牛久保城とは? わかりやすく解説

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牛久保城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/02 04:09 UTC 版)

牛久保城(うしくぼじょう)は、愛知県豊川市牛久保町三河国宝飯郡牛久保(はじめ牛窪、後に牛久保に改称))にあった日本の城平城)。


  1. ^ さらに侍屋敷の外側にも堀を伴う、3重の水堀を備えた姿も想定されている。
  2. ^ 牧野山城守は、寄騎かつ牧野一門衆とするかは断定できない。
  3. ^ 牧野平三郎は『御家譜』『牧野之家傳』(ともに長岡市中央図書館所蔵)で牧野成勝の享禄2年の項に「伊奈の住人牧野平三郎来て成勝に属す」とある。その後、『牛窪密談記』で平三郎・平四郎兄弟が天文13年に来訪した連歌師の宗牧を牛久保から出迎えている記事がみえる。
  4. ^ 平七郎・右近については、弘治3年(1557年)10月27日付けの牧野右馬允宛今川義元朱印状で原四郎次郎と3人で城(西尾城とされる)の番詰めをすべきことを命じられ、その子孫の尾張藩家臣牧野家の譜では牧野右近は平七郎の子で牧野右馬允の家老と伝えている(『士林泝洄』名古屋叢書)。
  5. ^ 平左衛門は『牧野家系図』(長岡中央図書館蔵)に実名を一成とし、牧野成村(新蔵)の弟で伊奈の住人としており、その子孫と思われる平左衛門入道父子が永禄4年(1561年)4月逆心し松平元康方となり、八名郡賀茂の母の所領を没収されている。(「永禄4年4月16日付・同6月11日付、稲垣重宗宛今川氏真朱印状」『新編岡崎市史6・史料編中世』所収)
  6. ^ 田兵衛(成敏)は『牛窪密談記』等、諸書に牛久保城下・正岡の住人とみえ、享禄2年もしくは天文元年(1529年 - 1532年)の松平清康の今橋城攻めに協力して天文5年には今橋城主となったとみえる。その後、永禄年間成立と思しき『牛久保城古図』(豊川市光輝院・豊橋市図書館所蔵)に牛久保城内の二の曲輪に屋敷が確認できる。また、『牛久保城古図』の写しには団兵衛と表記するものもある。
  7. ^ 市左衛門も同古図に屋敷がみえる。この親と思われる人物が今川家臣井伊直盛に属して永禄3年(1560年)5月桶狭間で戦死と伝わる。なおこの戦いに牧野成定の牛久保衆も後詰めとして参陣している。
  8. ^ 弥次兵衛(弥次右兵衛尉)も平左衛門尉父子に同じく永禄4年の逆心で賀茂の所領を没収された。
  9. ^ 助兵衛は永禄4年牧野成定を離れ徳川家康(当時松平元康)から判物をうけ、永禄9年(1566年)5月9日に旧領安堵の判物(現存)を家康より受けて子孫は徳川氏の旗本(牧野助十郎家)になった。
  10. ^ 古図以外では弘治3年(1557年)の牧野成定宛今川義元朱印状に原四郎次郎、牧野右近(既出)、同平七郎(既出)、牧野家「御家譜」等に藤波畷の戦いに吉良氏の救援に差し向けた須瀬宮内、また牧野成定の知行宛行状の受給者に加茂九郎左衛門、同四郎右衛門、かぢ右馬四郎、同左近五郎の名がある。
  11. ^ 柴裕之「今川・松平両氏の戦争と室町幕府将軍」『戦国・織豊期大名徳川氏の領国支配』岩田書院、2014年(原論文は2005年
  12. ^ a b 柴裕之「永禄四年四月三河国牛久保合戦の意義」柴裕之 編著『シリーズ・織豊大名の研究 第十巻 徳川家康』(戎光祥出版、2021年) ISBN 978-4-86403-407-4 P118-121.(初出:『戦国史研究』49号、2005年)
  13. ^ 「宮島記」・「牛窪密談記」によれば、牧野保成(出羽守)・牧野成定(右馬允)・稲垣重宗(平右衛門尉)等牛久保勢と吉田からの今川勢は牛久保城の西方に位置する小坂井の東岡(城外12-13町(約1.4km))に出陣、徳川軍と激戦を展開、この戦いで牧野保成が戦死(重傷を負って退却のち死亡ともいう)、稲垣重宗も殿軍(しんがり)を勤めて重傷。しかし徳川家康が自軍の前進を制したとされ、城での直接的攻防の記述はない。


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