ファショダ‐じけん【ファショダ事件】
ファショダ事件
ファショダ事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 00:29 UTC 版)
「フランス第三共和政」の記事における「ファショダ事件」の解説
セネガルからジブチ・マダガスカルまでアフリカを横断するように拠点を広げていたフランスは、カイロからケープタウン・インドのカルカッタを結ぶ3C政策を意図していたイギリスと不可避的に対立を深めることになった。両者の対立は、1898年にスーダンで両国軍が対峙したファショダ事件で頂点に達するが、当時の外相テオフィル・デルカッセがイギリスとの対立よりドイツへの警戒を優先させ、イギリスに対して妥協的姿勢をみせた。これにより両国関係は好転し、徐々に対ドイツ政策などで協調をみせるようになった。
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