人柱とは? わかりやすく解説

ひと‐ばしら【人柱】

読み方:ひとばしら

築城架橋堤防工事などの完成祈って、神へ供える生贄(いけにえ)とするために、人を土中水底埋めること。また、その埋められた人。

ある目的のために犠牲となった人。


ひとばしら 【人柱】

都市神殿宮殿・橋家屋などを造るとき、その基礎人間生き埋めにし、供犠する風俗で、世界各地見られる

人柱

作者徳永真一郎

収載図書侍たちの歳月
出版社光文社
刊行年月2002.6
シリーズ名光文社時代小説文庫


人柱

作者若竹七海

収載図書バベル
出版社光文社
刊行年月2008.1
シリーズ名光文社文庫


人柱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 03:03 UTC 版)

人柱(ひとばしら)とは、人身御供の一種。大規模建造物堤防港湾施設、など)が無事完成すること、又は災害自然災害や人災)や襲によって破壊されないことを[* 1]祈願する目的で、建造物やその近傍にこれと定めた人間を生かしたままで土中に埋めたり水中に沈めたりする風習を言い、狭義では古来日本で行われてきたものを指すが、広義では日本古来のそれと類似点の多い世界各地の風習をも同様にいう。


注釈

  1. ^ 日本の場合は神道の神
  2. ^ 21世紀初頭の資料(雪崩・地すべり研究センター資料)には「この伝説は、今から約800年前の鎌倉時代のことです」とあるので、非常におおまかながら1200年代前後か。そうであれば、鎌倉中期ということになる。
  3. ^ 地名の変遷 : 越後国頸城郡猿供養寺村 → 新潟県中頸城郡寺野村猿供養寺 → 新潟県中頸城郡板倉町猿供養寺 → 新潟県上越市板倉区猿供養寺。
  4. ^ 貴人のそばに仕えて雑務をする少年

出典

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人柱(じんちゅう)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/13 15:31 UTC 版)

フロンティア (漫画)」の記事における「人柱(じんちゅう)」の解説

物語最後目黒黒童に対して使用した目黒オリジナルの黒技。

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「人柱(じんちゅう)」を含む「フロンティア (漫画)」の記事については、「フロンティア (漫画)」の概要を参照ください。


人柱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/29 01:16 UTC 版)

米子城」の記事における「人柱」の解説

吉川広家天守台建造中、何度も石垣崩れて工事難航した。そこで人柱を立てることとなり、城下に住む美人評判高かったお久米(おくめ)」という娘が密かに選ばれた。祭り最中におくめは盆踊りの輪の中から突然さらわれ埋められ人柱にされた。その後工事順調に進んだが、米子城下ではしばらく盆踊りが行われなくなり米子城は別名「久米城」と呼ばれるようになったという伝説がある。

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人柱(ひとばしら)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 15:43 UTC 版)

人身御供」の記事における「人柱(ひとばしら)」の解説

日本では土木工事現場で犠牲となった労働者をしばしば人柱と言うが、これは元々、重機もなく自然を切り開くことが困難だった時代堤防普請、城の築城などに際し施工から完成後の永き渡って崩落決壊がないことを祈願し生贄として人間生き埋めにしたことから来ている。『日本書紀』登場する茨田堤大阪府)などが有名。 詳細は「人柱」を参照 ただし、人柱は神を鎮める供物ではなく人身御供とは異なるという見方もある。神話学者高木敏雄人身御供と人柱混同指摘している。高木によれば、人柱は神に捧げるものではないため、神に捧げるという意味で差し出される生贄が、人身御供ということになる。 なお、南方熊楠の「南方閑話」では神に捧げられる生贄が人柱として紹介されている。

※この「人柱(ひとばしら)」の解説は、「人身御供」の解説の一部です。
「人柱(ひとばしら)」を含む「人身御供」の記事については、「人身御供」の概要を参照ください。


人柱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 00:34 UTC 版)

日出城」の記事における「人柱」の解説

1601年(慶長6年)から1602年(慶長7年)にかけての築城の際に入れられた人柱の伝説が残る。1960年(昭和35年)、城下海岸遊歩道工事中、城の西南端から木棺発掘された。木棺岩盤をくり抜いた穴の中に納められその上に大石載せらて石垣基礎となっていた。の中からは老武士らしき人骨とともに陶製の翁像が、大石の上からは兜の金具などが発見された。大分大学教授らの調査結果日出城築城当時人骨であることが推定された。築城工事は城の西南部の地盤弱く難工事であった伝えられており、城の裏鬼門にあたる方角位置することから人柱を立てたではないか考えられている。出土した地点石上には「人柱祠(ひとばしらのほこら)」が祀られている。

※この「人柱」の解説は、「日出城」の解説の一部です。
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人柱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/30 20:45 UTC 版)

蝉堰」の記事における「人柱」の解説

台の原丘陵通水難工事で、現在と異なる場所から通水試みたが、隧道崩壊激しく失敗終わったその後、今の場所から水路隧道掘り進めたが、これもが台の原を越えることはできなかった。そこで、当時13歳だった新蔵人次男七郎を人柱にたて、通水祈願したところ、豪雨となり、その勢いでは台の原を越えていったと言われる。現在、舌状台地先端に喜七郎祭った縁切り地蔵尊」がある。この地蔵尊は贅沢を遠慮するようにと「遠慮地蔵」、また若くして死んだ七郎霊前婚礼行列通れば縁が切れるということから「縁切り地蔵」とも呼ばれている。

※この「人柱」の解説は、「蝉堰」の解説の一部です。
「人柱」を含む「蝉堰」の記事については、「蝉堰」の概要を参照ください。

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