阿弥陀池
阿弥陀池
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 23:11 UTC 版)
『新作和光寺』の題で上方の桂文屋が作ったもの。1906年(明治39年)4月8日の「桂派落語矯風会」で初演。のちに初代桂春團治が現在に伝わるクスグリの多くを加味して得意ネタとしたものが、スタンダードな演じ方の『阿弥陀池』として確立した。主な演者に3代目桂米朝、2代目桂枝雀、桂坊枝、3代目桂歌之助などがいる。
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阿弥陀池
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男(喜六とされる場合あり)が隠居を尋ねると、隠居が何かを畳の上に置いたので、饅頭か何かを隠して食べている、と思い込んだ男は隠居を詰問する。「わしゃ新聞読んでたんや」「新聞て読むもんか? 下駄包んだり弁当包んだりする……」隠居はあきれ、「お前は新聞を読まんさかい、世間のことが何にも分からん。新聞読みや(=読めよ)」と男を諭すが、男は「そんなもンわたい(=私)、新聞読まいでも(=読まなくても)世ン中のこと知ってるわ」と意地を張るので、隠居は堀江の「阿弥陀池さん」こと和光寺で起こった強盗騒動を知っているか、と男に尋ねる。「あらあ(=あれは)尼寺やで。女の坊(ぼん)さんを尼というのじゃ」「男の坊さんは西宮という」「そないなこというかいな」(尼崎を「尼」と略すことにかけた駄洒落) 隠居は、次のような事件を語って聞かせる。ある晩、和光寺に押し入った賊が、ある尼僧に「金を出せ」とピストルを突きつけるが、尼僧は落ち着き払って胸をはだけ、「過ぎし日露の戦い に、私の夫・山本大尉は乳の下、心臓を一発のもと撃ち抜かれて名誉の戦死を遂げられた。同じ死ぬなら夫と同(おんな)じ所を撃たれて死にたい。さぁ、誤たずここを撃て」と賊に言い放った。賊は尼僧に向かって平伏し、「私はかつて山本大尉の部下で、山本大尉は命の恩人とも言うべき人。その恩人の奥さんのところへピストルを持って忍び込むとは無礼の段、平に御免」と言うなり、ピストルをこめかみ(あるいは、のど)に当てて自殺しようとしたが、尼僧はそれを押しとどめて賊を諭した。「おまえは根っからの悪人ではない。誰かが行けとそそのかしたのであろう。誰が行けと言うた?」 「ちゅうたらこの盗人(ぬすと)、『へぇ、阿弥陀が行け(=池)と言いました』っちゅう……ははは、ちょっとようできた話やろ?」 「にわか(=冗談)ですかいな。もし、あんじょう(=正確に)言うてえな」「せやから、お前が新聞読まんさかい、こないして騙されるねん。新聞読んでたら『あんた嘘言うたらあかん。そんなこと新聞に載ってまへんがな』と言えるやろ」 それでも新聞を読もうと考えない男に対し、隠居は続けて「東の辻の米屋に盗人が入ったん知ってるか」と男に語って聞かせる。「今度はピストルやない、長い抜き身(=刀)をぶら下げて『金を出せ』とこう来た。ところがオッサン、びっくりせんわい。ちょっと腕が利いたねやな」「腕が利いた?」「腕に覚えがある、ちゅうことや」「覚え、ちゅうと?」「若い時に柔道の修業をして、柔(やわら)の心得があり、手向かいをした、これがいかんがな。『生兵法は大怪我の元』や。切り込んできたところをパッと体(たい)をかわした。よろめいたところを肩にかついで、土間にドーンと叩きつけた。相手が刀を取り落し、仰向けになったところを、四つばい(=四つんばい)になって、馬乗りで押さえつけた。ところが盗人も抜かりがないわい、懐に手ェ突っ込むと、かねて用意の匕首(あいくち)を取り出して、下からオヤジの心臓をブスーッと突いた。『アーッ』と言うたンがこの世の別れや……死んでもたがな。この盗人、米屋のオッサンの首をかき落とすと、ぬかの桶へ放(ほ)り込んで、逃げていまだに捕まらん。こんな話、お前聞いたか?」 「いや、聞かん」「聞かんはずや、『ぬかに首』やがな(「聞かん→利かん」=「ぬかに釘」という駄洒落)」 再び冗談でからかわれた男は隠居宅を飛び出したが、気が収まらない。誰かを「ぬかに首」でかついでやろう、と友人の家を尋ねるが、言葉をよく知らないため「腕が利いた」を「腕が切れて手がボロボロ」、「柔道で柔の修業」を「十三(じゅうそう)で柔らかい焼き餅の修業」、「生兵法は大怪我の元」を「生麩は焼き麩の元」「生煮えは半煮えの元」と言うなど、しどろもどろになって一向にうまくいかない。 「盗人がパッと切り込んで来たとこをオッサンが……そう、西宮かわしよったんや」「あんなもンかわせるかィ」「ほれ、西宮に有名なもンがあるやろがな」「えべっさんか?」「えべっさんの手ェに持ったある……」「釣り竿や」「釣り竿の先の方」「テグスか?」「テグスのまだ先や」「浮き?」「まだ先や」「重り?」「もうちょっと先」「針か?」「針に付いてるもンや」「餌か?」「どつく(=殴る)で、ホンマに。餌に食らいついとる、赤い大きい魚が」「そら、鯛やろ」「……体をかわしよったんや。ほんで、盗人を土間へダーンと叩き付けて、仰向けにひっくり返ったとこ、オッサン、盗人のとこへ夜這いに行たんや……ところが盗人、懐へ手ェ突っ込むと、かねて用意のガマ口で……下から、おやっさんのシンネコついたんや。いや、そやあらへん。シントラでもなし、シンサルでもなし……ああ、お前、鼻の長いの知ってるか」「鼻の長いのなら天狗さんじゃろ」「シンテング。こらちゃうわ。それ、あの動物園におる」「あんじょう物言え。そら象やろが」「ああ。そうそう。心臓。ああ、シンゾ(=しんど)。この話、聞いたか?」 ここで友人が「いや聞かん」と返せば、「聞かんはずじゃ、ぬかに首」と駄洒落を言うことができたが、「今、お前から聞いた」と言うので、男は言うことがなくなり、「ほなさいなら」と友人宅を逃げるように去る。 気が晴れない男は、今度は隣町の友人宅を尋ねる。「東の辻の米屋へ、ゆうべ盗人が入ったんや」「うちの東の辻に、米屋なんかあらへんがな」「違う、西の辻や」「西の辻にもない」「北の辻」「北の辻にもないで」「……この辺に米屋ないやろか?」「お前米屋探して歩いてんのか? そやったら、うちの真ァ裏に『米正』があるがな」「その米正にゆうべ盗人が入ったんや……パッと切り込んで来るところを体をかわして……」「米屋のオヤッさんなら3年前から中風(ちゅうぶ)で寝てるがな」「息子はおらんのか」「居てるがな」「息子は腕に覚えがある……」「息子、まだ7つや」「そこの家には若い衆はおらんのか」「それやったら、ヨシやんいう威勢のええのがいてるがな」喜んだ男は、順調に米屋の冗談を語る。「……ヨシやん死んでもたがな。むごたらしい、首をかき落として、ぬかの桶へ放り込んで逃げていまだに捕まらん。こんな話、お前聞いたか?」 すると隣町の友人は泣きながら男を見据え、「よう知らしてくれた!」と男をねぎらった。隣町の友人にとってヨシやんは妻の弟であり、「田舎へ電報を打て」「葬式の準備せえ」と急いで妻に命じる。「ちゃう! ちゃう! 嘘や! 嘘やがな!」「こら、世の中にはついてええ嘘と悪い嘘とあるぞ。洒落や冗談で人が死んだとか殺されたとか言うもんやない。おのれの知恵やあるまい(=お前の発案ではないだろう)。誰が行け、ちゅうたんや」 「ええ……阿弥陀が行けと言いました」
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阿弥陀池
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尼寺の強盗噺を冗談だとばらす際、「これは噺家がしゃべってたんや」などと説明する演じ方がある。初代春團治は「曽我廼家の喜劇や」と演じていた。 「便所の壁に(補修のために)貼っている新聞を毎日読んでいる」というクスグリは3代目米朝が工夫した。
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阿弥陀池(あみだ池)
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境内に阿弥陀池(あみだいけ)がある。堀江新地の開発以来、和光寺の東西一帯は阿弥陀池に由来した御池通(みいけどおり)という町名となり、明治の一時期を除いて1978年(昭和53年)に現在の町名に変更されるまで存在した。池の中央には放光閣(ほうこうかく)という宝塔がある。上方落語の演目の舞台にもなっている(尼寺であることも、ネタの中で触れられている)。
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