山手線・赤羽線とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 山手線・赤羽線の意味・解説 

山手線・赤羽線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:51 UTC 版)

国鉄103系電車」の記事における「山手線・赤羽線」の解説

103系の初投入路線である山手線には、1963年試作車登場し、翌1964年より量産車投入開始された。車体塗装ウグイス色黄緑6号)が初め採用された。新性能電車としては既にカナリアイエロー(黄5号)の101系配置されていたが、103系投入により中央・総武緩行線転属した。 量産車1964年より池袋電車区品川電車区への投入進められ101系置き換えにより1969年山手線全車103系となった当初8両編成であったが、混雑緩和のため10両編成化が行われ、1971年までに全編成が10両編成となった1968年10月1日ダイヤ改正には、山手線103系10貫通編成登場した山手線ではラッシュ緩和目的として編成を8両から10両に増強する工事進めていたが、当時山手線電車区状況品川電車区手狭で、56編成のうち34編成京浜東北線蒲田電車区下十条電車区夜間疎開していた。京浜東北線車庫間借りしながら10両編成化進めるには無理があるので、山手線内に新し電車区新設することになり、大井工場敷地内新たに収容能力490両の2階建て電車区建設して品川電車区移転する工事1965年昭和40年3月開始すると共に山手線ホーム有効長延伸工事進めた1967年昭和42年4月3日新品電車区留置線のみ一部供用開始し京浜東北線夜間疎開24編成減らした同年10月検修設備など電車区としての設備含めた一期工事完成し京浜東北線夜間疎開18編成減り翌年10両編成化への準備着々と進めていった。当初1968年12月新品電車区完成する予定だったが、同年10月1日予定されている全国ダイヤ改正合わせて準備進め山手線10両編成転にするための車両増備昭和42年第3次予算中間車2両を20編成分、合計40発注した9月から増車用の新製車山手線配属されて、10月1日から8両編成中間組成10両運転を開始した。このことにより山手線10両編成運転台編成前後のみの貫通編成となったが、これは通勤形電車では初めての事であり、余分な運転台がない分だけ定員増えラッシュ輸送適した編成となった増車用の車両10月中に出そろい、10月24日までに8両編成18編成10両編成生まれ変わりラッシュ時内回り12編成外回り6編成10両編成化され、池袋駅では内回り7時50分から8時17分まで連続して10両編成が来るダイヤとなり、混雑緩和された。ラッシュ緩和効果のある貫通編成だが、車庫検修庫の設備貫通編成長さだけ必要な関係で、10両運転をしている他の線区では設備都合で3両+7編成など分割編成にしなければならないケースもあったが、常磐線京浜東北線など設備整っている電車区編成一部1970年昭和45年)から10貫通編成にて運転された。 山手線路線名は、戦後GHQによる「YAMATE」のローマ字表記より「やまてせん」と読まれていたが、1971年3月7日に「やまのてせん」が正式な読みとなり、103系前面方向幕も「山手」から「山手線」に変更された。 山手線一部であった池袋 - 赤羽間は、1971年3月15日正式に赤羽線となった赤羽線では1978年従来101系代わり103系8両編成投入されたが、103系で初となるカナリアイエロー(黄5号)に塗装された。 1972年6月23日日暮里駅京浜東北線北行電車山手線内回り電車追突する事故発生した。これを契機山手線京浜東北線保安装置ATC化が決定し1974年より先頭車ATC対応車への置き換え開始された。1981年12月6日より山手線・赤羽線のATC運転が開始されている。 1983年からは赤羽線8両編成に2両を増結し、10両編成での運転が開始された。1984年2月1日ダイヤ改正増備された1編成10両は、電動車ユニット103系最終増備車の2ユニット福知山線6両編成4両編成短縮化捻出された1ユニット組み込まれたほか、先頭クハ中央・総武緩行線から転入の非ATC車がATC車に改造された。 1985年3月より山手線への205系投入開始され103系置き換え対象となった1985年9月には埼京線開業し赤羽線区間埼京線系統組み込まれるとともに、山手線・赤羽線から捻出された103系埼京線用として川越電車区転出した1985年11月には品川電車区山手電車区に名称変更され1986年には池袋電車区車両転入し山手線全車山手電車区集中配置となった1987年国鉄分割民営化により、山手線用の103系10両編成20本の210両がJR東日本継承された。民営化直後1987年4月11日12日には、JR東日本103系5色を2両ずつ組み込んだ10両編成による「JRおもしろ電車」が山手線運転された。 分割民営化後引き続き205系への置き換え実施された。1988年6月26日さよなら運転が行われ、103系山手線での運転は終了した

※この「山手線・赤羽線」の解説は、「国鉄103系電車」の解説の一部です。
「山手線・赤羽線」を含む「国鉄103系電車」の記事については、「国鉄103系電車」の概要を参照ください。


山手線・赤羽線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 04:24 UTC 版)

国鉄101系電車」の記事における「山手線・赤羽線」の解説

山手線には中央線大阪環状線次いで1961年より101系投入され塗装はカナリアイエロー(黄5号となった1963年には山手線101系統一されたが、1964年より経済性重視した103系導入されたのに伴って中央・総武緩行線順次転出し山手線101系1969年4月消滅した103系ウグイス色黄緑6号)の塗装投入されており、以降山手線ラインカラーとなった山手線101系将来的総武緩行線転用することを前提投入されていた。 赤羽線1965年7月から山手線と同じ8両編成になっており、車両配置山手線と同じ池袋電車区であった。その絡みもあり、山手線103系投入され捻出された101系用いて赤羽線101系化を行った編成山手線と同じ黄色黄5号)の6M2Tが用いられたが、山手線同様に首都圏ATC路線指定されたため、1978年2月までに103系4M4Tにて置き換えられた。

※この「山手線・赤羽線」の解説は、「国鉄101系電車」の解説の一部です。
「山手線・赤羽線」を含む「国鉄101系電車」の記事については、「国鉄101系電車」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「山手線・赤羽線」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「山手線・赤羽線」の関連用語

山手線・赤羽線のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



山手線・赤羽線のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの国鉄103系電車 (改訂履歴)、国鉄101系電車 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS