牛窪記とは? わかりやすく解説

牛窪記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 15:49 UTC 版)

牛窪記』(うしくぼき)は、室町時代から安土桃山時代東三河地方における土豪の様子や、伝説を記載した地域史料。編著者は不明。牛窪城主牧野氏の栄枯盛衰を中心に記述した内容から「牛窪記」と題されている。奥書がなく、著者不明。成立は17世紀末とされる(元禄10年、1697年説)[1]


  1. ^ 『近世三河地方文献集』の編者・久曾神昇はその解説で『牛窪記』の本文中の「此証文者、今鉄屋中尾氏重治所持也」の記述に注目し、中尾重治が元禄10年に『家伝記』を著したことや、『牛窪記』の訂補版である『牛久保密談記』が4年後の元禄14年に成立していることで元禄10年頃成立と推定している(『近世三河地方文献集』12頁)。なお、『牛窪記』の原本(もしくは写本)は現在、地元牛久保(豊川市)にも牧野家転封先の長岡市にも残っておらず、国立公文書館所蔵本「内閣文庫7632号資料」(写本/明治7年内務省旧蔵)と伊勢神宮の伊勢文庫所蔵本が知られている。また、岡崎市立中央図書館(出版年1874年;明治7年、写・複製)や、活字本として、1911年(明治44年)に全巻が完結・完成した『続群書類従』訂正3版・第21輯上・合戦部に収録されている(底本は国立公文書館蔵本で、原題は「牛久保記」と表記されている)。なお、『徳川実紀』引用書目中にもその名前が見える。
  2. ^ 『続群書類従解題・第四』137頁
  3. ^ 『訂 牛窪記』巻末「跋文」の筆者・中神基勝によれば、牧野氏はこの敵対事実を『牛窪記』の中で全て牧野保成に託さざるを得なかったと推論している。
  4. ^ 『近世三河地方文献集』241頁
  5. ^ 『訂 牛窪記』33頁。
  6. ^ 『近世三河地方文献集』179頁・系図
  7. ^ 『室町幕府守護職家事典(上)』366-368頁「牧野古白の今橋築城」
  8. ^ 『近世三河地方文献集』240-241頁
  9. ^ 『続群書類従解題・第四』138頁
  10. ^ 『近世三河地方文献集』242-243頁、256-257頁
  11. ^ 『近世三河地方文献集』254-255頁


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