空母時代とは? わかりやすく解説

空母時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 00:29 UTC 版)

ロング・アイランド (護衛空母)」の記事における「空母時代」の解説

1941年昭和16年1月23日、モーマックメイルは空母改造予定艦に指定された。3月6日海軍買収され特設航空母艦改装される。同年6月2日初代艦長ドナルド・B・ダンカン大佐指揮下、「ロング・アイランド(AVG-1)」として就役する完成直後飛行甲板全長約110mしかなく、19延長され129になったロング・アイランド最高速18ノットでは、無風状態場合F2A バッファロー戦闘機F4F ワイルドキャット戦闘機離陸するのがやっとであった。そこで新開発油圧式カタパルト装備され重量のある艦上爆撃機艦上攻撃機運用可能になった。海面から飛行甲板までの高さは約15.8mで、正規空母であった悪天候下で正規空母ワスプUSS Wasp, CV-7)の艦首飛行甲板が波に突っむような状況でも「ロング・アイランド飛行甲板は完全に乾いた状態にあった」と艦長報告したほど、優れた安定性示したという。艦尾設けられ主武装の5インチ51口径砲1門は、浮上してきたUボート用の武装であった日米関係緊張していた数ヶ月間にロング・アイランドは、護衛空母による航空機運用可能性実証する実験を行うため、バージニア州ノーフォーク出航した飛行甲板延長や、カタパルト設置により、護衛空母存在価値大い高めた。またロング・アイランド運用試験得られデータは、ボーグ級航空母艦サンガモン級航空母艦設計と建造大い寄与した。なおロング・アイランドは、初代ラングレー日本海軍軽空母同様の甲板空母であったが、後継艦右舷小型艦設けている。イギリス海軍側から見張り重要性輸送船団位置把握など、艦橋設置要望され為の措置であった12月8日太平洋戦争勃発時、ロング・アイランドニューファンドランド商船団を護衛していた。1942年昭和17年3月には護衛空母チャージャー (USS Charger, AVG-4) が就役し、大西洋艦隊配備されている。5月10日ロング・アイランドアメリカ西海岸向けて出航する前にノーフォークパイロット乗艦させ、6月5日サンフランシスコ到着する本艦ニミッツ提督太平洋艦隊配属されウィリアム・S・パイ海軍中将任務部隊戦艦4隻基幹)に同行した両軍戦闘序列)。また、ミッドウェー海戦勝利を収めた機動部隊航空援護おこなった。この海戦空母ヨークタウンUSS Yorktown, CV-5)が沈没し太平洋方面アメリカ軍正規空母は3隻(サラトガエンタープライズホーネットになった。そこで大西洋艦隊から空母ワスプUSS Wasp, CV-7)を太平洋艦隊転用して最前線投入しロング・アイランド補助航空母艦として航空機輸送任務従事したボーグ級航空母艦コパヒー (USS Copahee, CVE-12) も同年6月15日就役していたが、訓練中のためウォッチタワー作戦に間に合わなかった。 同年8月初頭ロング・アイランドアメリカ海兵隊機を載せて真珠湾出撃フィジー待機した8月7日アメリカ軍ウォッチタワー作戦によりガダルカナル島フロリダ諸島来襲し、アメリカ海兵隊上陸して完成したばかりの日本軍飛行場奪取したラバウル航空隊空襲脅威感じたフランク・J・フレッチャー提督は、新鋭戦艦ノースカロライナ (USS North Carolina, BB-55) と正規空母3隻(サラトガエンタープライズワスプ)を擁しながら、上陸部隊輸送船団への掩護打ち切ってソロモン諸島南方海域後退した第一次ソロモン海戦)。敵中取り残され海兵隊は、物資不足に悩まされながら飛行場復旧急いだ。この飛行場は、ミッドウェー海戦戦死した海兵隊航空部隊将校ヘンダーソン少佐(VMSB-241)の名前を冠してヘンダーソン飛行場命名された。 「カクタス航空隊」も参照 ロング・アイランドヘンダーソン飛行場アメリカ海兵隊機を空輸するため、軽巡洋艦ヘレナ (USS Helena, CL-50) と駆逐艦1隻に護衛されガ島接近した8月20日午前9時30分、日本海軍飛行艇ガ島南東250地点で「〇九三〇 D2 敵ノ兵力 空母一 巡洋艦一 駆逐艦二 其ノ他、基地ヨリノ方位一一六度五二〇浬、針路三五〇度速力一四節」を報じた。この空母艦橋のないタイプであった。また別の飛行艇は「一二〇五 D1 敵兵空母一 巡洋艦四 駆逐艦九/一二一五 D一 敵機部隊位置ツラギ」ノ一三三度二四七浬、針路一三〇度速力一八節」を報じ、この空母艦橋をもつタイプであった二つ空母位置には約70浬の差があり、日本側は別個の機動部隊判断第二水雷戦隊司令官田中頼三少将)が護衛していた一木支隊第二梯団反転退避させた。 同20日午後ガ島南東200浬の洋上で、ロング・アイランド海兵232偵察/爆撃中隊SBD ドーントレス急降下爆撃機 12機、海兵223戦闘飛行隊F4F ワイルドキャット戦闘機 12機を射出した。海兵隊機を発進させたあとのロング・アイランドニューヘブリディーズ諸島帰投したので、ガ島北方から迫っていた南雲機動部隊第一航空戦隊翔鶴瑞鶴龍驤)と対決せず済んだ一木清直陸軍大佐率い一木支隊先遣隊900名の夜襲8月21日未明イル川渡河戦テナル川の戦い)で撃退したヘンダーソン飛行場基地は、次々増強される。そして8月24日から25日第二次ソロモン海戦において連合軍勝利一因になったその後ロング・アイランド同年9月20日太平洋戦線離れパイロット養成訓練再開するため西海岸帰投した。1943年昭和18年6月中旬護衛空母escort aircraft carrier) の制定にともない、同艦種CVE)に類別変更された。1946年昭和21年3月退役後、しばらく予備役になったが、1948年昭和23年3月パナマ会社売却された。 ロングアイランド第二次世界大戦戦功で1個の従軍星章受章した

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