ひと‐ばしら【人柱】
人柱
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人柱(ひとばしら)とは、人身御供の一種。大規模建造物(橋、堤防、城、港湾施設、など)が無事完成すること、又は災害(自然災害や人災)や敵襲によって破壊されないことを神[* 1]に祈願する目的で、建造物やその近傍にこれと定めた人間を生かしたままで土中に埋めたり水中に沈めたりする風習を言い、狭義では古来日本で行われてきたものを指すが、広義では日本古来のそれと類似点の多い世界各地の風習をも同様にいう。
注釈
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人柱(じんちゅう)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/13 15:31 UTC 版)
「フロンティア (漫画)」の記事における「人柱(じんちゅう)」の解説
物語の最後、目黒が黒童に対して使用した、目黒オリジナルの黒技。
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人柱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/29 01:16 UTC 版)
吉川広家が天守台を建造中、何度も石垣が崩れて工事が難航した。そこで人柱を立てることとなり、城下に住む美人の評判が高かった「お久米(おくめ)」という娘が密かに選ばれた。祭りの最中におくめは盆踊りの輪の中から突然さらわれて埋められ人柱にされた。その後、工事は順調に進んだが、米子城下ではしばらく盆踊りが行われなくなり、米子城は別名「久米城」と呼ばれるようになったという伝説がある。
※この「人柱」の解説は、「米子城」の解説の一部です。
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人柱(ひとばしら)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 15:43 UTC 版)
日本では土木工事現場で犠牲となった労働者をしばしば人柱と言うが、これは元々、重機もなく自然を切り開くことが困難だった時代、橋や堤防の普請、城の築城などに際し、施工から完成後の永きに渡って崩落や決壊がないことを祈願し、生贄として人間を生き埋めにしたことから来ている。『日本書紀』に登場する茨田堤(大阪府)などが有名。 詳細は「人柱」を参照 ただし、人柱は神を鎮める供物ではなく、人身御供とは異なるという見方もある。神話学者の 高木敏雄は人身御供と人柱の混同を指摘している。高木によれば、人柱は神に捧げるものではないため、神に捧げるという意味で差し出される生贄が、人身御供ということになる。 なお、南方熊楠の「南方閑話」では神に捧げられる生贄が人柱として紹介されている。
※この「人柱(ひとばしら)」の解説は、「人身御供」の解説の一部です。
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人柱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 00:34 UTC 版)
1601年(慶長6年)から1602年(慶長7年)にかけての築城の際に入れられた人柱の伝説が残る。1960年(昭和35年)、城下海岸遊歩道の工事中、城の西南端から木棺が発掘された。木棺は岩盤をくり抜いた穴の中に納められ、その上に大石が載せらて石垣の基礎となっていた。棺の中からは老武士らしき人骨とともに陶製の翁像が、大石の上からは兜の金具などが発見された。大分大学教授らの調査の結果、日出城築城当時の人骨であることが推定された。築城工事は城の西南部の地盤が弱く難工事であったと伝えられており、城の裏鬼門にあたる方角に位置することから人柱を立てたのではないかと考えられている。棺が出土した地点の石上には「人柱祠(ひとばしらのほこら)」が祀られている。
※この「人柱」の解説は、「日出城」の解説の一部です。
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人柱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/30 20:45 UTC 版)
台の原丘陵の通水は難工事で、現在と異なる場所から通水を試みたが、隧道の崩壊が激しく、失敗に終わった。その後、今の場所から水路と隧道を掘り進めたが、これも水が台の原を越えることはできなかった。そこで、当時13歳だった新蔵人の次男喜七郎を人柱にたて、通水を祈願したところ、豪雨となり、その勢いで水は台の原を越えていったと言われる。現在、舌状台地の先端に喜七郎を祭った「縁切り地蔵尊」がある。この地蔵尊は贅沢を遠慮するようにと「遠慮地蔵」、また若くして死んだ喜七郎の霊前を婚礼の行列が通れば縁が切れるということから「縁切り地蔵」とも呼ばれている。
※この「人柱」の解説は、「蝉堰」の解説の一部です。
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「人柱」の例文・使い方・用例・文例
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