第三次・第五次多号作戦とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第三次・第五次多号作戦の意味・解説 

第三次・第五次多号作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 23:58 UTC 版)

竹 (松型駆逐艦)」の記事における「第三次・第五次多号作戦」の解説

最前線にいた「竹」は10月18日夕刻発動捷一号作戦20日から始まったレイテ島地上戦関わる事となり、三度わたってレイテ島西岸オルモックへの陸軍兵力輸送作戦多号作戦)に参加することとなった作戦直前田中少佐(竹駆逐艦長)が病気で退艦、マニラ海軍病院入院した11月3日飯村忠彦少佐海兵65期)が竹臨時艦長任命される飯村少佐は、レイテ島輸送作戦沈没した軽巡洋艦鬼怒」の航海長であった一方田中少佐(竹駆逐艦長)は呉鎮守府付となる。日本海軍は、宇那木勁少佐海兵64期)を「竹」駆逐艦長任命した。宇那木少佐軽巡五十鈴」や3番「梅」乗り継いで内地からマニラ移動しており、実際着任遅れたこのため「竹」は飯村駆逐艦長指揮下で多号作戦従事する飯村艦長迎えた翌日以降米軍機部隊艦上機マニラ湾空襲により第二遊撃部隊第五艦隊旗艦重巡那智」が沈没した11月9日午前3時、「竹」は第三次多号作戦部隊加わってマニラ出撃する第三次多号作戦部隊指揮官は、第二水雷戦隊司令官早川幹夫少将海兵44期)であった駆逐艦4隻(島風初春、浜波、竹 )、第46号駆潜艇および第30号掃海艇と共に輸送船5隻を護衛してマニラ出港した。 翌10日午前10時南西方面艦隊司令長官は「初春」と「竹」の所属部隊入れ替えるよう下令した。同日午後レイテ島からマニラ帰投中の第四次多号作戦部隊から駆逐艦3隻(長波朝霜若月)を分離第三次多号作戦部隊駆逐艦2隻(竹、初春)と入れ替えることになった11日午前5時ごろ、「初春」と「竹」は第四次多号作戦部隊合同した。7隻(、潮、秋霜初春、竹、沖縄金華丸)は18時30分、「せれべす丸」や輸送艦救援従事した2隻(占守第13号)は同日深夜それぞれマニラ帰投した。なお「竹」と「初春」が当初参加していた第三次輸送船団は、オルモック湾での対空戦闘壊滅する駆逐艦朝霜」を残して全滅した11月12日マニラ到着していた隼鷹輸送隊は、同行していた軽巡洋艦木曾」を分離するかわりに駆逐艦時雨」を編入し内地帰投する。「木曾」と「霜月」は多号作戦部隊第一警戒部隊編入された。11月13日マニラ湾は再び空襲をうける。水雷戦隊だけでも5隻(木曾、曙、沖波秋霜初春)が沈没もしくは大破着底態となる。竹乗組員達は「マニラ帰投して大空襲に出くわした島風一緒にレイテ行けば良かった本艦は運が悪い」と自嘲したが、第三次多号船団部隊が「朝霜」を除いて全滅した事を知り逆に「竹は強運の艦だ」という印象広まったマニラ大空襲をうけて、第五艦隊司令長官志摩清英司令長官残存艦艇退避南西方面艦隊司令長官大川内伝七中将)に進言した。同13日深夜第一水雷戦隊司令官指揮する残存艦艇初霜朝霜、潮、竹 )はマニラ脱出した。「竹」はマニラからブルネイ移動する第一水雷戦隊司令官木村昌福少将海兵41期旗艦」)および「潮」と共に南沙諸島長島向かい同地南方進出途上第四航空戦隊日向伊勢)や護衛艦霜月)などと会合燃料補給してもらう。同地飯村臨時「竹」艦長)が退艦し、宇那木少佐便乗中の戦艦日向」から「竹」に移乗新任駆逐艦長となる。 宇那木艦長迎えた「竹」は、リンガ泊地へむかう第五艦隊わかれたコレヒドール島沖合アメリカ潜水艦ヘイク (USS Hake, SS-256) の雷撃損傷した第三十一戦隊旗艦軽巡五十鈴」と途中ですれ違いつつ、マニラ引き返した 11月20日付で第一水雷戦隊解隊され、一水司令官木村昌福少将第二水雷戦隊司令官補職される。同20日付で第三十一戦隊第五艦隊編入された。11月21日マニラ日本陸海軍は、レイテ島への輸送第三十一戦隊高速輸送艦活用することで一致した11月24日、「竹」は第一輸送戦隊司令官曾爾少将海兵44期)の指揮下に入り第五次多号作戦参加する第一梯団第二梯団(竹、第6号輸送艦第9号輸送艦第10号輸送艦)としてマニラ出撃した。ところが先発した第一梯団マスバテ島南東部カタイガンに避泊中で空襲をうけ、全滅した。 翌25日昼、「米機動部隊接近中」との情報輸送部隊はタヤバス湾(英語版)に浮かぶマリンドケ島北西部のバラナカン湾に避泊した間もなく空襲受けて第6号輸送艦第10号輸送艦沈没する第9号輸送艦損傷航海長袴田徳男大尉戦死砲術負傷荷役装置故障)。「竹」も至近弾と機銃掃射損傷し戦死者15名・負傷者60名余を出した他、ジャイロコンパス吹き飛ばされ使用不能となったレイテ島オルモック湾への突入命じられていたため「竹」幹部協議をおこなう。先任将校志賀)は任務遂行進言高井義助航海長は「方位磁針駆使してオルモック湾に向かう覚悟がある」と具申した機関長燃料流出懸念したが「命令なら突入する」と進言砲術長は反対した。しかし、第9号輸送艦艦長赤木予備少佐)より「砲術戦死航海長負傷大発動艇卸用ワイヤ切断」との報告を受け、再挙期してマニラに引き返すことにした。沈没艦生存者収容し11月26日マニラ帰投した。こうして第五次多号作戦失敗した。宇那木艦長南西方面艦隊司令部参謀長有馬馨少将先任参謀高間正義大佐)に出頭して詫び入れた。「竹」は昼夜兼行応急修理行って次期作戦備えたが、ジャイロコンパス復旧されずじまいだった

※この「第三次・第五次多号作戦」の解説は、「竹 (松型駆逐艦)」の解説の一部です。
「第三次・第五次多号作戦」を含む「竹 (松型駆逐艦)」の記事については、「竹 (松型駆逐艦)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第三次・第五次多号作戦」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第三次・第五次多号作戦」の関連用語

第三次・第五次多号作戦のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第三次・第五次多号作戦のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの竹 (松型駆逐艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS