件の殺人事件

1950年、クリーブランドで違法賭博の集金人となる、後に違法賭博場を開場、違法ブックメーカーの胴元となる[4]

1954年、キングの賭博場に盗みに入ったとされる男を背後から射殺するが正当殺人と見なされる[4]

1966年、キングに600ドルの借金があり賭博場の元従業員だった男を踏みつけて殺す。元従業員の男は薬物中毒で背も低くやせ細っており、大男のキングに太刀打ちできる状況に無かったがキングは容赦無く頭を踏みつけた。目撃者への脅迫や贈収賄が噂され、目撃者の多くが証言を変える中、現場を目撃していた巡査が「キングの横で拳銃を持った男が見守っていたこと」、「元従業員の男の頭が地面に跳ね返ってゴム毬のように弾むほどキングが頭を強く踏みつけていたこと」を証言した。キングは第2級殺人の罪で懲役20年の有罪判決を受け[4]、オハイオ州のマリオン郡刑務所で3年11ヶ月を過ごすことになる[5]。キングはこの他にも1951年から1966年までの間に違法賭博や交通違反などで35回もの逮捕歴がある[6]

1971年9月、過失致死罪に減刑され、仮釈放される[5]

ボクシングプロモーターヘ

1972年8月28日、ロイド・プライスの助けを借りて、経営危機に陥っていたクリーブランドの地元病院のチャリティー大会でモハメド・アリエキシビジョンマッチをやらせることに成功。8万ドルを稼ぎだす、これがボクシング界参入のきっかけとなった[5]

1973年ラリー・ホームズのマネージャーを務めていたドン・バトラーを口説き、共同マネージャーになることに成功する[4]。(しかし1975年に仲たがいをしてバトラーから告訴されることになる。)

1974年、「ドン・キング・プロダクションズ」を設立[5]

1974年10月30日アフリカザイール(現コンゴ民主共和国)・キンシャサで、世紀の一戦と謳われたモハメド・アリジョージ・フォアマンの対戦『ランブル・イン・ザ・ジャングル』(キンシャサの奇跡)をプロモートしたことにより詐欺的手法で大金を手にしたと言われている。この一戦を契機に名の知れた存在となると同時に悪評も聞かれるようになった。

1975年フィリピンマニラでモハメド・アリとジョー・フレージャーの対戦『スリラ・イン・マニラ』をプロモート。

1977年、選手の戦績を不正に改ざん、ランキングを不正に操作したとしてFBIから捜査を受ける。起訴はされなかったが、これによりABCがキングとのテレビ契約を取り消し、放送打ち切りに繋がった[4]

1980年、再びFBIによって大規模な捜査を受ける。

1981年、ボクサーに1000万ドル支払った初のプロモーターとなる。シュガー・レイ・レナードロベルト・デュランの対戦でレナードに1000万ドル支払われた。

1983年、オハイオ州知事から殺人事件について完全赦免を受ける。

1984年、秘書のコンスタンス・ハーパーと共に保険詐欺容疑で起訴される。1985年にハーパーに有罪判決が下されるが、キングは無罪となる。

1985年、脱税容疑や保険金詐欺など9つの容疑で起訴されるが、全て無罪を勝ち取る[5][7]

1988年マイク・タイソンと契約。

1993年メキシコで13万人の観客を動員したフリオ・セサール・チャベスグレグ・ホーゲンの対戦をプロモート[5]

1995年、マイク・タイソンとピーター・マクリーニーの試合において、WBA、WBC、IBFのランキングを不正に操作しマクリーニーを10位以内にランキング入りさせたとして告訴される、キングは不正があったことを認めている[5]

1997年、マイク・タイソンとイベンダー・ホリフィールドの対戦をプロモート、当時のペイ・パー・ビューの記録を打ち立てる。国際ボクシング名誉の殿堂博物館殿堂入りを果たす。

1999年、IBFの八百長試合、ランキングの不正売買の捜査の一環としてマイアミのキングのオフィスがFBIによって家宅捜索を受ける。

2014年10月、キングの契約選手ギレルモ・ジョーンズがロシアの試合で2試合連続して薬物検査で摘発され、試合を主催していた現地プロモーターがキングに対し240万ドルの損害賠償を請求していた裁判で、キング敗訴の判決が下される[8]

キングはこれまでに、マネージャーやボクサーから100件以上の訴訟を起こされており、裁判費用として3000万ドル以上を費やしたと試算されている[5]


  1. ^ ドン・キング・プロダクション公式サイトによるプロフィールより。IMDbでは1932年12月6日生まれとなっており生年月日については諸説ある。
  2. ^ a b c d e Jack Newfield (1995). Only in America: The Life and Crimes of Don King. William Morrow. ISBN 9780974020105 
  3. ^ http://www.boxingscene.com/?m=show&opt=printable&id=63220#ixzz2NI0JIjb8
  4. ^ a b c d e Don King - A Prison Education”. 2013年6月5日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h Only in America”. ESPN.com. 2013年6月5日閲覧。
  6. ^ a b Sports of The Times;'Trickeration' Trial Of Promoter Don King2”. NYTimes.com (1995年10月15日). 2013年6月5日閲覧。
  7. ^ Sports of The Times;'Trickeration' Trial Of Promoter Don King1”. NYTimes.com (1995年10月15日). 2013年6月5日閲覧。
  8. ^ Report: King liable for Jones’ failed drug test”. Fight.News (2014年10月2日). 2014年10月27日閲覧。
  9. ^ Tyson gets $14 million, but won't see it”. NBCSports.com (2004年6月27日). 2013年6月5日閲覧。
  10. ^ BOXING; King to Pay $7.5 Million To Norris”. NYTimes.com (2003年12月11日). 2013年6月5日閲覧。
  11. ^ Sports Graphic Number 222号 p.24
  12. ^ Vanes Martirosyan Inks Promotional With Don King Boxing Scene.com 2017年3月16日
  13. ^ saac Ekpo, Rafael Mensah Train With McKinley, Praise Don King Boxing Scene.com 2018年3月19日
  14. ^ Don King backing Ekpo and Mensah Fightnews.com 2018年3月19日


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