人身御供
人身御供とは、人身御供の意味
人身御供とは、人を生贄にして神に供えるという意味のこと。現代では、「目的のために特定の人間を犠牲者にする」という意味で使われることが多い。人身御供の英語表現には、human sacrifice や victim などが挙げられる。「人身」という言葉は、人体や人間の身体、身分などが語源になっている。「御供」は供え物が語源であり、神や仏への供物という意味がある。人身御供の類語
人身御供の類語には、生贄や人身供犠が挙げられる。生贄は、祈りや儀式のために動物や人間の命を犠牲にして神に捧げることを指す。人身供犠は、人身を神に供えるという意味がある。日本では、「人柱」と同じ意味で人身供犠が使われることも多かった。人柱は、城や橋などを築く際に生きた人間を犠牲にして神に供え、完成を祈願する習慣を指す言葉である。人身御供の例文、使い方
人身御供の例文として、「彼は、組織のために人身御供となった」や「あやうく、私は会社の人身御供にされるところだった」などの使い方がある。人身御供は、かつては人身供犠や人柱と同じく神への捧げものなどの意味で用いられることもあった。現代では、このような祭祀的な意味で人身御供が使われるシーンは限られている。日常会話では、主に目的や組織のための犠牲者といった意味で人身御供の語が使われている。
ひとみ‐ごくう【人身御▽供】
人身御供
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/30 08:49 UTC 版)
人身御供(ひとみごくう)とは、人間を神への生贄とすること。人身供犠(じんしんくぎ[1]/じんしんきょうぎ[2])とも。また、生贄の「贄(ニエ)」は神や帝に捧げる鳥・魚・新穀などの食物の意味である[3]。
注釈
- ^ ただし、次田はクシナダヒメの犠牲を生贄とは捉えていない。ヤマタノオロチの形で表された肥河が、クシナダヒメに表象される美田を飲み込むありさまを神話として語ったとする。(古事記(上)、次田真幸 p102-103)
出典
- ^ 百科事典マイペディア「人身供犠」 2010年5月
- ^ 『広辞苑』(第5版) 1998年
- ^ 2006 & 日本国語大辞典 精選版
- ^ 陳舜臣『中国五千年』(上)51頁
- ^ 高木敏雄『日本神話伝説の研究』530頁「時々人柱として河の神に人身御供に捧げられる」
- ^ 南方熊楠「南方閑話」坂本書店出版部1926年3月20日発行61頁―96頁
- ^ 小川有言「遠江の伝説」安川書店 昭和17年1942年11月1日発行166頁―167頁
- ^ 「伝説富士物語」木内印刷合資会社1952年、「東海道の伝説」関西通信社1964年、松尾四郎「史話と伝説」松尾書店1958年、、中山太郎 「日本巫女史」大岡山書店1930年
- ^ 鈴木富男(駿河郷土史研究会長)「広報ふじ1967 ふるさとのでんせつ」富士市役所 昭和42年1967年5月15日発行3頁
- ^ 小笠好恵「東海道の伝説」関西通信社1964年10月1日発行40頁―46頁
- ^ 「伝説富士物語」木内印刷合資会社1952年
- ^ 「東海道の伝説」関西通信社1964年、松尾四郎「史話と伝説」松尾書店1958年、中山太郎 「日本巫女史」大岡山書店1930年
- ^ 小笠好恵「東海道の伝説」関西通信社、小長谷宗芳「伝説富士物語」木内印刷合資会社1952年8月発行168頁-179頁
- ^ 青木純二「アイヌの伝説」第百書房 大正15年1926年5月14日発行33頁―36頁52頁―56頁80頁―81頁82頁―84頁
- ^ 『新編 柳田國男集 第七巻』 筑摩書房 1978年 p.251 - p.252
- ^ 柳田國男「日本の伝説」三国書房 昭和15年1940年12月20日95頁-96頁
- ^ 次田 1977, p. 102.
- ^ 松村武雄「日本神話の研究 第三巻」培風館 昭和30年1955年11月10日発行126頁197頁207頁、参考:松村武雄「日本神話の実相」培風館 昭和22年1947年6月10日発行155頁-156頁158頁
- ^ 大岡山書店1930年3月20日発行。247頁-250頁「第二節 人身御供となった巫女」
- ^ 中山太郎「日本巫女史」251頁、高木敏雄「日本神話伝説の研究」533頁-534頁
- ^ 藤澤衛彦「日本伝説の研究 第一巻」大鐙閣 大正15年1926年7月5日発行序2頁―3頁
- ^ 松村武雄「日本神話の研究 第三巻」培風館 昭和30年1955年11月10日発行126頁197頁207頁
- ^ 柳田國男「山の人生」実業之日本社 昭和23年1948年5月15日発行148頁―149頁 郷土研究社版 昭和11年1936年1月28日発行「山の人生」が原本
- ^ 487頁―531頁に「人身御供論」、532頁―538頁に「早太郎童話論考」
- ^ a b c d e f g h 三浦, 2015 & 第四章 最後の異教国家 リトアニア
- ^ a b 山内, 2011 & タンネンベルクの戦い
- ^ Niños momia, Sacrificados en Salta, National Geographic Channel(スペイン語)
- ^ ヨハン・ラインハルト|ナショジオピープル|番組紹介|ナショナル ジオグラフィックチャンネル
- ^ 後藤樹史. “古代の不思議 マヤの聖なる泉”. 不思議館. 2013年6月29日閲覧。
人身御供
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 13:58 UTC 版)
アステカ社会を語る上で特筆すべきことは人身御供の神事である。人身御供は世界各地で普遍的に存在した儀式であるが、アステカのそれは他と比べて特異であった。メソアメリカでは太陽は消滅するという終末信仰が普及していて、人間の新鮮な心臓を神に奉げることで太陽の消滅を先延ばしすることが可能になると信じられていた。そのため人々は日常的に人身御供を行い生贄になった者の心臓を神に捧げた。また人々は神々に雨乞いや豊穣を祈願する際にも、人身御供の神事を行った。アステカは多くの生贄を必要としたので、生贄を確保するために戦争することもあった(花戦争)。 ウィツィロポチトリに捧げられた生贄は、祭壇に据えられた石のテーブルの上に仰向けにされ、神官達が四肢を抑えて黒曜石のナイフで生きたまま胸部を切り裂き、手づかみで動いている心臓を摘出した。シペ・トテックに捧げられた生贄は、神官達が生きたまま生贄から生皮を剥ぎ取り、数週間纏って踊り狂った。人身御供の神事は目的に応じて様々な形態があり、生贄を火中に放り込む事もあった。 現代人から見れば残酷極まりない儀式であったが、生贄にされることは本人にとって名誉なことでもあった[要出典]。通常、戦争捕虜や買い取られた奴隷の中から、見た目が高潔で健康な者が生贄に選ばれ、人身御供の神事の日まで丁重に扱われた[要出典]。神事によっては貴人や若者さらには幼い小児が生贄にされることもあった。
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人身御供
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 02:56 UTC 版)
城が築城された地は「七ッ釜」という湿地帯で太田道真、太田道灌父子は土塁が完成しない。ある夜、沼の主・龍神が道真の夢枕に現れて「明朝、一番早く汝のもとに現れた者を人身御供(人柱)として我に差し出せば、築城は成就する」と告げる。翌朝一番に現れたのは道真の娘・世禰姫(よね姫)であった。実は娘も同じ夢を見たのだった。姫は城の完成を祈り沼に身を投げて龍神に捧げ、城は完成した。
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