よどごう‐ハイジャックじけん〔よどガウ‐〕【よど号ハイジャック事件】
よど号ハイジャック事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/30 18:14 UTC 版)
よど号ハイジャック事件(よどごうハイジャックじけん)は、1970年(昭和45年)3月31日に、共産主義者同盟赤軍派のよど号グループが起こした日本初のハイジャック事件である。
注釈
- ^ 「89」は日本国内航空に割り当てられたボーイングのカスタマーコード。
- ^ 現在の福岡空港
- ^ 「羽衣号」の愛称が付けられていた。
- ^ 当時、日本航空は保有する航空機ごとに愛称を付けていた。ボーイング727型機には日本の河川名を命名基準とし、よど号の愛称は淀川に由来する。他には「ひだ号」「たま号」「ふじ号」「とね号」があった。
- ^ 当時の日本では、朝鮮語読みの「キム・イルソン」ではなく日本語の「きんにちせい(きんにっせい)」と読むことが主流であった。
- ^ 午後10時に日本航空が直行便を出した。
- ^ ボーイング727はエンジンスターター用のAPU(補助動力装置)が付いていないため、補助始動機が必要。
出典
- ^ a b c 佐々淳行 2013, pp. 15–49.
- ^ a b c d e f g 佐藤栄作『佐藤栄作日記』 第4巻、朝日新聞社、1997年5月1日、62-66頁。ISBN 9784022571441。
- ^ a b c d e f g h “よど号 半世紀後の「謎の核心」 赤軍派「平壌へ行け」 どうして韓国に着陸 KCIA部長から「閣下の指示だ」”. 西日本新聞ニュース (2019年11月18日). 2019年12月25日閲覧。
- ^ 特別番組「よど号の乗客かえる」 - NHKクロニクル(NHKクロニクルのデータベースでは特別番組「よど号の乗客かえる」表記。)
- ^ 引田惣弥 2004, pp. 108, 227.
- ^ 特別番組「帰ってきたよど号」~羽田空港・スタジオを結んで~ 記者会見 「よど号事件とわが党の態度」 - NHKクロニクル
- ^ 引田惣弥 2004, pp. 108–109 227.
- ^ 久能靖『「よど号」事件122時間の真実』 河出書房新社 ISBN 430922380X 2002年 127ページ
- ^ 日野原重明『働く。社会で羽ばたくあなたへ』(冨山房インターナショナル、2010年)114-115ページ
- ^ 「ソウル残留の米人神父帰日 日航機よど号ハイジャック事件」『読売新聞 朝刊』、1970年4月5日、14面。
- ^ 「最後の一人、羽田着 乗取機の乗客「よど」平壌着」『朝日新聞 東京朝刊』、1970年4月5日、14面。
- ^ 「よど号の見舞い金」『読売新聞 朝刊』、1970年4月9日、14面。
- ^ よど号犯メンバーの横顔 小西容疑者ら4人 47NEWS 2008年6月13日
- ^ yobo_yodoのツイート(1564126972266946565)
- ^ よど号ハイジャック事件 - テレビドラマデータベース
よど号ハイジャック事件
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「日野原重明」の記事における「よど号ハイジャック事件」の解説
内科部長時代の1970年3月31日、日野原は福岡で行われる日本内科学会総会へ出席のために搭乗した旅客機にてよど号ハイジャック事件に遭遇し、他の乗客とともに人質となった。日本初のハイジャック事件であり、犯行グループが「この飛行機は我々がハイジャックした」と声明しても多くの日本人は「ハイジャック」の意味を知らなかった。その中で日野原が手を挙げ、「ハイジャックとは飛行機を乗っ取って乗客を人質にすることです」と説明した。機内で犯人グループから人質に本が提供されたが、応じたのは日野原だけで、『カラマーゾフの兄弟』を借りたという。4日間拘束され死も覚悟した。同乗していた虎の門病院院長の沖中重雄は高齢のため福岡で下ろされた一方、日野原は韓国の金浦空港で解放された。解放後は、内科医としての名声を求めるよりも事件以後の命を与えられたと考えるようになり、事件が人生観を変えるきっかけになったと述懐していた。
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よど号ハイジャック事件
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「日本航空ハイジャック事件」の記事における「よど号ハイジャック事件」の解説
1970年3月31日、羽田空港発板付空港行きの日本航空351便ボーイング727-89型機(愛称「よど号」)が富士山付近の上空を飛行中、赤軍派学生を中心とした犯人グループによりハイジャックされた。犯人グループは機長と副操縦士に対して北朝鮮の平壌に向かうよう指示したが、直接向かうには燃料が不足しているとして機長が犯人グループを説得し、給油のため板付空港に着陸した。ここで女性や子供などの一部の人質が解放された後、要求通り北朝鮮に向かおうとしたものの、韓国領空内で韓国空軍機がソウルの金浦空港へ誘導し着陸させた。韓国政府は犯人たちに平壌に到着したと偽装する工作を行ったものの失敗し、事態は膠着する。4月3日に事件解決のためにソウルを訪問していた山村新治郎運輸政務次官が乗客の身代わりとなることで決着し、客室乗務員を含む人質全員を解放し、その後犯人グループとともに平壌に向かった。その後同機は平壌郊外の飛行場に着陸し、犯人全員は北朝鮮当局に投降、機長と副操縦士、山村政務次官らは4月5日に同機で帰国した。 詳細は「よど号ハイジャック事件」を参照
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