土塁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 15:46 UTC 版)
土塁(どるい、英: earthworks)とは、敵や動物などの侵入を防ぐために築かれた、主に盛土による堤防状の防壁である。
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土塁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 09:50 UTC 版)
堀を掘った土で土塁を築いた。本塁の高さは7.5メートル、幅は土台部分で30メートル、上部の塁道が8メートルあり、塁道は砲台として使用された。そのほか郭内への入口の奥に高さ5.5メートルの見隠塁、堀の内岸に高さ2メートルの低塁、郭外に高さ1メートル強の長斜坂が築かれた。
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土塁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/16 14:05 UTC 版)
太閤ヶ平のある本陣山から峰続きの標高120メートルの尾根上に、全長380メートルに渡って高さ1〜2メートルの土塁が連なっている。土塁の裏側は幅30メートル以上の広い削平地となっている。これも毛利軍との決戦を想定した迎撃線と考えてよい。
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土塁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 03:40 UTC 版)
山祇神社頂上部と西方高地に向かう土塁は山頂の生気を盛んにするため。内明堂と外明堂の明堂水は向かって左から右へ流れる約束で、總持寺境内の両側の谷を左右の明堂水とみなす
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土塁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 07:35 UTC 版)
北側にあった土塁の構造は、石造遺物(墓石など)を平面的に並べ基底部の地固めし、その上部に瓦を重ねて並べられていた。北方に低くなるように傾斜を加えられていた。これは水抜きと、客土、雨水を城内への流入を防ぐ目的で設けたと考えられている。
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土塁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 02:06 UTC 版)
「サーン・アバスの巨人」の記事における「土塁」の解説
巨人の頭の北東の方角には、トレンドル・ヒルという急傾斜の丘があり、そこにはトレンドルやフライパンとよばれる土塁がある。これは巨人とは別に、それ自体が指定記念物になっている。ジョン・ハッチンスは1872年にこう書いている。「これらの遺跡はかなり大きくて、かつ非常におもしろい特徴を持っている。 They consist of circular and other earthworks, lines of defensive ramparts, an avenue, shallow excavations, and other indications of a British settlement." 巨人とは違って、この土塁はナショナル・トラストではなくディグビー卿が個人で所有している。土塁がつくられた目的は不明だが、19世紀後半にかつての村にあった教会の使用人によってメイポールダンスの会場としてつくられた、という説が、自分たちもメイポールダンスの会場をもつ別の村の住人が唱えられている。ローマ時代のものだという説もあるほか、鉄器時代のもので、横たわる巨人が表しているように棺がおさめられた埋葬塚ではないかともいわれている。
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「土塁」の例文・使い方・用例・文例
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