長谷川逸子 長谷川逸子の概要

長谷川逸子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/23 16:36 UTC 版)

長谷川逸子
生誕 (1941-12-01) 1941年12月1日(82歳)
日本 静岡県焼津市
国籍 日本
出身校 関東学院大学
職業 建築家
受賞 日本建築学会賞作品賞(1985年)
日本芸術院賞(2000年)
所属 長谷川逸子・建築計画工房
建築物 眉山ホール
湘南台文化センター
山梨フルーツミュージアム
新潟市民芸術文化会館

概要

伊東豊雄とともに「野武士」世代と伝えられている(槇文彦が命名)[1][2]1984年竣工の眉山ホールでの日本建築学会賞作品賞受賞[3]1986年槇文彦磯崎新らが審査員を務めた湘南台文化センター公開コンペで最優秀賞を受賞し一躍注目を浴びる。トウキョウ建築コレクション2020審査員長[4]などを歴任。

来歴・人物

1941年昭和16年)、静岡県焼津町に生まれる[5]。父親は、逸子の祖父が創業したいくつもの会社を継ぎ、練炭工場や鉄工所など複数の事業を営んでいた[6]

1954年、焼津市内の小学校卒業後、静岡市にある私立女子校の静岡精華学園に入学した[7]。生まれてすぐ肺炎にかかるなど[7]、体が弱いことを心配した母のすすめで軟式テニス部に所属した[8]

父親の鉄工所は造船も手がけており、その影響で船の設計が学べる造船学科への進学を考えたが、問い合わせをした際に「女子は募集していない」と言われて断念した[9]。その後姉のすすめで設計図が書ける職業を調べ、建築家を志した[10]。しかし、当時は工学部に女性は行っていけないと考える人も多かった[11]。教師との考えのずれから進路が決まらぬまま高校3年の時に登校拒否をし[12]国立大学の願書の締切が過ぎてしまったが、その後関東学院大学の建築学科を受験した[13]

大学入学から独立まで

1960年4月、関東学院大学工学部建築学科入学。構造学を学び松井源吾に師事する[14][11]。大学2年次に作成した模型が縁で菊竹清訓事務所でアルバイトをしており[15]、大学4年次に行った「浅川テラスハウス」の実施設計を行ったことで意匠に目覚め、建築をやろうと決めたと述べている[15]。大学卒業後、菊竹清訓事務所に就職し、1968年12月まで所属していた[15]

1969年(昭和44年)4月、雑誌で篠原一男の「白の家」を見たことがきっかけに、小さな規模の建築を作りたいと[15]、東京工業大学の篠原一男研究室に研究生として所属する[15][16]。同年、一級建築士の免許を取得[17]

篠原研究室に在籍中に住宅設計の手伝いをする傍ら、知人から注文を受け個人としても設計を行っていた[18]。初めて設計を行ったのは、1972年に完成した焼津の家である[19]。その後事務所を設立し独立するまでに6軒の住宅を設計した[20]

1979年、38歳のときに自由が丘に「長谷川逸子・建築計画工房」を設立した[21]

事務所設立以降

1986年湘南台文化センターの建築コンペで、215倍の競争に勝ち最優秀賞となる[22][23]。日本で初めて、大規模な公共建築に女性の設計が採用された[22][24]。設計にあたっては、反対意見もあったが、市民と意見交換を行う会合を40回以上行った[25][26]。完成後、この対話を経てコンペ時よりも柔らかくて元気な建築になった、と述べている[27]1990年湘南台文化センターのプログラムについてエイボン芸術賞を受賞した[28]。以降、新潟市民芸術文化会館など、公共建築を手がけていく[29]

2005年男女共同参画づくり功労者内閣総理大臣表彰[28][30]

オフィスとして使用していたBYハウスはリフォームし、2016年よりgallery IHAとして使用している[31]2017年5月からはギャラリーを活用した取り組みを行うNPO「建築とアートの道場」代表を務めている[32]

2018年ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツによる、第1回ロイヤル・アカデミー建築賞を受賞[33]

主な作品

焼津の文房具屋
湘南台文化センター
すみだ生涯学習センター(ユートリヤ)
大島町絵本館
山梨フルーツミュージアム
新潟市民芸術文化会館(りゅーとぴあ)
静岡大成中学校・高等学校
名称 所在地 備考
焼津の住宅1[19][34] 1972年 静岡県焼津市
鴨居の住宅[35][36] 1975年 神奈川県
緑が丘の住宅[37] 1975年 東京都目黒区 
柿生の住宅[38][39] 1977年 神奈川県
焼津の住宅2[40] 1977年 静岡県焼津市
焼津の文房具屋 1978年 静岡県焼津市
徳丸小児科[41][42] 1979年 愛媛県
桑原の住宅[43] 1980年 愛媛県松山市 2007年JIA25年賞[43]
眉山ホール[3] 1984年 静岡県静岡市 1985年度日本建築学会賞作品賞[3]、現存せず
湘南台文化センター[44] 1989年 神奈川県藤沢市 公開コンペ最優秀賞、1992年BCS賞[44][45]
すみだ生涯学習センター(ユートリヤ)[46][47] 1994年 東京都墨田区 招待コンペ最優秀賞[48]、1995年JSCA賞佳作賞[46]
大島町絵本館(現 射水市大島絵本館)+絵本ふれあいパーク[49][50] 1994年 富山県 公共建築賞
氷見市立仏生寺小学校[51] 1994年 富山県氷見市 学校建築賞[52]
山梨フルーツミュージアム[53][54] 1995年 山梨県
氷見市立海峰小学校[55] 1996年 富山県氷見市
フットワークコンピューターセンター[56] 1997年 兵庫県加東郡
ミウラート・ヴィレッジ[57] 1997年 愛媛県松山市
滑川アパートメント 1998年 茨城県
新潟市民芸術文化会館(りゅーとぴあ)[58] 1998年 新潟県新潟市 公開コンペ最優秀賞、日本芸術院賞、2001年BCS賞[58][59]、全日本建設技術協会賞 [52]
ふれあいエスプ塩竈 1999年 宮城県塩竈市
袋井市月見の里学遊館 2001年 静岡県袋井市
Y・Sハウス 2002年
SNハウス 2003年
本陣市営住宅・太田行政センター 2005年 群馬県太田市
静岡大成中学校・高等学校 2005年 静岡県静岡市 長谷川逸子の出身校でもある
珠洲市多目的ホール(ラポルトすず[60] 2006年 石川県珠洲市 2008年BCS賞[60][61]
NISHIMAGOME TERRACE COURT 2013年 東京都

  1. ^ 槇文彦「総合建築時評:平和な時代の野武士達」『新建築』第54巻第11号、新建築社、1979年10月、195-206頁。 
  2. ^ 菊地尊也. “野武士(現代美術用語辞典ver.2.0)”. アートスケープ. 2022年12月5日閲覧。
  3. ^ a b c 眉山ホール”. DAAS. 2022年12月13日閲覧。
  4. ^ 「全国修士設計展」|トウキョウ建築コレクション2020”. トウキョウ建築コレクション (2020年2月29日). 2022年12月5日閲覧。
  5. ^ 実川 2002, p. 23.
  6. ^ 実川 2002, p. 24.
  7. ^ a b 実川 2002, p. 25.
  8. ^ 実川 2002, p. 26.
  9. ^ 実川 2002, p. 36.
  10. ^ 実川 2002, p. 37-38.
  11. ^ a b 坂牛 2022, p. 127.
  12. ^ 実川 2002, p. 42.
  13. ^ 実川 2002, p. 47-48.
  14. ^ 実川 2002, p. 54-55.
  15. ^ a b c d e 坂牛 2022, p. 128.
  16. ^ 実川 2002, p. 95-96.
  17. ^ 実川 2002, p. 97.
  18. ^ 実川 2002, p. 108.
  19. ^ a b 実川 2002, p. 108-109.
  20. ^ 坂牛 2022, p. 129.
  21. ^ 実川 2002, p. 133.
  22. ^ a b 宮本 1990, p. 5.
  23. ^ 実川 2002, p. 147.
  24. ^ 実川 2002, p. 148.
  25. ^ 宮本 1990, p. 3-4.
  26. ^ 日経アーキテクチュア 2003, p. 66-67.
  27. ^ 日経アーキテクチュア 2003, p. 78.
  28. ^ a b 続いてきたものから新しい考えをつくる。” (PDF). LIXIL. 2023年3月6日閲覧。
  29. ^ ハーゲンバーグ 2011, p. 141.
  30. ^ 男女共同参画推進本部ニュースNo.13” (PDF). 内閣府男女共同参画局. 2023年3月6日閲覧。
  31. ^ gallery IHA /NPO建築とアートの道場とは”. NPO建築とアートの道場. 2022年12月28日閲覧。
  32. ^ 坂牛 2022, p. 147.
  33. ^ 長谷川逸子に輝いた、ロイヤル・アカデミー建築賞。”. カーサ・ブルータス. 2022年12月28日閲覧。
  34. ^ 焼津の家”. DAAS. 2022年12月13日閲覧。
  35. ^ 実川 2002, p. 109-111.
  36. ^ 鴨居の家”. DAAS. 2022年12月13日閲覧。
  37. ^ 緑ヶ丘の家”. DAAS. 2022年12月13日閲覧。
  38. ^ 実川 2002, p. 114-116.
  39. ^ 柿生の家”. DAAS. 2022年12月13日閲覧。
  40. ^ 焼津の家2”. DAAS. 2022年12月13日閲覧。
  41. ^ 実川 2002, p. 117-122.
  42. ^ 長谷川逸子「徳丸小児科」『新建築』第54巻第11号、新建築社、1979年10月、183-193頁。 
  43. ^ a b 松山桑原の住宅”. DAAS. 2022年12月13日閲覧。
  44. ^ a b 湘南台文化センター”. DAAS. 2022年12月13日閲覧。
  45. ^ 藤沢市湘南台文化センター” (PDF). 日本建設業連合会. 2022年12月13日閲覧。
  46. ^ a b すみだ生涯学習センター”. DAAS. 2022年12月13日閲覧。
  47. ^ 建築文化 1993, p. 64-69.
  48. ^ 墨田区 1990.
  49. ^ 大島町絵本館”. DAAS. 2022年12月13日閲覧。
  50. ^ 建築文化 1993, p. 78-82.
  51. ^ 建築文化 1993, p. 70-73.
  52. ^ a b 登録建築家 2004.
  53. ^ 建築文化 1993, p. 74-77.
  54. ^ 鹿島出版会 1997, p. 12-23.
  55. ^ メイセイ出版 1997, p. 247.
  56. ^ 建築文化 1993, p. 54.
  57. ^ 酒井 2013, p. 76.
  58. ^ a b 新潟市民芸術文化会館及び白山公園”. DAAS. 2022年12月13日閲覧。
  59. ^ 新潟市民芸術文化会館及び白山公園” (PDF). 日本建設業連合会. 2022年12月13日閲覧。
  60. ^ a b 珠洲市多目的ホール(ラポルトすず)”. DAAS. 2022年12月13日閲覧。
  61. ^ 珠洲市多目的ホール(ラポルトすず)” (PDF). 日本建設業連合会. 2022年12月13日閲覧。


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