北越急行ほくほく線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 09:37 UTC 版)
施設
先述のように、ほくほく線は数回の工事計画の変更を経て、全線単線[124]、直流1500 V電化で建設されている。しかし、高速運転を実施し、1日の間に数十センチの積雪があるほどの豪雪地帯[125]を通過するため、各種の対策が施されている。
最高速度160 km/hへの対応
開業当時の線内最高速度は160 km/hで、これは新幹線を除く鉄道では京成電鉄成田空港線(成田スカイアクセス線)の「スカイライナー」とともに日本では最速、狭軌では単独の国内最速であった。このため、後述のように各種設備はそれに対応して設計された。
160 km/hに設定された背景には、国鉄時代に湖西線で行われた高速走行試験の目標が160 km/hであったこと[56]や、「新幹線と在来線の軌間の比率を考えると、200 km/hに対して160 km/hとなる」という考えもあったことが挙げられる[126]。「140 km/hでも十分」という意見もあった[126]が、関係者や技術者の多くは「絶対に在来線鉄道の将来に役立つ」と協力を惜しまなかったという[126]。
1947年に定められた鉄道運転規則に基づき、どんな場合でもブレーキ開始から走行600 m以内に停止できること(600メートル条項)が、在来線では必須とされてきた[127]。2009年現在でも、新幹線以外の鉄道ではこの停止距離が標準的な要求となっている[128]。ほくほく線の車両も600 m以内での停止要求は実現できていないが、ほくほく線は後述する原則踏切を排した完全立体の線路、ATS-P形式の自動列車停止装置、GG信号等が導入され[129]、特例措置として160 km/h走行が認められた[129]。
しかし、1996年から開始された開業前の試運転の際には、高速走行時の車内で予想以上の気圧変動が発生しており[130]、気密構造でなかった681系を使用した試運転で窓の接着部分には指が入るほどの隙間ができてしまったことすらあった[126]。これらの現象は、ほくほく線のトンネルが単線断面であり、かつトンネル断面が複雑であることが要因であり[130]、ほくほく線で高速運転を行う特急形車両については、客室扉が閉じた際に車体に圧着させるなどの対策を施した簡易気密構造の車両に限定されることになった[130]。その後の半年にわたる試運転で安全性は立証された[77]ものの、万全を期して、開業当初の最高速度は140 km/hとした[77]。その2年後に行われた特急形車両の重要部検査時には、車両の構体に亀裂などがないかを微細に確認した上で[77]、1998年12月8日から150 km/h運転を開始した[119]。さらに2年後に行われた全般検査時にも構体に対して同様の確認を行い[4]、2000年11月21日には160 km/h運転の試運転を行った上で問題がないことを確認[4]、2002年3月23日から160 km/h運転が開始されている[119]。
ただし、通常ダイヤであれば155 km/h程度で定時運行が可能で[131]、160 km/hは列車が遅延した際の余裕と考えられていた[131]。また、最高速度である160 km/hで走行できる区間は、勾配などの影響から下り列車(犀潟方面行き)が赤倉・鍋立山・霧ヶ岳の各トンネル内とくびき駅から犀潟駅までの高架橋区間[4]、上り列車(六日町方面行き)では薬師峠トンネル内となっている[4]。さらに、気圧変動の緩和のため、ATS-Pによってトンネル進入時に130 km/hに速度を落とし、進入後のトンネル内で160 km/hまで加速させている[4]。
北陸新幹線開業後の2015年3月14日以降は特急列車の160 km/h運転を終了し、国土交通省運輸局への申請最高運転速度を160 km/hから引き下げている。なお、営業列車は基本的に110 km/h(2023年3月18日からは95 km/h[5])で運転する普通列車のみとなったが、E491系検測車や485系などのJR車両を運転するため、申請最高運転速度は130 km/hとしている[95]。なお、160 km/h運転に関わる技術は成田スカイアクセス線へ継承されており[132]、日本鉄道運転協会から北越急行に対して、160 km/hによる運転の実績と京成電鉄への技術承継を評価する「東記念賞」が授与されている[132]。
構造物
建設中数度に渡り工事実施計画の変更が行われたが、最終的に最小曲線半径は400メートル、最急勾配は33パーミルとなっている[133]。半径の小さな曲線はすべて、JR線と接続する六日町・十日町・犀潟の駅付近に位置し、それ以外の区間では半径800メートル以上である[134]。もっとも曲線のきつい半径400メートルのカーブは犀潟駅の1か所のみで、制限速度は80 km/hである[134]。高規格化にあたって、緩和曲線長の延伸などの改良が行われている[134]。踏切は、始終端の六日町駅・犀潟駅構内の2か所のみであり[135]、線区の中間にはまったく踏切が存在しない。この2か所の踏切では、前後に存在する曲線や分岐器に伴う速度制限により、列車の通過速度が130 km/h以下に抑えられることから、他の線区の踏切と同等であるとして、特段の保安措置は採られていない[69]。
軌道
軌条(レール)は1メートルあたりの重さが60 kgである60 kgレールが大半を占め、一部の区間では50 kgレールも使用している[136]。2009年現在では、在来線では50 kgレールが一般的で60 kgレールの採用は少ない[137]。60 kgレールは新幹線と同じレールで、その重さにより高速走行の衝撃に耐えることができ、車両の高速走行の安定化に貢献している[137]。
軌道は、トンネル内や高架橋など全線の約7割でスラブ軌道が採用され[136]、軌道の強化と保守の低減が図られている[137]。このスラブ軌道には「枠型スラブ」と称するコンクリート使用量が少ないものが採用されており[138]、その後東北新幹線・北陸新幹線の延伸部分でも採用された[138]。
築堤など約2割の区間はバラスト軌道を用いたが、築堤上にアスファルトを敷き雨水浸水対策をしたうえで軌道を敷設している[139]。このほか、事情に応じて合成まくらぎ直結軌道、弾性まくらぎ直結軌道、鋼直結軌道、パネル軌道などの区間もある[136]。住宅の多い地域では、バラスト軌道とコンクリート枕木の組み合わせを採用し、騒音低減を図るなどの配慮が行われている[137]。
本線上において高速走行の列車が通過する場所にある分岐器12組はノーズ可動クロッシングとした[140][注釈 5]が、これは開業時点では、新幹線以外の日本の鉄道ではほくほく線を含めても20組程度しか導入されていなかった特殊な分岐器である[140]。十日町駅構内については、駅前後の曲線で速度制限を受けることによって130 km/h以下の速度での通過となるため[141]、ノーズ可動クロッシングを使用していない[141]。また、交換設備はすべて1線スルー方式で[66]、直進側を通過する際には最高速度のままで通過可能である[66]。
トンネル
魚沼丘陵と東頸城丘陵を横断する線形からトンネルが14か所と多く[2]、すべてのトンネルの長さを合計すると40,342メートルとなり、これは路線長59,468メートルの67.8パーセントに相当する[142]。他の構造種別は、土路盤が9,679メートルで16.3パーセント(うち切取1,042メートル、盛土8,637メートル)、橋梁が9,447メートルで15.9パーセントである[142]。後述のように単線であることに加えて、非電化を前提として建設が開始されたため、通常の複線電化されたトンネルと比較してトンネル断面積が小さいことが特徴である[129]。
全長が3,000メートルを超えるトンネルについて、起点側から順に以下に示す。
- 赤倉トンネル
- 魚沼丘陵 - しんざ間に位置する全長10,471.5メートルのトンネルで、トンネル内に赤倉信号場と美佐島駅が存在する[143]。国鉄・JR以外の日本の鉄道用として開通した山岳トンネルではもっとも長い[143][注釈 6]。東工区4,281.5メートル、中工区4,140.0メートル、西工区2,050.0メートルの3つの工区に分割して施工され、東工区および中工区では膨張性地圧と大量の湧水により工事が難航した[144]。トンネル内で上越新幹線の塩沢トンネルと立体交差となっており、交差部でのトンネル間隔は1メートルもない条件で、先に赤倉トンネルが施工されたことから塩沢トンネル施工前に赤倉トンネルに補強工事を行っている[145]。1969年(昭和44年)から1974年(昭和49年)にかけて建設され[146]、工事凍結時点では既に完成済みであった。
- 薬師峠トンネル
- 十日町 - まつだい間に位置する全長6,199.17メートルのトンネルで、トンネル内に薬師峠信号場が存在する[143]。東工区3,647メートル、西工区2,522メートルに分割されて施工され、西工区では地質に恵まれ順調に掘削できたものの、東工区は大規模な異常出水に直面したほか、国鉄信濃川発電所用の水路トンネル2本との立体交差があり、特別な対応が求められた[147]。1973年(昭和48年)から1979年(昭和54年)にかけて建設され[146]、工事凍結時点では既に完成済みであった。
- 鍋立山トンネル
- まつだい - ほくほく大島間に位置する全長9,116.5メートル(スノーシェッド13メートルを含めて9,129.5メートル)のトンネルで、トンネル内に儀明信号場が存在する[143]。東工区1,750.5メートル、中工区3,387.0メートル、西工区3,979.0メートルに分割して施工され[148]、東工区は予定通りの工期で完成したが、西工区の後半(トンネル中央側)と中工区は膨張性地山と可燃性ガスの湧出により苦しめられた[149]。1973年(昭和48年)に着工したが、1982年(昭和57年)の工事凍結時点で645メートルが未掘削で残されており、工事再開後も日本のトンネル工事史上未曽有とされる困難を極める工事となった[149]。最終的に1995年(平成7年)に完成し[60]、途中の中断期間を含めると21年11か月を要した。
- 霧ヶ岳トンネル
- ほくほく大島 - 虫川大杉間に位置する全長3,726.98メートル(スノーシェッド6メートルを含めて3,732.98メートル)のトンネルである[143]。東工区1,826メートル(入口側の六夜沢橋梁を含む)、西工区1,828メートル、出口側開削区間140メートルの3工区に分割して施工された。地質に恵まれた工事であったが、西工区は建設中に工事凍結を迎え、東工区は工事再開後の着工となった[150]。1978年(昭和53年)から1992年(平成4年)にかけて建設された[146]。
- 第一飯室トンネル
- うらがわら - 大池いこいの森間に位置する全長3,287メートルのトンネルである[143]。東工区1,610メートル、西工区1,672メートルに分割して施工され、一部崩壊性地山に遭遇して難渋したが全体的には順調な進行で[151]、工事再開後の1988年(昭和63年)に着工し1991年(平成3年)までかけて建設された[146]。
橋梁・高架橋
全線で橋梁が28か所、高架橋が35か所、架道橋が69か所、線路橋が3か所、溝橋が2か所ある[152]。
構想当初から首都圏と北陸を結ぶ優等列車や貨物列車の運転が考えられていたためKS-16荷重を採用していた[30]。しかし国鉄再建法に伴う工事中断とその後の第三セクター方式での建設再開に際して、旅客専用線として計画を改めており、重い機関車の入線は不可能となっている[98]。第三セクター化後に建設された区間の活荷重はKS-12荷重を採用している[53]。ただし雪かき車の通行は想定されており、設計に際してDD14形・DD53形の両ロータリー式雪かき車の重量が考慮され[53]、荷重試験や軌道検測車による検測ではDD51形が入線している[75]。
高架橋の中に雪が溜まらないようにする対策として、くびき付近では線路と側壁の間が吹き抜けとなっている「開床式高架橋」を採用している[65]ほか、周囲が田園地帯の区間の高架橋には、そもそも側壁自体が設けられていない[153]。一方、しんざ駅と十日町駅の間の高架橋では、赤倉トンネルの湧水をそのまま線路脇に流して融雪している[154]。
最長の橋梁は、十日町 - 薬師峠信号場間にある信濃川橋梁で、全長406.73メートルである[155][156]。橋脚や橋台は国鉄線として施工されたためKS-16荷重で設計されているが、橋桁は第三セクター化されてからの施工のためKS-12荷重となっている。1径間68メートルの3径間連続トラスを2連用いた橋梁となっている[157]。
駅・信号場
列車の行き違いを行う交換設備は、起終点を除くと十日町・まつだい・虫川大杉・くびきの4駅と、赤倉・薬師峠・儀明の3信号場にあり、すべて10両編成同士の列車交換が可能である[66]。駅数は両端の六日町駅・犀潟駅を含めて12駅で[2]、自社管理の駅員配置駅は十日町駅だけで[2]、起点・終点駅である六日町駅・犀潟駅と十日町駅以外は、すべて無人駅である。特急の停車しない駅のプラットホームは、虫川大杉駅の1番線のみ9両分の長さで[153]、ほかはすべて2両分のみである[153]。また、信号場は3か所ともトンネル内にある[2]。トンネル内の信号場は、国鉄新線としての建設時に貨物列車の運行を計画していたことから、有効長460メートルを実現するために、複線断面となっている延長が680メートルに達しているが、実際の待避線有効長は240メートルとなっている[158]。当初計画では制限速度45 km/hの振り分け分岐器を使用することになっていたが、そのままでは一線スルー構造を実現できないことから、半径3,000 mのSカーブとすることによって対処している[139]。
「はくたか」・快速が停車しない駅では列車が高速で通過して危険であることから、地上駅についてはホームへの入口にはスイングゲートを装備し、列車に乗降する時以外はホームに入らないようにとの注意書きがなされた[159]。地下駅の美佐島駅は、特急が140 km/hでトンネルに進入した場合、トンネル内を吹き抜ける風は、風速25メートルにも及び[153]、通過列車が接近した場合に風圧によって飛ばされる危険が高いことなどから、二重の防風扉を装備し、客扱い時以外はホームを封鎖する。無人駅ながらホーム部分は常に監視カメラによって管理されており、列車到着後2分以内にホームから出る必要がある。このため、列車が発着した後もホームに残っているとアナウンスで注意される[154]。
車両基地は六日町駅に隣接しており[125]、2両編成×3編成が収容可能な収容庫と検修庫に分かれている[125]。なお、後述する雪対策の観点から、冬季は屋外での車両留置は行わず、すべて留置用の収容庫か検修庫を利用する[125]。このため、車両洗浄機や洗浄台も収容庫内に設けられている[125]。
閉塞方式
閉塞方式は単線自動閉塞式である[66]。列車集中制御装置 (CTC) とプログラム式進路制御 (PRC) を併用し[66]、進路設定の上で支障となる要因がなくなると30秒で進路を設定できる[66]。
開業当初は列車密度および最高速度の問題と160 km/h運転の可否(GG信号の点灯不点灯)を手前から判断する必要から、出発信号機8機と閉塞信号機22機を使用して閉塞区間を比較的短区間で設定しており[66]、本線の1閉塞区間の平均の距離は1,566メートルであった[66]。
2015年3月14日以降は特急列車の160 km/h運転を終了し[95]、加えて列車の設定本数が半減したため、本線にある閉塞信号機はJR線と接続する六日町 - 赤倉信号場間とくびき - 犀潟間の各1か所を除いて使用停止とし、それ以外の区間では列車の交換施設がある駅または信号場の間に設置されていた複数の閉塞区間を統合して1つの閉塞区間とした[注釈 7]。なお、使用停止となった閉塞信号機は2016年度中にすべて撤去されている[95]が、長大トンネル内での走行位置を運転士が判断できるようにする必要性から、従来閉塞信号機が合った個所に黄色い丸の反射板と数字による「地点標識」を順次新設しており、地点標識での確認喚呼を新たに設けている[注釈 8][95]。
保安装置
保安装置(自動列車停止装置)はATS-P形を採用している[126]。
当初、運輸省では高速運転に際して、新幹線と同様に自動列車制御装置 (ATC) の導入を求めていた[140]が、導入コストの問題のほか[140]、各地からの臨時列車の乗り入れが車種の制限なく行えるようにするため[140]、ATS-P形の導入となった[126]。このATS-P形の全面導入により、ほくほく線の交換駅では安全側線を廃止し[160]、交換列車同士の同時進入についても本線側55 km/h・分岐側45 km/hに制限速度が緩和されている[66][注釈 9]。
また、2015年3月13日以前は130 km/h以上での走行を許可する「高速進行現示」として主信号機では緑2灯の点灯、中継信号機では縦に6灯の点灯をもって、高速進行現示とする「GG信号」が導入されていた[126]。このGG信号は、ATS-P形のトランスポンダ車上子を搭載した車両に限って現示されたもので、トランスポンダ車上子搭載車が信号機を通過する数十秒前にG信号(進行現示)からの変換によりGG信号が現示される[161]。GG信号は中3灯を空けて点灯することにより視認性を向上している[162]。このGG信号の導入により、それまでの緑1灯の点灯となる進行現示(G信号)は130 km/hの制限信号となった[163]。また、GG信号を表示する出発信号機の下にはオレンジ色の速度標識が掲出されたが、これは制限速度ではなく、当該区間の許容速度を示す標識であった[126]。 なお、申請最高運転速度を130 km/hへ引き下げた2015年3月14日以降は、5灯式信号機についても3現示のみの点灯となり[95]、速度標識も順次撤去されている。
電力設備
160 km/h走行を考えれば電流を小さくできる交流電化の方が有利な面が多いが、トンネルが内燃動車の運転を前提として建設されたために断面が小さく、直流電化に比べて高い電圧を使用する交流電化に必要な絶縁離隔確保ができないことや、前後のJR線が直流電化であることから、やむなく直流電化が採用されている[164][165]。架線引きとめについては完成済みのトンネル天井を一部壊したほか、建設時期によるトンネル断面の変化点を利用して対応した[139]。
架線支持方式は、高速走行時にも電車が安定して給電を受けられるように、地上区間では新幹線と同様のコンパウンドカテナリ方式を使用している[140][注釈 10]が、もともと非電化路線として建設されたため断面積の小さいトンネル内では、上下寸法の小さいツインシンプルカテナリ方式を採用しており[140]、さらに吊架には長幹碍子という特殊な碍子を使用している[140]。
変電所は、おおむね10 km間隔で六日町・津池・十日町・松代・大島・浦川原・大潟の7か所に設置されており、総出力は33,000 kWとしている。これは総延長が約60 kmの鉄道路線としては異例の重装備であるが、「はくたか」運行終了に伴い設備のスリム化を図るため、津池変電所を廃止、大島・大潟の変電所からの受電を止めることで、使用する変電所を4か所に削減する予定としている[166]。また沿線が有数の豪雪地帯であるため、一部を除いて変圧器などの重電部品は建屋に収納する対策が施されている[162][167]。
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トンネル内の架線吊架には特殊な碍子が使用されている(赤倉トンネル・美佐島駅)
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浦川原変電所
雪対策
前述の通り、路線長の68パーセントがトンネルであるが、残る地上区間については先述したほかにも数々の雪対策が施されている。これら対策を開業当初から施した[81]ことにより、ほくほく線は接続するJRの路線が不通になった時でも運休することはほとんどなく[168]、雪対策で不備をきたしたことも皆無に近い[81]。
- 消雪溝
- 車両が排雪した後も線路脇に雪の壁を作らないようにするための装備。六日町駅構内に設けられており、線路脇に溝を作って地下水を流す[169]。なお六日町では地下水汲み上げによる地盤沈下が激しく、地下水の利用には制限があるため[169]、使用後の水は循環使用される[169]。
- パネル式融雪装置
- 車両が排雪した後も線路脇に雪の壁を作らないようにするための装備。地下水によって加温した不凍液をパネルの中に循環させるもので[170]、民家や施設が周囲にあって除雪の際に投雪ができない場所に設けられている[170]。六日町駅構内では地下水は循環利用である[169]が、関越自動車道を跨ぐ場所では取水制限がないため地下水は循環利用していない[138]。
- 融雪ピット
- 六日町駅構内の踏切脇に設けられており[169]、レールの間の枕木上にFRP製のトレーを置き、地下水を流すことによって列車に押された線路内の雪の量を減らす[169]。これによって線路から踏切内へ持ち込まれる雪が少なくなる[169]。前述の取水制限があるため、使用後の水は循環使用されている[169]。
- スプリンクラー
- 六日町の車両基地構内、十日町駅構内などに設けられている。六日町では地下水を利用するが、前述の取水制限があるため使用後の水は循環使用されているほか、車両基地内も路盤をアスファルト舗装とし、その上にバラストを敷いた強化路盤としている[125]。十日町駅手前の飯山線を跨ぐ部分は赤倉トンネルの湧水を[154]、十日町駅構内では薬師峠トンネルの湧水を利用しており[171]、使用後の水は十日町の市街地道路の融雪に利用された後、信濃川へ放流されている[171]。
- 熱風ヒーター
- 地下水脈が全くないため地下水を利用する手段が採れず[172]、水利権の関係で川の水も利用できない[172]まつだい駅構内の分岐器に装備される[172]。ボイラーで摂氏100度まで加温された温風をダクトで分岐器に導くもので[172]、温風噴射口では摂氏40度程度の温風となる[172]。なお、松代地区では道路の融雪も水が利用できず、ロードヒーティングが主体である[172]。
- 温水ジェット噴射装置
- 分岐器の可動部分で雪氷が詰まることによって、分岐器の不転換を引き起こすことがある[173]。無人駅がほとんどのほくほく線では、直ちに人力で対応することは難しいため[173]、不転換の分岐器があった場合には温水を噴射して氷雪を溶かす方法を採用した[173]。この装置は運行指令所から遠隔操作され、噴射口からは摂氏25度の温水が60秒間噴射される[172]。この装置は、ほくほく線の本線上にあるすべての分岐器に装備されている[173]。降雪のないトンネル内の信号場にも設置されているのは、通過車両から落下する可能性のある雪や氷を考慮したためである[172]。
- 除雪機械(モーターカー)
- JRから譲受した旧式の排雪用のモーターカー1台のほか、ほくほく線開業時に新造した2台が用意されている[174]。新造したモーターカーは、犀潟寄りに雪を両脇に押し出すラッセルヘッド[174]、六日町寄りに線路脇の雪の壁を崩した上で投雪するロータリーヘッドを装備している[174]ほか、架線に付着している霜や雪を除去するためにパンタグラフを装備している[173]。冬期中は、これらのモーターカーで夜間時に除雪作業を行っている[160]。
このような地上側での雪対策の装備について、定期点検を含めた総経費は年間約1億円である[172]。
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くびき付近の開床式高架橋
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十日町付近の高架橋では両脇に湧水を流している
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六日町駅構内に設けられた消雪溝
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線路の両側にパネル式融雪装置が設置されている区間。線路の両側の部分だけ積雪がない
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まつだい駅の分岐器に設置される熱風ヒーター。レールの間にある四角い箱のようなものがダクトである
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十日町駅に取り付けられた消雪スプリンクラー
地上側の設備に加え、線内列車に使用されるHK100形電車のスノープロウの先端部分は櫛の歯のような形状にしている[169]。これは2本のレールの間の雪が圧雪状態の塊になると脱線事故の原因になりかねないため[169]、この先端部分で雪をほぐし、圧雪状態にならないようにするためである[169]。さらに、前述の運行体制の一環として、大雪であっても列車の運行を行うことによって、線路上への積雪を最小限に抑えている[81]。北越急行では、「最大の除雪手段は、列車を走らせ続けること」としている[81]。
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先端部分が櫛の歯のような形状になったHK100形電車のスノープロウ
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車両洗浄機や洗浄台も収容庫内に設けられた
注釈
- ^ いずれも越後湯沢の西方にある地名であるが、原出典では地図等の明示がなくこれらに該当すると確定できない。ここでは仮に関連すると思われる記事にリンクしてある。
- ^ 1962年4月から松之山町内で大規模な地すべりが発生していた。南線予定ルートにある「光間」駅付近[22]。
- ^ アンケートの上位は「ほくほく線」と「北越ロマン線」の2つであった。
- ^ 当時、JR東日本では、自社管内にはない交流20000 V・60 Hzで電化された北陸本線でも走行できる特急型車両としてE653系が存在した。しかし、「はくたか」は当時JR西日本・JR東日本・北越急行の3社で運行距離による比率で車両の運用数を按分し相殺していたため、仮にJR東日本が車両を新造した場合「はくたか」用単体ではごく少数の新造(最低1編成、485系3000番台は予備を入れて2編成)に留まり、加えて高速運転対応設備が求められる。また、北陸新幹線開業後に他線区に転用することがほぼ確実であるため、新潟地区など他線区の置き換えと同時に新造すると余剰となる可能性があった。
- ^ ノーズ可動クロッシングにすることによって、ポイントを高速で通過しても脱線しにくくなる。
- ^ 開業時点ではJR以外の日本の山岳用鉄道トンネルとして最長であったが、2015年3月14日の北陸新幹線開業に伴い、北陸本線の頸城トンネル(11,353 m、1969年開通)がえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインの所属に移管されたため、「JR以外の鉄道で最長の山岳トンネル」の座は譲っている。
- ^ これにより、この区間での単線区間においては、1つの列車しか進入できないようになっている
- ^ 160 km/h運転時での閉塞信号機が合った個所での確認喚呼は特急列車では「第○閉塞 高速進行」、普通列車では「第○閉塞 進行」であったが(○は閉塞信号機の番号)、新設された地点標識での確認喚呼では「第○地点 よし」としている
- ^ 通常、同時進入は警戒現示により25 km/h制限となる。
- ^ 架線支持方式には様々な方式がある。コンパウンドカテナリ方式の架線は構造が複雑である反面、一般的な架線よりも張力を高くすることが可能でありパンタグラフへの追従性が良い。
- ^ ただし一部区間での表定速度に限れば、首都圏新都市鉄道が運営するつくばエクスプレスが、流山おおたかの森駅 - つくば駅間 31.8 kmを快速で19分・表定速度100.4 km/h(途中停車駅数1)、守谷駅 - つくば駅間 20.6 kmを快速で12分・表定速度103.0 km/h(途中停車駅数0)、JR西日本湖西線の快速が堅田駅 - 近江舞子駅間14.5kmを8分・表定速度108.75km/h(途中停車駅数0)で走行するといった事例は存在する(いずれも最高速度 130 km/hでの運転)。
- ^ 仮にこの数値を国鉄再建法により規定された区分に当てはめた場合、「地方交通線」ではなく「幹線系線区」に該当する。
- ^ なお私鉄・第三セクター所属車両がJR車籍に編入されるのは、209系3100番台やキハ125形400番台に次いで3例目となる。
- ^ なお、1編成は前述の譲渡を待たずに「しらさぎ」色への塗り替えが行われた。
出典
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固有名詞の分類
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