徳川家康に臣従後の概要とは? わかりやすく解説

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徳川家康に臣従後の概要

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 15:50 UTC 版)

牛久保六騎」の記事における「徳川家康に臣従後の概要」の解説

戦国時代に、東三河において牛久保城牧野氏同等勢力あったか否かは疑問が残るが、越後国長岡藩伝説記述した「温古之栞」によると、三河国牛久保城主の牧野新次郎(康成)は、徳川家康に(降伏勧められ恭順し)安堵された所領を、牧野氏真木氏野瀬氏などと均分分けたとしている。但し、この文言は、徳川氏恭順後のものであり、牛久保六騎時代同時代文書とは言いがたい。「温古之栞」の中には稲垣氏山本氏岩瀬に関する記述含まれていないが、この三騎は徳川家康臣従して、所領直接安堵される一方で牧野組の旗下附属していたと推察される。 牧野山城守定成)は子の康成(初名は正勝通称右衛門とともに城主牧野成定より一足早い永禄8年1565年)より家康帰属永禄9年8月8日1566年新暦8月22日旧知平井92貫文の地の所領安堵状家康より賜る。子の半右衛門康成は酒井忠次麾下属して戦功積み天正18年1590年武蔵国足立郡石戸埼玉県桶川市大字川田谷)5,000石を給され、孫の信成(内匠頭)の時には譜代大名に列せられた。その末裔丹後国田辺藩となった稲垣氏は、永禄8年1565年)、岡崎城家康召し出されて、その直参資格得た。しかし1566年牧野氏稲垣長茂帰参して、その家臣筆頭となった1590年徳川家康関東移封に伴いその直参組となり、牧野氏から離れ、やがて譜代大名志摩国鳥羽藩近江国山上藩)に列した庶流稲垣平助家は、家康旗本身分兼帯して牧野氏帰参し、稲垣惣領家跡式相続したものと推察され、後に越後長岡藩家老首座連綿となり2,400石が与えられた。 山本氏惣領家は、永禄8年1565年)、岡崎城家康召し出されて、その直参資格得た1590年徳川家康関東移封に際して家康旗本身分兼帯して牧野氏帰参した。主な庶流は、越前国福井藩松平氏の上家臣志摩国鳥羽藩稲垣氏永代家老徳川将軍家旗本(但し小禄)などとなった山本氏については初代帯刀左衛門尉成氏の庶兄山本勘助晴幸であるという伝承長岡藩家老山本帯刀家の由緒書きにあるが、旧牛久保領内神社異説があるなど事実関係不明確であり、現状伝承留まる(→三河山本氏)。幕末長岡藩家老職軍事総督であった山本帯刀義路は、藩の戦争責任をとる形で、斬首受けた山本帯刀家はこれで一度廃絶とされたが、後に家名再興許され高野家より入った養子五十六家名再興した岩瀬氏は大塚岩瀬庶流岩瀬和泉守家系牛久保城主・牧野氏付属していたが、永禄8年1565年)より、和泉守の子の氏定と孫の氏則父子がともに家康属して軍功積み、氏則の子氏與(清助・吉左衛門)のとき徳川家直参旗本取り立てられ1500石を知行した。それ以後歴代岩瀬左衛門称した直参旗本岩瀬左衛門家)。吉左衛門家の分家として分出され幕末幕府外交官岩瀬忠震著名。また譜代大名大久保氏の1,000石級重臣となって右衛門通称した大塚岩瀬氏の末流があり、幕末相模国小田原藩家老職岩瀬大江進正敬は、藩の責任負って切腹している。 真木氏は、かつて牛久保六騎の中では、反徳川派で今川派の旗頭存在として牧野氏尽した譜代大名となった牧野氏は、戦国大名今川氏駿河方)に服属していた旧体制時代真木氏功績尊重し徳川氏恭順した後も、牧野氏客人分として厚遇した牛窪記は、真木氏家康岡崎謁見したとしているが、同書以外にこの事実伝えている文献存在しないため、謁見事実あったか否か疑問視されている。真木氏上野国大胡城在城期の牧野氏2万石から、その家老首座大きく上回る3,000石を与えられたが、当時当主扱い待遇不満などから出奔する一方で子息一族は藩内に存続した。結局真木氏譜代大名牧野氏家臣として分割吸収され越後長岡藩先法家上級家臣信濃国小諸藩家老連綿、及び越後国三根山藩では永代家老に次ぐ家格などとなった幕末小諸藩家老職真木要人則道は、藩の責任負って斬首受けた野瀬能勢)氏の惣領家は、永禄9年1566年5月家康御判礼により、牛久保牧野家所属諸士掌握する。しかしその後公儀召し出され徳川直参旗本となったが、その庶流は、真木氏同じく越後長岡藩先法家上級家臣などとなったまた、明智記』には永禄9年越前国一乗谷朝倉氏館で足利義昭の下に参集した武士(後の公方衆)の中に細川藤孝一色藤長とともに能勢丹波守の名が見える。また、寛政重修諸家譜・第272巻は能勢頼則の子孫が織田家の家臣となると記す。また、牛窪密談記』の編者中神行忠(善九郎)は能勢氏末葉同書に記す。

※この「徳川家康に臣従後の概要」の解説は、「牛久保六騎」の解説の一部です。
「徳川家康に臣従後の概要」を含む「牛久保六騎」の記事については、「牛久保六騎」の概要を参照ください。

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