オーストリア自由党
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オーストリア自由党 Freiheitliche Partei Österreichs | |
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オーストリア自由党のロゴ | |
党首 | ハーバート・キックル |
成立年月日 | 1956年[1][2] |
前身政党 | 独立連盟[1][3][4] |
本部所在地 | Friedrich-Schmidt-Platz 4, 1080 Wien[5] |
国民議会議席数 |
30 / 183 (16%) |
連邦議会議席数 |
14 / 61 (23%) |
政治的思想・立場 |
右翼[8][9][10]-極右[2][11][12][13] ポピュリズム[3][12] 右派ポピュリズム[14][15] 欧州懐疑主義[3][12] 反移民[3][11] 反ムスリム[3][12] 反イスラーム主義[16] 国民保守主義[14][15] 社会保守主義[16] 国民自由主義[17] |
シンボル | 青 |
党旗 | |
国際組織 | 自由主義インターナショナル(1978年 - 1993年)[18] |
公式サイト | www.fpoe.at – Freiheitliche Partei Österreichs |
欧州議会会派ではアイデンティティと民主主義に参加 |
概要
「自由党」を名乗るが、自由主義政党というよりも、極右ポピュリズム政党、ドイツ民族至上主義政党の性格が強い。これは、同党が第一共和国時代において「ドイツ民族主義派」と呼ばれた「農民同盟」・「大ドイツ人党」・「護国団」などの大ドイツ主義的な小政党の連合体に由来するところが大きい。ドイツ民族主義派は、ナチスとは民族主義では共通するものの、その政治思想からむしろ競合関係にあったが、アンシュルスの過程においてある部分はナチスに合流し、ある部分は弾圧を受けた。戦後、大ドイツ主義派が合同して再建を目指す動きがあったものの、ドイツ民族主義そのものへの世論の反感や連合国側の警戒から合同に成功したのは1956年の事であり、旧ナチス関係者からオーストリア社会党と連立政権を組むオーストリア国民党に反発する自由主義的な保守層までを内含した政党として発足した。現在の自由党の政策の中にも、出入国管理強化やより厳格な法の執行、家族を保護するための基金の創設などに右派政党としての性格が現れている。
現在の党綱領「オーストリア第一」は2011年6月20日にグラーツで発表された。それ以前の1990年代末、当時自由党内にいたエワルド・シュタッドラー(2007年からオーストリア未来同盟BZÖに所属)によってまとめられた党の原則があった。そこではキリスト教に対する堅固な信頼が語られていた。副党首ノルベルト・ホーファーによって作成された2011年新綱領において、「我々の故郷オーストリア」への郷土愛が明白に語られ、ドイツ語を話す民族と文化共同体への帰属が読み取ることが出来る。オーストリア各地に歴史の中で定住したブルゲンラント・クロアチア人、スロベニア人、ハンガリー人、チェコ人、ロマ等の少数民族をオーストリアに統合された構成要素とみなしている。加えて、オーストリア自由党(FPÖ)は自由な諸民族からなる欧州の擁護者であると言い表している。歴史の中でオーストリアに定住した諸民族と元来の民族(ドイツ人)集団によって形成されている祖国オーストリアの民も欧州の一員であるが、人為的均質化をおこなうことを拒否している[19][20]。
欧州政策
オーストリア自由党(FPÖ)は欧州懐疑主義を支持しているとみなされており、補完性原理も支持している。条約改正時における国民投票の実施に賛成し、欧州連合加盟国により大きな自己決定権を与えることを求めている。これに関連して、多文化主義とグローバリゼーションの無理強いと移民の大規模流入によって、多様な欧州の言語と文化を人為的に均質化してしまうことをオーストリア自由党(FPÖ)は強く拒んでいる。欧州段階でトルコとの友好善隣条約を締結することに党は賛成しているが、トルコの欧州連合加盟には反対を表明している。その理由として、文化的にも地理的にもトルコを欧州の一部とはみなすことは出来ないとしている。欧州連合加盟の適格性を判断するコペンハーゲン基準をトルコが満たしていないことも反対理由としている。また、党は北大西洋条約機構(NATO)のような軍事同盟に加盟することに反対している[19][21][22]。
国内政策と治安政策
オーストリア自由党(FPÖ)は郷土であるオーストリアの守護者と自任しており、国家のアイデンティティと独立性の確立を約束している。オーストリアは元来、移民国家としての原理で形成されていないと理解した上で、ダブリン協定の組み換えと、移民流入の停止、並びに犯罪を行った外国人の無条件国外退去処分を求めている[19]。
家族政策
子供たちと生活を共にする夫と妻の共同体が家族とみなされる。伴侶と共に生きる根源的な場のみが家族であるとみなされている。オーストリア自由党は同性婚を許容しない。オーストリアは移民国家ではないという原則に照らし合わせると、受胎調節を伴う家族計画は許されない。女性クオータ制や ジェンダー・メインストリーミングという考え方を、オーストリア自由党は実際存在する、あるいは誤解された男女の差異を是正しようとする優遇措置であると捉えており、個々人において不公正なものであるとして拒絶している[19]。
党内構造
支持者像と党員
オーストリア自由党(FPÖ)の支持者に関する社会学的分析関して、幾人かの政治学者たちや世論調査研究者たちの見解が明らかにされている。 政治学者アントン・ペリンカによると、オーストリア自由党(FPÖ)の支持者たちは国民保守主義思想に染まっている者たち、社会の現代化とグローバリゼーションの敗者たちから構成されている。現代化の敗者たちは他の者たちよりも極右思想に抵抗感を持たず、とりわけ移民流入に直面した場合は極右思想の影響を受けやすい。ただし、オーストリア未来同盟(BZÖ)との分裂以来、この支持層を獲得するために両党は争っている[23]。
オーストリアの政治学者フリッツ・プラッサーはオーストリア自由党(FPÖ)を核となる部分は支持者の4割程であり、それもイデオロギー的に強固な支持者であるという見解を明らかにしている。支持者の多くは抗議票としてポピュリスト的政治を主張しているオーストリア自由党(FPÖ)に投じているとみなしている。
政治学者ペーター・フリッツマイヤーによると、オーストリア自由党(FPÖ)に投票した支持層において、義務教育学校卒業者の割合がとても高く、徒弟教育修了者と男性の割合も高さが指摘できる。さらに、以前はオーストリア社会民主党(SPÖ)を支持していた労働者階層の一部が支持政党を変更した可能性も考えられる。 オーストリア自由党(FPÖ)は党内において増大しているラディカル勢力とは距離を持っている若い有権者層に集中的に呼びかけをおこなっている[24]。
同様に社会学者で世論調査の研究者であるエバ・ツェグロヴィツは以下の事実を確認した。有権者の教育レベルが高くなるに連れて、オーストリア自由党(FPÖ)への投票割合は少しずつ低下していく。加えて彼女は以下のことを指摘している。若い世代層においても、同じ世代の中で低いレベルの教育を受けた者、あるいは教育程度の低い両親の家庭出身者はオーストリア自由党(FPÖ)への投票する傾向が強い[25]。
2千人を対象にした2010年の世論調査によれば、オーストリア自由党(FPÖ)は旧ユーゴスラビアからの移民が多かった地域で平均以上の27%の支持を得ていた。加えて、この層においてオーストリア社会民主党(SPÖ)に次ぐ支持を党は得ていた。これは党首ハインツ=クリスティアン・シュトラッヘによるセルビア人に向けた選挙キャンペーンが狙い通りに成功した結果とも言える[26]。 2000年代中頃以降、彼はセルビア正教会において祈祷の際用いるコンボスキニオンを常に手に持ちながら、公式行事に参加し、選挙ポスターにも写っている[27][28][29][30] 。
ブルシェンシャフト(学生組合)の影響
オーストリア自由党(FPÖ)の多くの党員はかつて在学していた大学の政治的影響を受け、ブルシェンシャフト (学生組合)への加入歴を持っている。オーストリア抵抗運動文書アルヒーフの報告によると、オーストリア国民議会第23期(2006年から2008年)において、オーストリア自由党(FPÖ)所属国民議会議員の21人中10人がメンズーアと呼ばれる決闘行為おこなった学生組合メンバーであり、党幹部であったマルティン・グラーフとノベルト・ネーメトも同様な経歴を有していた[31][32]。
2017年のオーストリア国民議会選挙で当選したオーストリア自由党(FPÖ)の議員51人中20人(40%)がドイツ・ブルシェンシャフト加盟の学生組合のメンバーである。オーストリア自由党(FPÖ)にいる副党首5人中4人が学生組合出身者である[33][34]。2017年に発足したセバスティアン・クルツ首相率いる国民党・自由党(FPÖ)連立内閣において、オーストリア自由党(FPÖ)所属の閣僚5人がドイツ・ブルシェンシャフト加盟の学生組合 メンバーである[35]。 ハインツ=クリスティアン・シュトラッヘ自由党党首の下で、民族主義的学生組合メンバーが党内で大きな影響を得た。なお、自由党(FPÖ)において学生組合出身のはじめての党首として就任したのが右翼政治家として著名なイェルク・ハイダーだった。自由党(FPÖ)連邦指導部のメンバー37人中22人がドイツ・ブルシェンシャフト加盟の学生組合メンバーであり、圧倒的多数派として存在している[36]。 自由党幹部が属している学生組合ウィーナー・ノイシュタット・ブルシェンシャフト=ゲルマニアの歌集に反ユダヤ主義的歌詞が見つかったことに関して、学生組合の代弁者としての言動が顕在化しているという評論をメーメト・バウマンがノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥングに掲載している。ドイツ主義的学生組合の関連で、人種主義的、反ユダヤ主義、ナチス政権時代で語られていたスローガンが確認できるのは事実であるとメーメト・バウマンはみなしている。なぜなら、1848年革命に見られるブルシェンシャフトの自由主義的理想主義によって党の路線が決められていると自由党首ハインツ=クリスティアン・シュトラッヘは常に明言しているからである。したがって、ブルシェンシャフトとオーストリア自由党(FPÖ)は無関係であるとする最近の見解は完全に間違いである。実際、自由党(FPÖ)はここ数十年において新党員の多くを学生組合メンバーから獲得しており、ハインツ=クリスティアン・シュトラッヘ自身がこの事実をインタヴューで明らかにしている[37]。
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- 1 オーストリア自由党とは
- 2 オーストリア自由党の概要
- 3 党の歴史
- 4 選挙結果
- 5 脚注
固有名詞の分類
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