チベット 旗

チベット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/22 05:41 UTC 版)

チベットの旗(雪山獅子旗)

チベットの旗は雪山獅子旗である。この雪山獅子旗のデザインを考案したのが、日本のチベット研究者で1912年にラサ入りした青木文教といわれる。矢島保治郎によるともいわれる[3]

領域

  中華人民共和国チベット自治区
  チベット[注釈 2] の範囲
  中国により自治区・自治州・自治県等が設置された領域
  インドがアクサイチンの一部とする中国の統治区域
  中国がチベット自治区の一部とするインドの統治区域(アルナーチャル・プラデーシュ州
  歴史的なチベット文化圏(ラダックブータンシッキムネパールの一部)

チベットの領域については、チベット人の伝統的な観念(そしてチベット亡命政府の主張)と中華人民共和国による主張とで大幅な相違がみられる。

チベット人は、「チベット民族居住範囲」にほぼ相当する地域を、伝統的に「チベットの領域」と考えて来た。チベットが伝統的に用いて来た地理的区分方式では、この領域を「チベット三州あるいは「十三万戸」、「プーと大プー」などという形で区分してきた。

中華人民共和国による現行の行政区画では、チベット内には、省級の自治体が2(西蔵・青海)、隣接する四川・甘粛・雲南に分属する形で地区級の自治体が4、県級の自治体が2設置されている

日本

日本では、チベットの領域は、中国のいう「西蔵」部分に限定せず、チベット全域を指すのが一般的である[4]

多田等観は、1923年(大正12年)に次のように述べた[4]

西蔵の境域は、東経七十八度から百三度、北緯二十七度から三十九度に至る地域を占めている。面積は大略七十五万マイル、日本全土(旧朝鮮、台湾を含む)の約二倍半である。南はヒマラヤ山脈、北は崑崙山脈、東はインドシナ山脈、この三つの山脈によって押し上げられた高原国である。この地理的範囲は西蔵人が自分の国として考えている国土の面積である。青海や喀木(カム)をも併せた広い意味での面積である。支那では青海省や西康省を除外した部分を西蔵と称している。(p.233)

チベット亡命政府

チベットを建国した吐蕃(7世紀 - 842年)は、上述のチベット民族の分布領域を全て支配下におき、さらにはその東西南北の隣接地域に進出を果たしていた。ガンデンポタンは、吐蕃時代の領域ではなく、グシ・ハン王朝時代(1642年 - 1724年)の統合領域を主張している。

グシ・ハン王朝(青海ホシュート)は、ダライ・ラマを信仰するオイラトの一部族ホシュートがチベットに移住して樹立した政権で、チベットの民族的分布領域の大部分を征服した。チベット国内に本拠を置く政権による統合としては、吐蕃以来の広大な範囲を誇る。

この政権は、ヒマラヤ南沿地方に位置していたラダックブータンシッキムなどに対する征服ははたさず、結果として、現在、グシ・ハン王朝に征服された地域は中華人民共和国の支配下に、その他の諸地域は独立国(=ブータン)もしくはインド領、ネパール領となっている。

グーシ・ハーン(在位:1642年 - 1654年)が征服地の全てを当時のダライ・ラマ5世に寄進したという立場をとり、グーシ・ハーンとその子孫によって統合された領域を、あるべきチベット国家の領域としている。

中華人民共和国

中華人民共和国政府は、現在、西蔵の部分のみをもって「チベット」だと主張する立場を採っているが、中華民国の中国国民党政府など中国を統治していた歴代政府による「チベット」の枠組み、中国共産党によるチベット(及びその他の諸民族)に対する民族自決権に対する態度は、時期によって大きく変化してきた。中国共産党は、発足当初、ソ連コミンテルンの強い影響をうけ、「少数民族政策」としては、諸民族に対し、完全な民族自決権を承認していた。たとえば、中華ソビエト共和国の樹立を宣言した際には、その憲法において、各「少数民族」に対し民主自治邦を設立し、「中華連邦」に自由に加盟し、または離脱する権利を有すると定めていた。

しかし、国共内戦に勝利し1949年に中華人民共和国を設立した直前には、政治協商会議の「少数民族」委員たちに対し、「帝国主義からの分裂策動に対して付け入る隙を与えないため」に、「民族自決」を掲げないよう要請した。さらに現在では、各「少数民族」とその居住地が「歴史的に不可分の中国の一部分」と支配に都合の良い立場に転じ、民族自決権の主張を「分裂主義」と称して徹底的な弾圧の対象にするようになっている。

中国共産党が、チベット社会とはじめて接触をもち、なにがしかの行政機構を樹立したのは、1934年-1936年にかけて行った長征の途上においてである。中華民国国民政府が中国共産党に対する攻勢を強め、中共軍は各地の「革命根拠地」を放棄して移動し、最終的には陝西省の延安に拠点を据えた。この途上、カム地方西康省)の東部に割拠し、しばらくの間この地を拠点として行政機構や軍事組織の再編に取り組んだ時期があった。

この時、中国共産党は、占拠した町々のチベット人たちに「波巴政府」(「波巴」はチベット語「bod pa(チベット人)」の音写)を樹立させ、1935年、これらの代表を集めて「波巴依得巴全国大会」を開催させ(波巴依得巴 = bod pa'i sde pa は「チベット人の政権」の意)、これらのチベット人政権を統合して「波巴人民共和国」および「波巴人民共和国中央政府」を発足させた。この「人民共和国」は、実際にはカム地方東部の人々のみで組織されたものであったが、国号や「全国大会」の呼称からも明らかなように、チベット人全体の「民主自治邦」として設立されたものであった。

中華人民共和国の建国初期、それまで国民政府の支配下に置かれていたチベット人居住地域にはいくつかの「蔵族自治区」が設けられた。とくに1950年、カム地方のディチュ河以東の地に設立された「西康省蔵族自治区」は、一省の全域をチベット人の「自治区」と位置づけるものであった。

しかしながら、1950年代半ば、これらのチベット人居住地域に「民主改革」「社会主義改造」を施す段階になって、従来の方針を変更、1955年、西康省は廃止されて州に格下げされ、カンゼ・チベット族自治州(甘孜蔵族自治州)として四川省に併合された。

中国がチベット民族の自治行政体を設置している領域。これに青海省の残りの地域(西寧市海東市)を含めるとガンデンポタンが主張するチベット地域とほぼ一致する
上記のうち、西蔵自治区(チベット自治区)の領域

チベット動乱と1959年のダライ・ラマ14世のインドへの政治亡命を経た1965年、従来ガンデンポタンが統治していた領域(=西蔵)上にチベット人の「自治区」として「西蔵自治区」が発足したが、先行して隣接する各地に樹立されていた「チベット族」の自治州、自治県等は、この自治区に統合されることなく現在に至っている。

このようにして成立した中国共産党政府のチベットに対する現行の行政区分の大枠は、1724年 - 1725年に行われた雍正のチベット分割の枠組みにほぼ沿ったものである。

文化

宗教

スポーツ

サッカーチベット代表が結成されているが、国際サッカー連盟(FIFA)には加盟しておらず、FIFAワールドカップに出場する事は出来ない。2001年6月30日、グリーンランド代表と初の国際親善試合を行なった。

音楽

チベットの音楽は宗教音楽としての性質が強い。チベット声楽と呼ばれる独自の声楽がある。

婚姻制度

法律上は、一夫一婦制をとることは、中華人民共和国の共通である。しかし、チベットには一婦多夫制度が慣行として一部に根強く残っている。この場合は、近親者の複数の男性が一人の女性を妻にすることが多く、一婦多夫で同居して共同生活を営む。

祭礼

チベットの主な祭を挙げると、チベット暦(旧暦)で以下の通り。

  • 1月1日:新年「ロサル
  • 1月4日~:ラサで伝召大会
  • 1月15日:スー油灯祭
  • 5月15日:リンカ祭(世界の焼香の日)
  • 7月1日:雪頓祭(ヨーグルトを飲む祝日)
  • 10月15日:吉祥天母祭
  • 10月25日:燃灯節
  • 12月29日:かまどの神の祭

言語・文字

住民の言語はシナ・チベット語族チベット語で、7世紀、国王ソンツェン・ガンポの命によってインドに派遣されたトンミ・サンボータによって作られたという伝承を持つ独自の表音文字(チベット文字)を持つ。住民は、仏教信仰を価値観の中心に据え、高原の自然環境に適応した独自のチベット文化を発達させて来た。

チベット語は独特の言語であり、アルファベットが独特である。また、チベットのアルファベットは、アルファベットのスクリプトバージョンを印刷するために、U-チェンを使用している。

単位

お茶1杯の距離 - 熱いお茶を入れて、それがさめて飲み頃になるまで走り続ける距離という単位。約3km程だとされている[5]


注釈

  1. ^ 雍正のチベット分割を参照。
  2. ^ 中国では通常この範囲を「蔵区」、「蔵族地区」、「西蔵和其他蔵区」と呼ぶが、この範囲を単一の行政区画とするよう求めるチベット亡命政府やダライラマを批難、批判する場合には「大チベット区」という用語が用いられている。2-2節参照。[要文献特定詳細情報]
  3. ^ 1998年2月23日から27日にかけてマレーシアのクチンで開催された第4回会議。
  4. ^ 書類には輸送物が中国語で「川の沈泥」を意味する「ヘニ」と記載されていた。
  5. ^ 甘粛省投棄センターの容量は、当初、6万立方メートルだったが、20万立方メートルにまで拡張された。中国核国営公社のユー・ディリャンは甘粛省投棄センター建設費は100億元(12億5千万ドル)になると語っている。
  6. ^ ダプチ刑務所の北西3.5キロ、セラ僧院の西わずか1キロの位置にある[19]
  7. ^ 北緯37.26度 東経95.08度[20][21]
  8. ^ 北緯37.50度、東経95.18度[20]
  9. ^ ツァイダム南東217キロメートル、北緯36.6度、東経97.12度に位置する。
  10. ^ 2008年4月29日チベット亡命政府発表。死者数については、亡命政府の集計とともに、NGOのチベット人権民主化センターの発表(死者数114人)、中国国営メディア(死者数23人)、米政府系のラジオ・フリー・アジアの発表(死者数237人)などの5団体の内容を照合した[23]
  11. ^ en:Tom Lantos Human Rights Commission
  12. ^ 出演:ダドゥン、ジャンパ・ケルサン。公式サイト:映画『風の馬』
  13. ^ 原題は「Flucht über den Himalaya」(ドイツ語)、監督Maria Blumencron。

出典

  1. ^ 『元史』、『明史』、『庭聞録』など。詳細は準備中
  2. ^ 圖博(西藏) |台灣人權促進會 2020年5月14日閲覧。
  3. ^ ペマギャルポ「中国が隠し続けるチベットの真実」扶桑社,38頁
  4. ^ a b 多田等観『多田等観:チベット大蔵経にかけた生涯』春秋社、2005年8月、pp.217-355(多田明子・山口瑞鳳、2005、pp.233)
  5. ^ 『はかりきれない世界の単位』株式会社創元社、2017年6月20日、72頁。 
  6. ^ 2012 年「西藏自治区統計年鑑
  7. ^ 朝日新聞2008年3月14日
  8. ^ フランソワーズ・ポマレ「チベット」創元社、2003年、103頁
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  10. ^ ウィーン宣言及び行動計画、第1部第11項
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  12. ^ 1984年2月18日、「ワシントン・ポスト」
  13. ^ 1991年4月18日、新華社通信
  14. ^ インターナショナル・キャンペーン・フォア・チベット発「核とチベット」による[要文献特定詳細情報]
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  16. ^ 1995年7月19日付の新華社通信
  17. ^ 1997年5月28日付AFPの報道
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  19. ^ チベットの核汚染-チベットの核兵器”. 2019年4月16日閲覧。
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  25. ^ 産経新聞 2009年1月19日
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