近年の外交政策
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「中華人民共和国の国際関係」の記事における「近年の外交政策」の解説
近年、中国の指導者は世界各地を訪問している。中国は国連安保理の常任理事国であり、他の国際機関においても既に高い地位を占めているが、それでもなおより高みを模索している。 中国はアジアにおける緊張を和らげる努力をし、20世紀の最後の10年の間に中国とアジアの近隣諸国との関係は安定した。中国は朝鮮半島の安定化に貢献し、ASEAN諸国(ブルネイ、ミャンマー、インドネシア、ラオス、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナム)と協力関係を築き、ASEAN地域フォーラムに参加した。1997年、ASEAN諸国、中国、韓国、日本は地域間協力の強化について話し合うため、ASEAN+3を毎年開催することを合意した。2005年、ASEAN+3諸国とインド、オーストラリア、ニュージーランドは東アジアサミットを開催した。南シナ海における東南アジア諸国との国境紛争は続いており、東シナ海においては日本との領土問題を抱えている。 中国はロシアとの関係を改善した。2001年7月、ウラジーミル・プーチン大統領と江沢民国家主席は米国を牽制することを主眼として中露善隣友好協力条約に署名した。2001年6月、両国は中央アジア諸国(カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、ウズベキスタン)と共に上海協力機構(SCO)を設立し、加盟した。上海協力機構は地域の安定化とテロとの戦いにおける協力を目指している。 インドとの関係もかなり改善された。長年に渡る競争、互いの不信(中国はパキスタンと、インドは旧ソ連とそれぞれ関係が深かった)、国境紛争など、世界で最大の人口を誇る両国の関係はこれまで調和がとれたことはなかったが、21世紀に入って経済や戦略などの面で協力関係を築き始めた。両国の貿易額はここ数年で倍増し、中国はインドが2008年までに最大の貿易相手国になることを期待している。両国は海軍の共同軍事演習を行うことを計画している。2003年、中国とインドは1962年の中印国境紛争以来、初めて交渉を行った。しかし、アクサイチンとアルナーチャル・プラデーシュ州の帰属問題は未だに確定しておらず、両国の関係改善の課題となっている。インドは中国がパキスタンとバングラデシュに対して軍事援助を行っていることに、中国はインドが日本、オーストラリア、米国との軍事協力を強化しつつあることに対して異議を唱えている。 中国はトンキン湾におけるベトナムとの領海問題、日本との領海問題を含む領土、領海紛争を抱えている。中国は1997年11月、ロシアとほとんどすべての国境紛争の解決を合意し、2000年には依然として南シナ海のいくつかの島嶼の帰属が未解決であるものの、ベトナムと領海紛争の解決を合意するなど多くの紛争を解決した。 1990年代の後半から21世紀初頭にかけて、中国は米国の牽制を目的としてロシアとヨーロッパとの外交関係を改善することに焦点を合わせた。この戦略は米国がロシアやEUに対し、経済的、軍事的、技術的に圧倒的に優越し、影響力を及ぼすことができる唯一のen:hyperpowerであるという前提に立っていた。この米国の力の評価はコソボ紛争の後再考され、20世紀の終わり、中国のシンクタンクでは世界においていかにして東洋が力を取り戻すかについての外交政策が議論されていた。この議論は冷戦後において国家が軍事同盟や軍事ブロックを基点とする思考から経済、外交の協力を基点とする思考へ移行することが求められるという中国の新しい安全保障の概念の文脈上において発生した。 中国は長い間北朝鮮と同盟関係にあっただけでなく韓国とも貴重な貿易相手国でありつづけてきた。2000年代の初頭、中国は朝鮮半島の緊張を解決するため北朝鮮、韓国、ロシア、日本、米国、中国による六者会合の開催を提唱した。中国は北朝鮮核問題についての話し合いにおいて仲介の手段となった。2003年、中国はASEAN諸国との関係改善への努力をし、共同で東アジア市場を形成した。これらの外交政策の努力は中国の平和的台頭として知られている外交政策の一般原則の一環である。2005年11月15日、胡錦濤国家主席はソウルを訪問し、経済開発での地域的な平和と協力における両国の貢献の重要性について語った。 しかし、中国は2つの重要な隣国、インドと日本の国連安保理の常任理事国入りに反対し、この問題が両国の関係にとって刺激的なものであることが分かった(安全保障理事会改革問題も参照)。日本のその巨大な経済と文化のアジアにおける影響は中国にとって地域的な外交において最も手強い相手でありかつパートナーであると見ている。両国の外交関係は1972年に樹立され、日本の中国に対する投資は中国経済の改革開放の初期の頃から現在に至るまで重要な役割を果たしている。中国は日本と2回戦争をした経験があり、中国は長い間日本の軍事力を定期的に問題視し続けてきた。又、日本の歴史教科書における第二次世界大戦時の日本軍の残虐行為に対する記述や靖国神社問題などをことあるごとに取り上げて日本に対する強力な外交上の武器としている。一方で靖国神社参拝は日本側の有効な対中外交カードになるという意見もある。これは日本は内政干渉をすることなく、中国内部を刺激することが可能であるという理論に基づいている。2010年の尖閣諸島中国漁船衝突事件により中国側で発生した反日デモが一部では反政府デモになっていた事もあり、当局がこれを禁止したことからも窺える。 インドやロシア、ベトナムとの関係は改善されてはいるが警戒状態は続いている。中国は2000年代以降大規模な軍拡を行っており、これが先の関係を改善した国々との間で摩擦となっていた。2008年には日印安全保障宣言が、2011年には米越の軍事的接近が行われており対中包囲網の形成を招いている。 アメリカは日米露3国での軍事訓練、日本は防衛大綱の見直しと南西諸島の防衛強化や潜水艦保有数の拡大、ベトナムはインドとの協力体や潜水艦の購入と2010年以降急激に中国と隣接する国が協力体制を構築している。また隣接する国の対中感情も良好とはいえない国が多く、比較的対中感情の良かった日本も2010年の尖閣諸島中国漁船衝突事件を受け大幅に悪化している。 2004年8月、胡錦濤国家主席は国家的な外交部会において、中国が「独立した平和的な経済開発援助政策」を続けることを繰り返し述べ、平和で安定した国際的環境の建設と特に中国の隣国との「互恵的な協力」と「共同開発」を促進する必要性を強調した。この政策の意図は1949年の中国の建国以来ほとんど変わっていない。しかし、そのレトリックは国内の政治の大変動期には障害となる部分が変更された。 2005年にはEUが対中武器禁輸措置解除について話し合いを行ったが、米国はこれに反対した。
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