フォークランド紛争
別名:フォークランド戦争、マルビナス戦争
英語:Falklands War、Falklands Conflict
大西洋沖、アルゼンチンの東に位置するフォークランド諸島をめぐるイギリスとアルゼンチンによる一連の紛争。1982年から3ヶ月にわたって行われ、最新兵器が多く用いられた戦争であった。2013年4月現在、フォークランド諸島はイギリスが実効支配している。
1982年、アルゼンチン軍によるフォークランド諸島への侵攻に対して、イギリスが機動艦隊を派遣したことで紛争が勃発した。当時のアルゼンチン国内はインフレなどにより、国民の生活が困窮していたこともあり、国内の不満を解消するためにフォークランド諸島の領有権問題を引き合いに出したといわれている。
3ヶ月に及ぶ戦闘の末、イギリスが勝利したが、両国共に多くの犠牲者を出した。両国は1990年に国交を回復したものの、英国がフォークランド沖で油田開発を開始したため、再び緊張が増している。
2013年4月9日のMSN産経ニュースの記事によると、アルゼンチン侵攻から領土を守ったマーガレット・サッチャーの強硬な姿勢は、イギリス国内で高く評価されている。一方で2013年4月9日の時事通信の記事によると、マーガレット・サッチャーに対してアルゼンチン国内は冷ややかであり、サッチャーの死去に対しても政府は公式声明を発表しなかった。
関連サイト:
妥協なき政治手法 「フォークランド」勝利導く - MSN産経ニュース
サッチャー氏死去に冷ややか=残るフォークランドの恨み-アルゼンチン - 時事通信
フォークランド紛争
マルビナス戦争(1982年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 07:06 UTC 版)
「アルゼンチンの歴史」の記事における「マルビナス戦争(1982年)」の解説
詳細は「マルビナス戦争」を参照 マルビナス戦争を起こし結果的に失脚したレオポルド・ガルティエリ 軍政時代に終止符を打ったレイナルド・ビニョーネ ガルティエリ政権は、1833年のロサス時代にイギリスに占領され、実効支配され続けていたマルビナス諸島(英語ではフォークランド諸島)への、1930年代以来国民的悲願となっていた領有権を再び大きく取り上げた。同年4月2日にアルゼンチン陸軍部隊がマルビナス諸島に上陸すると、イギリス首相のマーガレット・サッチャーはこれに大軍を送って応じ、マルビナス戦争が勃発した。 この戦争に際しては、帝国主義の残滓への抵抗という側面を重視したラテンアメリカ諸国を初めとする第三世界諸国からアルゼンチンへの支持が集まったが、アルゼンチン人が精神的な祖国として心理的に共感を抱き、頼みにしていたヨーロッパ (EC) と、軍事政権時代に様々な協力関係を構築していたアメリカ合衆国からの支持は得られなかった。それまでの独裁政治で明らかだったように@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}寡頭支配層の利害を代表していた軍上層部が定めた非効率的な組織制度の中でも、徴兵により北西部を中心とする内陸部諸州から集められたアルゼンチン兵は勇戦したが、[要出典]質に勝るイギリス軍によってプエルト・アルヘンティーノは包囲され、6月14日のアルゼンチン軍の降伏によってこの戦いは幕を閉じた。
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マルビナス(フォークランド)戦争
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「レオポルド・ガルチェリ」の記事における「マルビナス(フォークランド)戦争」の解説
詳細は「フォークランド紛争」を参照 同年4月にガルチェリは軍による攻撃を命令、まもなく同諸島の主都ポートスタンリーを占領し、緒戦ではアルゼンチン空軍機が多数のイギリス海軍艦艇を撃沈し、戦いを有利に進めたが、イギリス軍が長距離爆撃機による空爆や陸戦、同盟国であるアメリカ合衆国の援助を得ての情報戦を有利に進めると、一気に劣勢に陥った。アルゼンチンは紛争当時、反共の一環である「汚い戦争」により、アメリカと一種の共闘関係にあったとも言えるが、実質的に両国間には同盟関係は無く、ロナルド・レーガン政権は、同じく新保守主義政策を取るマーガレット・サッチャー政権との関係を優先した。また、ソビエト連邦を中心とする東側諸国からも、国内における左派弾圧の為に積極的支援を得られなかった。更に、アルゼンチン同様軍事独裁政権であるチリのピノチェト政権が領土問題による対立からイギリスに味方するなど、ガルチェリの読みは大きく外れ、国際的に孤立することになる。 6月14日にイギリス陸軍がポートスタンリーを包囲し、アルゼンチン軍は降伏、敗北した。
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