解放戦争と内戦とは? わかりやすく解説

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解放戦争と内戦(1810年-1829年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 19:22 UTC 版)

アルゼンチンの歴史」の記事における「解放戦争と内戦(1810年-1829年)」の解説

近代における世界の一体化#ラテンアメリカ諸国の独立」、「五月革命 (アルゼンチン)」、および「アルゼンチン独立戦争」も参照 1806年1807年イギリス軍ブエノスアイレスモンテビデオ侵攻後、アメリカ独立革命などの影響受けていたクリオーリョ達は、ナポレオンによるフェルナンド7世退位とそれを契機勃発したスペイン独立戦争によって生じた政治的空白埋めるために、カビルド・アビエルト開かれた市会)を開いて表面的にフェルナンド7世への支持標榜しながらも、5月25日副王退位自治委員会(プリメラ・フンタ)の設立決議し実質的にペニンスラールスペイン本国出身者)から植民地行政権奪取した。この五月革命は、しかし、すぐに矛盾明らかにした。つまり、植民地時代から続く都市スペインヨーロッパ的な文明生活と、地方アメリカ土着的伝統生活の差異は、ブエノスアイレス内陸都市対立となって新たな国家形成する際に相互対立もたらし、「本質的に異な二つ国家プロジェクトを持つアルゼンチン共存」(アルゼンチンの文学者 アルトゥーロ・ソネーゴによる表現)は、独立時国家形成あり方巡って大きな波乱引き起こしたのである1810年5月25日五月革命から、1829年フアン・マヌエル・デ・ロサス登場による小康挟んで1853年自由主義者による憲法制定と、1862年国家統一まで、特にブエノスアイレス中心とするヨーロッパ的なアルゼンチンと、モンテビデオ、および内陸部諸州を中心とする土着的アルゼンチン対立続き最終的に1880年首都令により、ブエノスアイレス正式に連邦首都定められるまでこの対立は続くこととなったシモン・ボリーバルと並ぶラテンアメリカ解放者ホセ・デ・サン・マルティン立憲君主制によるアルゼンチン独立主張したブエノスアイレス代表者 マヌエル・ベルグラーノブエノスアイレス中心とした中央集権主義推し進める一方でアルト・ペルー解放に力を注ぎインカ帝国復興をも実現しようとした。アルゼンチンの国旗制定者でもある。 連邦同盟代表者 ホセ・ヘルバシオ・アルティーガス。ブエノスアイレス中央集権主義対抗し連邦同盟の諸州の先頭立って戦い続けたアルゼンチンの国旗連邦主義の赤を加えアルティーガスの旗制定したスペイン語ケチュア語書かれ南アメリカ連合州(リオ・デ・ラ・プラタ連合州)の独立宣言 五月革命革命指導した指導者展望も全くの不統一であり、早急に独立目指しジャコバン的なマリアーノ・モレーノから、自治拡大のみに意識絞ったコルネリオ・サーベドラまで幅広い路線抱えていたため、すぐに内部対立生じた独立派勢力にも、君主制または立憲君主制導入試みた君主派、共和制による統一試みた共和派があり、君主派の中でもスペイン王室から国王迎えるべきだと主張するホセ・デ・サン・マルティンから、ベネズエラ独立指導者フランシスコ・デ・ミランダのように、インカ皇帝復活させてインカ皇帝元首とした立憲君主制導入試みようとしたマヌエル・ベルグラーノのような勢力まで千差万別だった。1816年7月9日トゥクマン議会公布され南アメリカ連合州(リオ・デ・ラ・プラタ連合州)の独立宣言にはベルグラーノ大きな役割果していたが、アルゼンチン独立宣言スペイン語ケチュア語発表されインカ皇帝復活決議されのである。そして、国家公用語スペイン語ケチュア語アイマラ語となる予定だった。 さらに、ブエノスアイレス主導中央集権主義、つまり植民地時代から続く海外貿易ブエノスアイレス港による独占自由貿易認めることを軸に進んだ独立運動は、まもなく地方諸州に大きな困窮もたらすことが明らかになった。五月革命アルゼンチンとの自由貿易を望むイギリスによって祝福され他方で自らもブエノスアイレス大商人大土地所有者だった独立指導者サーベドラモレノ、プエイレドン、ベルグラーノら)もヨーロッパイギリスとの自由貿易望み1810年から1816年の間に貿易の自由化制度化されていった。これにより、植民地時代発展していた内陸部軽工業は、産業革命進めていた安価なイギリス製品自由競争破れ(この時にイギリスヨークシャー製のポンチョは3ペソ国産ポンチョは7ペソだった)、地方諸州で失業貧窮広がることになる一方でアルゼンチン皮革塩漬け肉の輸出引き換えに、高価なヨーロッパ製の嗜好品ブエノスアイレスの上階級もたらされた。 ラ・プラタ副王領中でもパラグアイアルト・ペルーバンダ・オリエンタルコルドバ革命当初からブエノスアイレス主導権拒否していたが、ブエノスアイレス制圧成功したのはコルドバのみに限られパラグアイではマヌエル・ベルグラーノ遠征軍1811年敗れバンダ・オリエンタル王党派支配続きアルト・ペルー解放一向に進まなかった。このような経過の中で、自由貿易により困窮する地方勢力1814年バンダ・オリエンタル出身のホセ・ヘルバシオ・アルティーガスの連邦同盟の下に結集することになった。アルティーガスはブエノスアイレス主導独立運動打破するために、共和派として各州対等立場アメリカ合衆国のような連邦国家形成することを望んでおり、さらにラテンアメリカ産業保護するための保護関税や、雇用国内市場創出のための支配地における農地改革実践などの優れて寡頭支配的な功績残したが、ブエノスアイレスリオデジャネイロ寡頭支配層の挟み撃ちにあって1820年ポルトガルにより東方州が完全占領されると、アルティーガスは失脚した。これ以降連邦主義ロサスリトラル三州カウディージョを代表とする、寡頭支配を望む大土地所有者による既得権益保護のための制度となった。なお、1820年中央政府崩壊後ブエノスアイレス州でも1821年州内大臣になったベルナルディーノ・リバダビアの政策永代借地法)により、土地寡占化進行することになったこのような情勢の中でアルト・ペルー遠征最終的に失敗しベルグラーノ北部軍司令官辞任すると、アンデス軍司令官となったサン・マルティンによりスペインとの戦い継続された。サン・マルティン1817年チリへの遠征行いチャカブコ戦いとマイプーの戦いでチリアルゼンチン独立保障した後、チリ軍客将となってスペイン南米支配最大拠点だったペルー解放した一方でアルゼンチン本国では、それぞれガウチョカウディーリョ軍事力頼みにしていたアルティーガスの連邦同盟と、プエイレドンのトゥクマン議会内戦激化していた。プエイレドンは1819年5月中央集権憲法制定したため、地方諸州の蜂起招き失脚した。しかし、アルティーガスも1820年1月タクアレンボー戦いでポルトガル軍敗れパラグアイ亡命したこのような情勢の中で1820年2月にセペーダの戦いでリトラルカウディーリョ政府軍破り中央政府崩壊した。 しかし、中央政府崩壊の不利と、ポルトガル・ブラジル連合王国支配されシスプラチナ改名されバンダ・オリエンタル奪回地方諸州とブエノスアイレス団結させるには十分であったリトラル三州中心とする旧連邦同盟諸州から東方州奪還求める声が強くなり、1825年1月にはブエノスアイレス州外交権認め基本法制定され4月にはフアン・アントニオ・ラバジェハ将軍率い33人の東方人バンダ・オリエンタル潜入し12月にはバンダ・オリエンタル巡ってブラジル戦争発展した。この戦争の中で一旦は統一派、連邦派の立場の違い乗り越えた中央政府再建され連合州はリオ・デ・ラ・プラタからアルヘンティーナ国名改名するが、初代大統領選出されたベルナルディーノ・リバダビアの現実省みない近代化諸政策は完全に裏目に出てしまい、政策の失敗リバダビア失脚中央政府崩壊中央集権憲法失効招いた失脚したリバダビアに代わってブエノスアイレス州知事のマヌエル・ドレーゴが戦争継続したが、戦争そのものもイツサンゴの戦い勝利などで有利に進んでいた戦局生かせずに、1828年イギリス干渉によりウルグアイ独立認める形で終結することになった教育面では、1821年ブエノスアイレス内務大臣となったリバダビアによって教育改革進みブエノスアイレス大学1821年)が設立された。

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