歴代塗装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 07:57 UTC 版)
大きく別けると、 初代:マーチン2-0-2に施された暫定塗装。 2代目:1952年の自社運航のダグラスDC-4B型機の導入時に採用された、初の正式塗装。1970年代前半頃まで見られたものであった。赤2本と青のラインを窓の部分に配し、垂直尾翼には青のラインを5本入れ、社名表記はDC-4が漢字の「日本航空」のみ、ボーイング727と日本国内航空からリースのYS-11が漢字と英文を併記した「日本航空 JAPAN AIR LINES」、国内線に転用されたDC-6は「JAPAN AIR LINES 日本航空」、それ以外は英文のみの「JAPAN AIR LINES」だった。赤と青のラインを用い、垂直尾翼には青のライン5本の中に日の丸を入れたほか、YS-11を除いて機種名が大きく書かれていた(「DC-8」「BOEING727」など機種名本体のみで他社の「BOEING747-400」の「-400」のような派生型の表示はない。後の塗装にも派生型の表示はない。例外はボーイング737-800で、歴代日本航空の機材で唯一派生型の表示がされている)。国際線機材であったDC-6には「WINGS OF THE NEW JAPAN」のコピーも書かれていた。鶴丸制定後は機体前部(操縦席近く)に鶴丸マークが入るようになった。南西航空の初代マーキングもこれに準じており、1970年代末まで見ることができた。こちらの社名表記は「南西航空 SOUTHWEST AIR LINES」だった。また、いわゆる「よど号ハイジャック事件」のよど号(BOEING727)は、この2代目塗装であった。 3代目:1970年のボーイング747型機の導入時に採用された塗装。1990年代前半頃まで見られたものであった。先代よりも明るめの赤と紺のラインを窓の部分に配し(窓の部分にラインを引く、という塗装の仕方はパンアメリカン航空をはじめ、世界各国の大半の航空会社が採用していた)、垂直尾翼には大きな赤い「鶴丸」マークが入れられた。機種名表示は、窓の部分から続くラインの中に白抜きで表示されていた。ボーイング機は機体最後部ドアの後ろのラインの紺色部分(ボーイング727はエンジンカウル)に、DC-10は各ドアの後ろのラインの赤色部分に表示されていた。なお超音速旅客機の導入を睨んで、この塗装によるコンコルドの模型も作られたが、実現しなかった。ボーイング727のみは社名表記が漢字の「日本航空」のみだった(末期は他機種と同様「JAPAN AIR LINES」に変わった)。本塗装の末期には貨物機の社名表記が消え、「JAL CARGO」のみとなった(後の塗装にも入っていない)。2代目まで存在していた機材ごとの愛称は廃止された。なお、南西航空はこのマーキングを採用しなかった。 4代目:1989年のボーイング747-400型機の導入に合わせて採用された2代目「鶴丸」塗装。2000年代中頃まで見られた塗装であった。ホワイトボディに、ランドーアソシエイツによるロゴを大きく配したもの(これも1980年代以降に世界的に採用されるようになった塗装の仕方である)。ロゴは、黒い文字で「誠実さ、堅実さ」を、赤で「燃える情熱」を、グレーで「躍動感・スピード感」を象徴している。社名表記は「Japan Airlines」に変わった。機種名表示は、機体最後部ドアの後ろに薄いグレーで表示され非常に見えにくいものであった(DC-10ならびにMD-11もボーイング機と同じく機体最後部ドアの後ろに表示されたが、非常に小さなサイズでさらに見えにくいものであった)。 暫定塗装のマーチン2-0-2型機 初の正式塗装(DC-8型機) 初代鶴丸塗装のボーイング747型機 2代目「鶴丸」塗装のボーイング777-200型機 初代鶴丸塗装のビーチクラフト キングエア(練習機) それぞれの塗装は導入以降ロゴや書体の変更、ポリッシュド・スキンの導入などの微調整が行われている他、アロハエクスプレスやリゾッチャなどの特別塗装が存在していた。 自社所有の練習機も運航機材と同じ塗装が採用されている。
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