名古屋鉄道直営時代
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1914年(大正3年)8月31日 : 名鉄バスの源流の一つである尾三自動車が東田町 - 赤池 - 米野木 - 越戸 - 挙母間に愛知県下初の乗合自動車路線開業。 1921年(大正10年)6月13日 : 名古屋鉄道株式会社(旧)が設立。 1928年(昭和3年)4月28日 : 名古屋鉄道が直営の乗合バスを、ライン遊園(現:可児川駅) - 北陽館前で営業開始。日本ライン下りの送迎を目的とする路線であった。 1928年(昭和3年)12月 : 愛知電気鉄道が乗合バス事業を国鉄熱田駅前 - 有松裏駅前間10.8 kmで開業。 1929年(昭和4年)1月 : 愛知電気鉄道が幡豆郡吉田村(現在の西尾市)に本社を置く吉田自動車を買収し子会社化。 1930年(昭和5年)9月5日 : 名古屋鉄道が名岐鉄道株式会社に社名変更。 1933年(昭和8年)8月10日: 吉田自動車が愛電自動車に社名変更。翌1934年(昭和9年)2月には増資とともに愛電より乗合バス事業の一切を譲受する。 1935年(昭和10年)8月1日 : 名岐鉄道と愛知電気鉄道が合併、名古屋鉄道株式会社(新)が発足。この時点では名岐鉄道由来の名鉄直営の自動車部門と、愛知電気鉄道の子会社であった愛電自動車が併立していた。 1936年(昭和11年)- 愛電自動車が名鉄自動車へ社名変更。 1938年(昭和13年)5月10日 - 現在の中央道特急バスの前身となる名飯線名古屋 - 飯田間の急行バスを、飯田街道(国道153号)経由で運転開始。名鉄自動車・尾三自動車・南信自動車(現:信南交通)の共同運行(1941年8月休止、1952年7月再開)。 1943年(昭和18年)8月11日 - 子会社の名鉄自動車へ名鉄直営のバス事業を譲渡・統合。 同時に戦時統合により、愛知県内の尾三自動車をはじめ12のバス事業者を名鉄自動車が合併。 また4月に岐阜乗合自動車、6月に知多乗合自動車、11月に豊橋乗合自動車を分社化、それぞれの地区のバス事業を一本化する。 1947年(昭和22年)6月10日 - 名古屋鉄道が名鉄自動車を譲受。バス事業をすべて名鉄直営とする。 1949年(昭和24年)11月10日: 浄心・山口町・大曽根・東田町・東山・中村を起点に郊外に向けて運行していたバス路線が名古屋駅前へ乗り入れ開始。 1951年(昭和26年)、名古屋鉄道株式会社の全額出資の貸切バス会社として名古屋観光自動車を設立。 1953年(昭和28年)6月1日 - 名鉄起線休止、バス代行輸送を開始し新一宮駅へ乗り入れ。 1954年(昭和29年)6月1日 - 名鉄起線が正式に廃止、名鉄バス起線となる。 1958年(昭和33年)7月18日 - 名古屋鉄道・阪急電鉄・京阪電気鉄道・近江鉄道の共同出資により、日本急行バスを設立。 1964年(昭和39年)- 日本急行バスが名神ハイウェイバスを運行開始。 1960年(昭和35年)4月22日 - 名鉄高富線(長良北町駅 - 高富駅)廃止、名鉄バス高富線(岐阜駅前 - 高富)としてバス転換。岐阜自動車営業所を新設。 7月22日 - 名鉄高富線跡地をバス専用道路として使用開始。 1962年(昭和37年)2月1日 : 名鉄バス善太線、神島田線、弥富線でマイクロバスによるワンマン運転を試験導入。 6月17日 : 名鉄岡崎市内線・福岡線廃止、名鉄バス岡崎市内線としてバス転換。 1963年(昭和38年)名鉄岡崎市内線・福岡線跡地がレール撤去後、バス専用道路となる。 1964年(昭和39年) :10月4日 名鉄鏡島線を廃止しバス転換。先に開通したバス高富線と一体化し、名鉄バス岐阜市内線(高富 - 新岐阜 - 岐阜駅前 - 西鏡島)として運行開始。 1965年(昭和40年)4月25日 : 名鉄一宮線廃止、バス転換。バス路線を東一宮から尾張一宮駅を経由し一宮市民病院まで延伸。 1967年(昭和42年)6月1日 - 名鉄バスセンター開業、名古屋鉄道本社事務所を同バスターミナルビル内に移転。同時に1階から6階にメルサが開業。日本初のビル型立体バスターミナルで、当時は東洋一の規模を誇った。 8月15日 - 東京急行電鉄・静岡鉄道など12社と共同で東名急行バスを設立。 1969年(昭和44年)- 東名急行バスが東名高速道路経由で、名鉄バスセンター - 渋谷駅などの高速バス路線を運行開始。 1973年(昭和48年)2月3日 - 名鉄バス名多線で低床バス(ワンステップバス)試験導入。 1975年(昭和50年)3月31日 - 東名急行バスの全路線が廃止。 8月24日 : 中央自動車道(中津川IC - 駒ヶ根IC)開通を機に、一般道経由で運行していた「名飯急行バス」を高速経由に改め、中央道特急バス(現:中央道高速バス)として開業。名飯線と同様に信南交通と共同運行で、直営では初の高速バス路線となる。 10月1日 - 東名急行バスが解散。廃止後に車両の一部は名古屋鉄道や静岡鉄道へ譲渡された。 1976年(昭和51年)6月28日 : 名鉄バス名古屋・津島線、岐阜市内線に冷房車を投入。 1984年(昭和59年)3月20日 : ダイヤ改正と同時に「名鉄電車・バス時刻表」(現:「名鉄時刻表」)を初刊行。以後、2011年12月17日改正までダイヤ改正ごとに刊行。 1985年(昭和60年)3月21日 - 当時の名古屋商工会議所会頭でもあった名古屋鉄道会長・竹田弘太郎の提唱により「ワールドインポートフェア」が名古屋市国際展示場で開催。ベルギーのバンホールより中型ワンステップバスのAU138Jを導入し、シャトルバスとして運行。 4月30日 - 名鉄バス本地ヶ原線を基幹バス化。大津通 - 引山間を中央走行方式バスレーンとし、名古屋市交通局との共同運行を実施。 1989年(平成元年)9月1日 - 名鉄初の夜行高速バス名古屋・長崎線「グラバー号」運行開始。長崎自動車と隔日での共同運行。開業当時は日本最長のバス路線であった。 1990年(平成2年)6月8日 - サンライズバスを設立。 10月1日 - サンライズバスに名鉄バス蒲郡営業所(名古屋鉄道蒲郡自動車営業所)を移管し、採算の難しいバス路線を分社化する嚆矢となる。 1996年(平成8年)6月 - 前年の新一宮駅高架化に伴い、駅周辺のの立体交差事業が完成、新一宮駅バスターミナル供用開始。 1999年(平成11年)10月 - 名鉄バス加木屋管理所を知多乗合(知多バス)へ移管。
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