フォークランド‐ふんそう〔‐フンサウ〕【フォークランド紛争】
【フォークランド紛争】(ふぉーくらんどふんそう)
1982年3月19日に勃発したアルゼンチンとイギリスとの領土紛争。
戦争の意図は南米・アルゼンチン沖にある英領フォークランド諸島(アルゼンチン名「マルビナス諸島」)の領有権争奪であった。
アルゼンチン側の視点では「マルビナス戦争」と呼ばれる。
20世紀後半の冷戦期、米ソ両陣営の代理戦争が頻発する中、「西側」諸国が争った珍しい戦いでもある。
概略
交戦期間 | 開戦:1982年3月19日 終戦:1982年6月14日 | ||||
戦闘区域 | フォークランド(マルビナス)諸島周辺 | ||||
交戦勢力 | |||||
陸軍 | 海軍 | 空軍 | 艦艇 | 航空機 | |
イギリス | 10,700名 | 13,000名 | 6,000名 | 111隻 | 117機 |
アルゼンチン | 10,001名 | 3,119名 | 1,069名 | 38隻 | 216機 |
損害 | |||||
死者 | 負傷者 | 捕虜 | 損失艦艇 | 損失航空機 | |
イギリス | 256名 | 777名 | 115名 | 駆逐艦2隻、 フリゲート艦2隻、 揚陸艦1隻、 徴用コンテナ船1隻 | 34機 |
アルゼンチン | 645名 | 1,048名 | 11,313名 | 軽巡洋艦1隻、 潜水艦1隻、 哨戒艇2隻 | 100機 |
戦争の経緯
- 19世紀
- フォークランド諸島を巡る領土問題はこの19世紀頃からすでに問題となっていた。
- 1981年
- アルゼンチンの大統領ガルチェリがフォークランド諸島の奪取を画策。
国内の不満をそらす目的があったと言われる。 - 1982年3月
- アルゼンチン軍がフォークランド諸島から南東1300kmにある英領サウスジョージア島を占拠。
- 1982年4月
- アルゼンチン軍がフォークランド諸島を占拠し、軍政下に置く。
駐在していた総督と60名の海兵隊員は捕虜になった。
時のイギリス首相マーガレット・サッチャーは直ちに武力奪還を決定、民間船舶までも動員した大規模な軍事行動を発動。 - 1982年4月25日
- イギリス海兵隊がサウスジョージア島へ上陸し、これを奪回。
- 1982年5月
- 両国の交戦が本格化。
- 「チャーチル」級攻撃原子力潜水艦「コンカラー」がアルゼンチン巡洋艦「ヘネラル・ベルグラーノ」を撃沈。
- 原潜による攻撃を受け、アルゼンチン海軍は唯一の空母「ベインテシンコ・デ・マヨ」を温存する方針に転換。
艦載機のA-4及びシュペル・エタンダールは陸揚げされ、陸上から展開した。 - イギリス本土から空中給油を繰り返して飛んできたバルカン爆撃機によるフォークランド諸島等への爆撃が開始。
- 空母に搭載されたハリアーもフォークランド諸島等への爆撃に参加。
- アルゼンチン空軍の「シュペル・エタンダール」攻撃機から発射されたAM-39対艦ミサイルにより、イギリス海軍駆逐艦「シェフィールド」が撃沈。
これ以後、イギリス艦隊は完全な対空哨戒ができない場合は常にチャフを放つようになった。
- 1982年5月21日
- イギリス海兵隊が東フォークランド諸島へ上陸し、数日後に制圧。
同時期、アルゼンチン攻撃機が英艦隊やハリアーと交戦し、イギリス海軍駆逐艦「コヴェントリー」およびフリゲート「アンテロープ」を1,000ポンド爆弾による空爆で撃沈したが、アルゼンチン軍機も多数撃墜されている。 - 1982年6月5日
- イギリス軍がフォークランド本島への上陸作戦を決行、首都ポートスタンリーへ前進。
- 1982年6月14日
- 現地のアルゼンチン軍が降伏。戦闘終結。
主な戦訓
この戦争は、その後の軍事技術に大きな影響を与えたいくつもの戦訓を残した。
以下にその一例をあげる。
- 「シェフィールド」の撃沈により、対艦ミサイルの有効性が確認された。
- 早期警戒機の支援がない艦艇の脆弱性が再認識された。
当時、イギリス海軍は予算の都合から正規空母を全廃し、搭載していた早期警戒機を退役させていた。
そのため、早期警戒機を運用できなかったイギリス艦隊は戦闘空中哨戒に失敗し、エグゾセによって「シェフィールド」と徴用コンテナ船「アトランティック・コンベイヤー」を失った。
戦後、イギリス海軍はこれを教訓として、シーキングの早期警戒型を開発して運用している。
- 沈没した駆逐艦「シェフィールド」の戦闘経過分析により、アルミ素材の脆弱性が判明。
同艦に命中したエグゾセミサイルの弾頭は不発だった。
しかし、その固体燃料ロケットの残存燃料が艦上で燃焼し、その熱で船体のアルミ素材が溶解。
これによって強度を失った事が沈没の主要原因に繋がった事が判明した。
これ以降、戦闘艦艇に軽量なアルミ合金が使用される事はなくなっていった。
- STOVL空母の有効性が確認された。
イギリスのSTOVL空母「インビンシブル」「ハーミズ」の艦載機ハリアー・シーハリアーの戦果による。
早期警戒機を搭載していなかったために味方の損害を許しはしたが、航空優勢の確保に大きな貢献を果たした。
これにより、正規空母を運用できない中小海軍がSTOVL空母とハリアーを導入するケースがいくつか現れた。
- 対物ライフルの需要が発生した。
アルゼンチン軍はM2重機関銃にスコープを付け、簡易狙撃銃としてイギリス軍を迎え撃った。
イギリス軍は超長距離からの狙撃対策に苦慮し、狙撃手対策に高価な対戦車ミサイルを投入せざるを得なかった。
- ふぉーくらんどふんそうのページへのリンク