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三河国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/05 00:40 UTC 版)
三河国(みかわのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に位置する。三の大字を用いて参河国とも表記する。別称は三州または参州 (さんしゅう) 。領域は現在の愛知県の東部にあたる。『延喜式』での格は上国、近国。
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- ^ 江戸時代末期の天保年間には、吉田川(豊川とよがわ濁音ではない)と江戸幕府は明記しているのだが、海道記に、豐河の宿に泊りぬ。この川は流ひろく、水深くして、まことに豐かなる渡りなり。と記載されているため、宿場名(集落名)と河の呼称を混同して、豊川と引用したものと思われる。鎌倉時代当時は、律令制と同じ飽海川であったと思われる。室町~江戸末期は、吉田川。明治以降、豊川(とよがわ濁音)。
- ^ 矢作川の呼称は、古代から現在に至るまで、矢作川(矢矧川、やはぎには各種の字が当てられている。)で不動であり、著名な1級史料その他に多数引用されているため、間違うことはない。
- ^ 参河国全図;天保8年
- ^ 平凡社マイペディア、愛知県埋蔵文化財センター、安城市埋蔵文化財センター
- ^ 石神遺跡木簡に記載あり
- ^ 三河国を東西に分割して、西三河、東三河と呼称したことがわかる確実な史料は、徳川実紀;嘉永2年(1849年)である。「是より先三河國帰順の後は本國の國士を二隊に分。酒井忠次。石川家成二人を左右の旗頭として是に属せしめられしが。家成今度懸川を留守するにおよび。旗頭の任は甥の数正にゆずり。」
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