商隊
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「大水滸シリーズの登場人物」の記事における「商隊」の解説
韓成(望天吼) 方臘軍残存部隊隊長、後外交官。 (楊令伝)元韓滔の息子だが、専ら父の親友の彭玘に育てられた。父の言いつけに背き、呼延灼率いる残存部隊に参加。副官を務めた後に上級将校へ昇格、死を厭わない旧方臘軍の残存兵の指揮官となる。心を閉ざし、死に向かって進んでいく部下たちを何とかして人間に戻そうと努力する。しかし童貫戦で部下の九割以上を失い、楊令の助力によりわずかに生き残った部下達の心を立て直した後は軍を抜け、呉用の下で外交官となり西夏へ派遣される。 西夏では宮廷との交渉や商隊の護衛など手広く任務に当り、西域を通過する商隊の護衛という任務の都合上ムスリムの様々な習慣にも通暁している。方臘軍の残党を指揮したことや、商隊の番人という表の役目だけを任されたことなどから楊令に対して微かな反発を抱く。後に護衛を務める郤妁と結婚する。 (岳飛伝)引き続き西夏に常駐。郤妁との間に息子、韓順をもうける。郤妁が煩わしくなったため、西域からの商隊を指揮する任務に逃げ込む。軍人としての能力は衰えていないが、前作で部下たちを死なせたことから戦いを嫌っている。王貴と組んで西域~長江までの交易路を担当していたが、耶律大石から西遼の西端として領土に組み込まれた楡柳館一帯の統治を命じられ、後に西遼の丞相となる。 宋万 方臘軍残存部隊副官、後に商隊の護衛担当。 (楊令伝)元方臘の護衛部隊将校。他の兵同様に名前を捨てていたが、呉用(趙仁)に、かつて戦死した梁山泊の宋万にちなんで名前を与えられた。方臘の死亡後に残存戦力を率いて梁山泊に入山、韓成の副官となる。心を閉ざした兵たちとは異なり、梁山泊の志に理解を示す。童貫戦の後、兵たちの心を立て直してからは、西域との交易を行う商隊の護衛を担当する。 李媛(紅天雀) 重装備部隊隊長。後に商隊の指揮官。 (楊令伝)李応の娘。弟の李英と共に梁山泊へ参加、亡き父や解宝が率いていた重装備部隊を再建して隊長を務める。紅い布をつけた飛刀の使い手で女扱いされることを嫌う。父の意志を継いだため気性が激しく、李英に対しては弟ゆえに人一倍厳しい面がある。童貫戦で活躍できなかったことに不満を抱き、北京大名府攻めを直訴するも顧大嫂に叩きのめされる。その後は商隊の輜重開発および指揮を担当、新たな活躍の場を見つける。 だが戦いへの欲求を捨てきれず、それが商隊護衛について判断ミスを犯した李英の罷免要求となって噴出したが、問題の根本を見抜いた杜興の自裁に衝撃を受け、商隊の任務に専念するようになる。後に出奔した李英を独断で捜索中に青蓮寺闇軍の襲撃を受け、致死軍に救出されるも死亡する(候真が載宗の情報を信用せず救出が遅れたことも一因ではある)。『岳飛伝』では秦容の南方開拓において、李媛が遺した設計図を基に水門が建設された。なお、盛栄・韓成・李媛の三人の綽名は読者公募でつけられた。 荀響 重装備部隊副官。後に商隊・秦容軍の上級将校。 (楊令伝)李媛の副官。李応の頃から重装備部隊に所属している。女ということで余計な気遣いをして、李媛を不愉快にさせることもある。李媛に想いを寄せていたため、彼女に接近する男に対して敵愾心を表していた。李媛の死後は荒み、そんな彼を案じた秦容の部下となる。南宋水軍への攻撃作戦で岳飛に追い詰められた秦容を救うために無謀な突撃を行い、岳飛に討ち取られた。『岳飛伝』では元部下の杜仁が登場。荀響が李媛の描いた輜重などの設計図を手直ししていたことを秦容に語っている。 郤妁 (楊令伝)子午山の麓にある荘で暮らす娘。王進の店に顔を出すたびに秦容に挑戦する。賊徒に両親を殺され、その賊の下働きをさせられた過去がある。秦容が公孫勝らと旅立つ際に強引に付いて来て、共に西夏へ向かう。物言いは粗野だが武術の腕は立ち、韓成の護衛を務めた後に妻となる。 (岳飛伝)息子、韓順を出産する。西夏で交易品の管理などを担当していたが韓順を連れて西遼へ移り、西遼軍で騎馬隊の指揮を執るようになる。 張朔 (楊令伝)張清と瓊英の息子。母から飛礫を教わる。また、性格が正反対の荒っぽい狄成と仲が良く剣を習っている。幼い頃は致死軍への志望を公孫勝に語ったことがある。後に王貴・宣凱と共に顧大嫂の預かりとなり、適性を見定められて水軍での日本との交易の任に就く。 (岳飛伝)江南を旅した際に毛定と再会。同時に梁興と出会い彼との交易を始める。甘蔗をはじめとする南国との交易を考え、構想を李俊に認められたこともあって海上交易の責任者となる。その活動範囲は日本からメコン川流域と非常に広く、阮一族や奥州藤原氏と友好関係を結ぶ。秦容の開拓地との物資や甘蔗糖の輸送も行い、中華への甘蔗糖流通に大きく関わる。 父を討った岳飛には複雑な感情を抱いていたが和解し、張清の形見である清針(方位磁針)を託す。金、南宋との戦端が開かれるのと前後して李俊から水軍総帥の地位を譲られ、韓世忠をはじめとする南宋水軍を相手に戦う。李俊や岳飛には張清に及ばないと評されるが、優れた飛礫の技を使う。 王貴 (楊令伝)王英と扈三娘の息子。端正な顔立ちで、武術は王清より上だが王英に似て短足。張朔・宣凱と共に顧大嫂の供として西域へ旅立つ。小賢しい物言いをするため顧大嫂には気に入られていない(両親の悪いところを受け継いだと評された)。後に西夏への商隊指揮を担当。物言いはともかく性格はある程度、顧大嫂に矯正された。 (岳飛伝)引き続き西域への商隊指揮を担当。河水の途絶による物流の停滞や何も打開策を講じない聚義庁に業を煮やす。漢水と長江の流れに目をつけ、漢水までの陸路を調査して新たな輸送路を開拓した。以降は主に西域~長江間の陸と河の交易を担当する。物資輸送中に辛晃の軍に襲われて重傷を負うが岳家軍に助けられ、それが縁で梁興を介して岳家軍へ穀物を卸す。 辛晃の一件で自信家な面は影を潜め、慎重な性格となる。南方への輸送も担当し、南宋の追及を逃れた崔蘭や毛定を南方の岳家軍へ運ぶ。岳飛の許しを得て崔蘭と結婚したのと前後して聚義庁へ移り、宣凱と共に梁山泊の意思決定に携わる。
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