徳川家康と長源院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 01:15 UTC 版)
八世泰岳是安和尚は学僧で、当時駿府城にいた徳川家康に法話を申し上げ、家康も師を手厚くもてなした。家康は長源院へ寺領を寄進しようとしたが、師は、人の施しによって修行するのが仏の道だからと、ことごとくそれを辞退した。その無欲なことに家康は深く感動され、代わりに般若経六百巻、兆殿司の描く十六善神の画像を贈ったといわれている。ただ長源院は草創いらい3度の火災にあい、家康ゆかりの遺品のほかは、寺宝、古記録等のいっさいを焼失している。山門前には、家康直筆の鋸碑「大森山脇」「長源禅寺」がある。家康は鷹狩りの際、本寺が谷津山山麓にあったので「山脇に行け」といわれ、それがそのまま山脇という地名になったといわれている。
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