南スーダン
別名:南スーダン共和国
英語:South Sudan、Republic of South Sudan
アフリカ中部の内陸国。首都はジュバで、2014年1月現在、ラムシールへの首都移転が進められている。
南スーダンは、1983年から2005年にかけて行われた第二次スーダン内戦の和平合意に基づき、2011年7月にスーダンから分離独立し、国際連合への加盟を承認された。それとともに、国際連合平和維持活動(PKO)の一環として、国際連合南スーダン派遣団(UNMISS)が設立され、日本の自衛隊も派遣された。
南スーダンの独立運動は、1956年にスーダンがエジプトとイギリスから独立する前後から盛んに行われ、2度の内戦に発展した。旧スーダンは、北部ではイスラム教を信仰するアラブ人が大部分を占めるのに対して、南部(現在の南スーダン)では土着信仰やキリスト教を信仰する、ディンカ人を主としたナイル系の民族が大部分を占めた。その民族的・宗教的・文化的差異は、南スーダン独立運動の大きな要因となった。
また、スーダン南部には多くの油田があり、この石油資源は南スーダンの独立を阻む要因となった。南スーダンは分離独立後も、石油を巡ってスーダンと度々争っており、2012年にはヘグリグ油田の支配権が南スーダン・スーダン国境紛争によって争われたほか、石油産出地域であるアビエイ地域の領土問題は、2014年1月現在も未解決である。なお、南スーダンの国家収入の98%は石油による収入が占めている。
また、南スーダン国内には多数の民族が存在し、民族間で土地や家畜などを巡る抗争が絶えない。2013年には、ヌエル族のリエック・マチャル副大統領が反政府勢力を率いて、ディンカ族のサルバ・キール・マヤルディ大統領率いる政府と武力衝突を起こす事態となった。
関連サイト:
南スーダン共和国 - 外務省
みなみ‐スーダン【南スーダン】
南スーダン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/10 03:17 UTC 版)
南スーダン共和国(みなみスーダンきょうわこく、英語: Republic of South Sudan)、通称 南スーダン は、東アフリカの国家。首都はジュバ。北はスーダン、東にエチオピア、南東をケニアとウガンダ、南西がコンゴ民主共和国、西は中央アフリカと国境を接する内陸国である。
注釈
出典
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南スーダン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 00:36 UTC 版)
共産ゲリラの首領 南スーダンの要塞に立てこもる共産ゲリラの首領で、リカルテ大佐との闘牌で連戦連勝を続けていたが、それはICチップを埋め込んだ「超ITガン牌」により、すべての牌を見透かすことができたためであった。真田との闘牌に敗れ自決する際、尖閣諸島沖での血戦を予告した。
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南スーダン
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「2012年ロンドンオリンピックの独立参加選手団」の記事における「南スーダン」の解説
「オリンピックの南スーダン選手団」も参照 南スーダンは2011年にスーダンから分離独立した国家。しかしながら、ロンドンオリンピックまでに組織委員会の結成が間に合わなかったため、その救済措置のため独立参加による参加が認められた。選手は同国出身ながらも、スーダン内戦によって難民となったため無国籍扱いになっている男子マラソンに参加するグオル・マリアルのみで、開会式には参加していない。
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南スーダン
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「セックス・ストライキ」の記事における「南スーダン」の解説
2014年10月、南スーダンの政治家プリシラ・ナンヤン(英語版)はジュバで女性平和運動家の会議「平和、癒やし、和解の大義を推進するために」を開いた。出席者らは、南スーダンの女性に「平和が回復するまで夫が夫婦の権利を行使することの拒否」を呼び掛ける声明を発表した。
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南スーダン
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「国際刑事裁判所ローマ規程の締約国」の記事における「南スーダン」の解説
南スーダン大統領のサルバ・キール・マヤルディは、2013年、同国はICCに加盟しないと述べた。
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南スーダン
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「アフリカにおける2019年コロナウイルス感染症の流行状況」の記事における「南スーダン」の解説
2020年4月5日、エチオピアから帰国した29歳女性の感染が確認された。
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南スーダン
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2009年4月、南部スーダン自治政府(現・南スーダン)はユニセフ(国際連合児童基金)の協力を受け、東エクアトリア州に5台の救急オートバイを導入。妊娠した女性の輸送に活用され、妊産婦の死亡率低下に貢献しているといわれる。
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南スーダン
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ニムレ(英語版)から南スーダン領に入る。ここからは南スーダンを北上し、バハル・アル=ジャバル川(アラビア語で「山の川」を意味する)とも呼ばれる。バハル・アル=ジャバルの名は中央エクアトリア州の元の州名でもある。バハル・アル=ジャバル川は平原地帯に入ると激しく蛇行し、南スーダンの首都ジュバを経て、スッド(サッド)と呼ばれる大湿地帯を流れ、ノ湖へと注ぐ。南スーダン国内で白ナイル川に架かる橋はジュバ市内のジュバ橋が唯一の物であった 。しかし荷重容量が小さく、また老朽化が激しいことから新たな橋が求められていた中、日本の国際協力機構(JICA)による無償資金協力で南スーダン国内で初となるアーチ型鋼橋が建設された。全長560mのこの橋は2013年の着工から内戦やコロナ禍での中断を経て2022年5月19日に開通式が行われ、フリーダム・ブリッジ(英語版)と命名された。 乾季の面積は約30,000 km2、雨季には130,000 km2にも広がるスッドは船舶の往来を妨げ、スッドで停滞する河水は蒸発によって失われ、この場所で白ナイルの水量は、およそ半分に減少する。スッドの中でバハル・アル=ジャバル川はバハル・エル=ガザル(ガザル川。ガゼルの川の意味)と合流し、これから先の流れが狭義の白ナイルとされている。バハル・アル=ジャバル川にはファショダ事件の舞台となったコドクなどの拠点が築かれた。白ナイルはマラカルの南でソバト川と合流する。
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