ハープ[harp、arpa(伊)]
Arpa
.arpa
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/14 23:04 UTC 版)
.arpa | |
---|---|
施行 | 1985年 |
TLDの種類 | インフラ用 |
現在の状態 | 利用可能 |
管理団体 | IANA |
後援組織 | Internet Architecture Board |
利用地域 | IPアドレスの逆引きなどアドレスとルーティングパラメータの領域を掌る。(アメリカ国防総省国防高等研究計画局に由来する) |
使用状況 | 一般ユーザーの目には見えない裏方として使われており、数も少ない。 |
登録の制限 | 指定されたインフラ用途のみに厳しく限定されている。 |
階層構造 | - |
関連文書 | RFC 3172 |
紛争解決方針 | None |
ウェブサイト | IANA .arpa info |
.arpaはトップレベルドメイン (TLD) の一つで、インターネットのインフラのためだけに利用されている。このドメインは、Webサイトが登録されているような一般的なTLDと違い、IPアドレスからホスト名を調べる用途などに使われる。
.arpaドメインは、元々Domain Name System (DNS) への移行を円滑に進めるための一時的な方法として用いられたドメインである。ARPANETはアメリカ国防総省国防高等研究計画局 (ARPA) によって生み出されたインターネットの前身で、DNSが1985年に導入されたとき、ARPANETのホスト名は末尾に.arpaが付け加えられドメイン名に変わった。正式なTLDとしてルートに登録されることは無かったが、他のネットワークでも、.uucpや.bitnetといった擬似ドメインをホスト名に加えるところがあった。このような形のドメイン名は他のより有益なTLDに置き換えることによって、早い段階で排除されていった。
しかしながら、in-addr.arpaがDNSの逆引きに使用されていたため、.arpaを削除・移行することは非現実的だということが分かった。一時は、.arpaを削除するために新しくインフラ用データベースが.intドメイン上に作られたこともあった(例えばIPv6の逆引き用にip6.intが予約された)。しかし2000年5月に、この方針は撤回され.arpaはインフラ目的のために存続することになり、.intは国際機関のためだけに使われることになった。新しい方針によると、バクロニムとして、.arpaはAddress and Routing Parameter Areaの略だということになった。
.arpa上のドメイン
- e164.arpa
- ENUM用。電話番号とURIを対応させるために使われる[1]。例えば、+81-3-1234-5678という電話番号を持つ電話機に接続するためのプロトコルと接続先ホストを調べるためには、8.7.6.5.4.3.2.1.3.1.8.e164.arpaをDNSに問い合わせればよい。設定されていれば、NAPTRレコードにプロトコルと接続先ホストが登録されている。
- home.arpa
- ホームネットワーク用[2]。
- in-addr.arpa
- IPv4アドレスのDNS逆引き用。例えば、198.51.100.162というIPアドレスを持つホストのホスト名を調べるためには、162.100.51.198.in-addr.arpaをDNSに問い合わせればよい。ホスト名の逆引きが可能であればPTRレコードにホスト名が登録されている。
- iris.arpa
- CRISP用。
- ip6.arpa
- IPv6アドレスのDNS逆引き用。例えば、2001:db8::1というIPアドレスを持つホストのホスト名を調べるためには、1.0.0.0.0.0.0.0.0.0.0.0.0.0.0.0.0.0.0.0.0.0.0.0.8.b.d.0.1.0.0.2.ip6.arpaをDNSに問い合わせればよい。ホスト名の逆引きが可能であればPTRレコードにホスト名が登録されている。
- uri.arpa
- DDDS (RFC 3405)で使用される、URIの正規表現を返すためのもの。例えば、http.uri.arpaをDNSに問い合わせると、httpプロトコルのURIの正規表現がNAPTRレコードで返される[3]。
- urn.arpa
- DDDSで使用される、URNを引くためのもの。例えばpin.urn.arpaをDNSに問い合わせると、URN"pin"に対応するURIがNAPTRレコードで返される[4]。
註
- ^ “インターネット10分講座●ENUM”. 2009年12月16日閲覧。
- ^ RFC 8375
- ^ URL.ARPA登録メーリングリスト
- ^ URN.ARPA登録メーリングリスト
外部リンク
- IANA information on .arpa and its subdomains
- Description of in-addr.arpa domain in RFC 1035 (DNS specification)
- RFC 3172 – Management Guidelines & Operational Requirements for the Address and Routing Parameter Area Domain ("arpa")
国防高等研究計画局
(.arpa から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/11 12:52 UTC 版)
国防高等研究計画局(こくぼうこうとうけんきゅうけいかくきょく、Defense Advanced Research Projects Agency)は、軍用技術の開発および研究を行うアメリカ国防総省の特別の機関である。日本語では防衛高等研究計画局、国防高等研究事業局などとも表記される。略称はダーパ(DARPA)。ARPAの時期にインターネットの原型であるARPANET・全地球測位システムのGPSを開発したことで知られている。
- ^ “About Us”. Defense Advanced Research Projects Agency (n.d.). 2019年9月29日閲覧。
- ^ “Budget”. Defense Advanced Research Projects Agency (n.d.). 2023年5月2日閲覧。
- ^ Shorrock, Tim (2008). Spies for Hire: The Secret World of Intelligence Outsourcing. Simon and Schuster. p. 221. ISBN 9780743282246.
- ^ “動く標的を自動追尾、「かわせない銃弾」の実験に成功”. CNN. (2015年4月30日) 2017年6月24日閲覧。
- 1 国防高等研究計画局とは
- 2 国防高等研究計画局の概要
- 3 選定方法
- 4 関連項目
ARPA
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 19:23 UTC 版)
通常は、探知情報をレーダー・スクリーンにそのまま表示するだけだが、ARPA(Automatic Radar Plotting Aids)と呼ばれる装置によって探知対象を記憶することで運動方向や航跡を表示する機能が提供されるようになっている。
※この「ARPA」の解説は、「航海術」の解説の一部です。
「ARPA」を含む「航海術」の記事については、「航海術」の概要を参照ください。
ARPA
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 04:51 UTC 版)
「ロバート・テイラー (情報工学者)」の記事における「ARPA」の解説
1965年、NASAからARPAのIPTOに移り、当初はアイバン・サザランドを補佐し、間もなくIPTOを指揮するようになった。IPTOでは主要な大学や企業の研究所でのコンピュータ関連の先端研究に資金提供している。ARPAが資金提供したコンピュータ関連プロジェクトにはタイムシェアリングシステム (TSS) に関するものがあった。それは単一の大型コンピュータを端末経由で複数人で同時に利用できるもので、従来のパンチカードや紙テープによるバッチ処理とは異なる対話的な利用形態である。ペンタゴンにあるテイラーのオフィスには、MITのTSSに接続した端末、カリフォルニア大学バークレー校のTSSに接続した端末、サンタモニカの System Development Corporation のシステムに接続した端末があった。それぞれがユーザーのコミュニティを形成しているのに気付いたが、どのコミュニティも互いに孤立していた。 テイラーはARPAが資金提供しているプロジェクト群を相互接続するコンピュータネットワークを構築し、1つの端末で全部と通信できるようにしたいと考えた。サザランドが教職に戻ると、1966年6月にテイラーが正式にIPTOの管理者となった。1966年2月には早くもネットワーク構築の必要性をARPAの Charles M. Herzfeld に進言してプロジェクトの予算を確保し、MITのリンカーン研究所からローレンス・ロバーツを引き抜いてプロジェクトを任せた。ロバーツは当初ワシントンD.C.に移ることに難色を示したが、ARPAはリンカーン研究所に多額の資金を提供しており逆らえなかった。このプロジェクトにはリックライダーも助言しており、また Wesley A. Clark はネットワークの各ノードに専用のコンピュータ Interface Message Processor を配置し、集中制御ではなく分散制御することを提案した。ARPAはこのシステム構築について見積依頼 (RFQ) を発行し、Bolt, Beranek and Newman (BBN) が受注することになった。AT&Tのベル研究所とIBMの研究部門にもプロジェクト参加の打診があったが、興味を示さなかった。1967年、関係者を集めた会議が開催されたが、ネットワークで接続される予定の各拠点はそれぞれの研究の進捗に影響が出るとして、このネットワークの試験に抵抗を示した。 J・C・R・リックライダーとテイラーは、1968年4月に論文 "The Computer as a Communication Device"(通信装置としてのコンピュータ)を共同執筆して発表した。インターネットの未来を予見したこの論文は次のような一文で始まっている。 数年以内に、人々は直接会うより効率的にマシンを通してコミュニケートできるようになるだろう。 実際には、数年より若干時間がかかって実現した。 あるときテイラーはARPAから、ベトナム戦争についての複数の報告書間の矛盾について調査することを命じられた。35歳ながら民間人としての地位にふさわしい「准将」の階級を与えられ、戦地であるベトナムにも数回赴いた。サイゴンでは南ベトナム軍事援助司令部にコンピュータセンターを立ち上げるのを助けた。これにより戦地とアメリカとの通信状況は改善され、報告はより一貫したものとなった。この仕事のため、1969年にARPANETが始動した際にはプロジェクトから離れていた。 その後1年ほど、ユタ大学でARPAの資金でコンピュータグラフィックスを研究していたアイバン・サザランドの下で働いている。1970年、次の職に就くためカリフォルニア州パロアルトに引っ越した。
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