御土居とは? わかりやすく解説

御土居

読み方:おどい

名詞土居」に、接頭辞「御」がついたもの。
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御土居

読み方:オドイ(odoi)

豊臣秀吉京都修理する際に周辺築いた土堤一種


御土居

名称: 御土居
ふりがな おどい
種別 史跡
種別2:
都道府県 京都府
市区町村 京都市北区中京区上京区
管理団体 京都市(昭7・122)
指定年月日 1930.07.08(昭和5.07.08)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日 昭和40.10.27
解説文: 天正十九年豊秀吉京都周囲土壘ヲ築キ外側ニ濠ヲ穿チ皇城市区ノ守ヲ固クス之ヲ御土居ト称ス其ノ規模廣大ニシテ構造雄偉ノモノナリシガ後都市発達ト共ニ破壞セラレ漸次其ノ迹ヲ滅シテ旧規保存セル所少シ其ノ構造高低厚薄地勢ニヨリテ一様ナラズ鷹峯附近所在ノモノハ最モヨリ旧規ヲ保テルモノノ一ニシテ大約高サ十五内外頂部幅員亦略之ニ同ジク濠阯モ猶存セリ
S40-5-072[[御土居]おどい].txt: 豊臣秀吉築いた京都市壁一部今回追加指定するものは北野神社境内の西辺にあり、紙屋川沿っている。悪水抜き石樋残っているのは、現在ここだけである。

御土居

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/23 02:27 UTC 版)

御土居(おどい)は豊臣秀吉によって作られた京都を囲む土塁である。外側のとあわせて御土居堀と呼ぶ場合もある。築造時の諸文献には「堤」「土居堀」「京惣廻土居」「洛中惣構え」など[1]と記される。聚楽第寺町天正の地割とともに秀吉による京都改造事業の一つである。一部が京都市内に現存し、史跡に指定されている。


  1. ^ 馬瀬 (2017)によれば西洞院時慶の『時慶記』では「堤」、下鴨神社の社家鴨脚家の文書で「土居堀」、豊臣政権側では『駒井日記』で「京惣堀」「京惣廻土居」や「洛中惣構」(天正19年4月25日付「浅野長政発滝川忠征宛書状」)と呼んでおり、土居堀、惣堀、惣構は、当時の文献では、外部の攻撃に対する大規模な防御施設を示すことが多い、と記している。
  2. ^ 中村 (2005), p. 50-58では、湧水の確保(今井松太郎 1965)、弘誓寺の回避(森谷尅久・横井清 1967)下立売通沿いに西に延びていた寺や町屋の取り込み(大塚隆 1979)、西方の防御(足利健亮 2000)などの説を紹介している。
  3. ^ 『京都歴史散策マップ8御土居跡』 (2012).
  4. ^ 京の出入口の地名を表す言葉としての「口」は、御土居以前から用いられている。京の七口の記事を参照。
  5. ^ a b c 天正19年3月7日の条に「天正十九壬(閏)正月ヨリ洛外ニ堀ヲホラセラル」「竹ヲウヘラルゝ事も一時也、二月ニ過半成就也」「十ノ口アリト也」「此事何タル興業トソ云々、悪徒出世之時、ハヤ鐘ヲツカセ、ソレヲ相図ニ十門ヲタテ、其内ヲ被捲ト也」とある。(平凡社「京都市の地名」 (1979), p. 29)馬瀬 (2017)による現代語訳は「正月から洛外に堀の掘削が始まり、竹が植えられ、2月に過半が完成したとある。10箇所の出入口があり、悪徒(悪事を起こした者)が逃亡することを防ぐ目的がある」。
  6. ^ 『遺跡見て歩きマップ御土居跡[北半]』 (2019).
  7. ^ 「市の装飾となり美観を添えしめるためにその上に繁茂した樹木を植えさせた」『日本史』中公文庫、松田毅・川崎桃太訳。
  8. ^ a b c 三枝 (2019).
  9. ^ 京の市中を指して「洛中」及びその周辺を指して「辺土」という表現は鎌倉時代に見られ、それを一括として「洛中辺土」とする表現は室町幕府により14世紀になって設定され(黒田紘一郎「『洛中洛外屏風』についての覚書」(『日本史研究』第297号(1987))、また諸課役による用語は、応仁の乱後「洛中洛外」に統一される(瀬田勝哉『洛中洛外の群像ー失われた中世京都へー』「荘園解体期の京の流通」平凡社(1994年、初出は1993年)170ページ)、と紹介している(高橋慎一朗『中世の都市と武士』吉川弘文館、1996年。 )。
  10. ^ 京都市情報館(京都市公式webサイト)に掲載される御土居の解説(史跡 御土居)でも「土塁の内側を洛中,外側を洛外と呼び,」と紹介する。
  11. ^ 江戸時代、京都町奉行は、町代が管轄する地域を「洛中」、雑色が管轄する地域を「洛外」と定めた。これは御土居の内外とは一致しない。「洛中」の記事を参照。
  12. ^ 「秀吉公京都開基御尋之事」の記事。秀吉の「洛中とは」という下問に対し細川幽斎が「東は京極迄、西は朱雀迄、北は鴨口、南は九条までを九重の都と号せり。されば内裏は代々少しづつ替ると申せども、さだめおかるる洛中洛外の境は聊かも違うことなし。油小路より東を左近、西を右近と申、右京は長安、左京は洛陽と号之。(中略)この京いつとなく衰え申、(中略)ややもすれば修羅の巷となるにつけて、一切の売人都鄙の到来無きによりて自ずから零落すと聞え申候」と答えたとある。この幽斎の返答を聞いた秀吉は「さあらば先ず洛中洛外を定むべし」と諸大名に命じ惣土堤(御土居)を築かせたという。
  13. ^ 『室町殿日記』は史実と虚構の入り混じった、いわゆる軍記であるが、近世においては実記と捉えられることが多く、当時の京都の地誌における御土居の紹介(『拾遺都名所図会』や『山城名勝志』の「洛外惣土堤」の項)にも用いられている。
  14. ^ 高橋 (2015), p. 227-229.
  15. ^ 土本, 俊和「地子と地租の間」『建築史学』第33巻、建築史学会、1999年、110-134頁、ISSN 0289-2839 特に117-118ページ
  16. ^ 高橋 (2015), p. 231.
  17. ^ 福島克彦 著「「惣構」の展開と御土居」、仁木宏 編『都市 前近代都市論の射程』青木書店、2002年、73-104頁。ISBN 4-250-20238-0 
  18. ^ 河内将芳「中世京都「七口」考」『中世京都の民衆と社会』思文閣出版、2000年。ISBN 978-4784210572 
  19. ^ 中村武生 著「豊臣政権の京都都市改造」、日本史研究会 編『豊臣秀吉と京都』文理閣、2001年、89-112頁。 特に107-108ページ。
  20. ^ 高瀬川創建当時を描いた慶長17年(1612年)の八木家文書によれば、京惣曲輪(御土居)の外側から鴨川までの間、二条通から三条通に町家が並ぶ状況が描かれている(石田孝喜『京都 高瀬川ー角倉了以・素案の遺産ー』思文閣出版、2005年、27頁。ISBN 9784784212538 )。
  21. ^ 御土居の外側に街並みが広がった寛永年間(1624年-1644年)に、京都の土木建築行政を担った中井役所が作成した『洛中絵図』でも御土居の内側と高瀬川周囲を描く。『洛中絵図』は、江戸幕府大工頭中井家(中井役所)で作成した京都の実測地図。中井家では寛永14年(1637年)に最初の京都の実測地図(宮内庁書陵部蔵「洛中絵図」)を作成しており、その少し後の実測図が京都大学附属図書館に所蔵されている(伊東 2011)。京都大学附属図書館蔵の「洛中絵図」は、上杉和央、岩崎奈緒子『京都古地図案内』(京都大学総合博物館)によれば、中井家が幕府に提出した清書絵図の写しとされ、寛永19年(1642年)の姿とされる。京都大学附属図書館蔵の「洛中絵図」は京都大学貴重資料アーカイブ寛永後萬治前洛中絵図で閲覧可能。
  22. ^ 京都市考古資料館「御土居 洛中洛外のはざま」(令和元年度特別展示パンフレット)2019年
  23. ^ 「銀閣寺でも被害」『朝日新聞』昭和42年(1967年)7月10日夕刊、3版、11面
  24. ^ 2022年5月現在Google ストリートビューで御土居餅の看板が確認できる。


「御土居」の続きの解説一覧

御土居

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 17:34 UTC 版)

城郭都市」の記事における「御土居」の解説

詳細は「御土居」を参照 豊臣秀吉京都の町を全長22.5kmに及ぶ長大土塁と堀囲んだ(御土居)。

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「御土居」を含む「城郭都市」の記事については、「城郭都市」の概要を参照ください。


御土居

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/16 02:51 UTC 版)

大宮交通公園」の記事における「御土居」の解説

公園南側土塁一部が残る。御土居としての史跡指定はされていないかつては周囲フェンス囲って立ち入り禁じていたが、公園再整備事業にて階段設置し自由に登れるようにした。

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