矢野二郎 年譜

矢野二郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/07 04:57 UTC 版)

年譜

矢野二郎
  • 1845年2月19日弘化2年1月15日):出生。
  • 1861年文久1年):幕府の外国方訳官に任官。同年、横浜運上所に配属。
  • 1863年11月(文久3年10月):第2回遣欧使節に随行を命じられる。
  • 1864年8月(元治1年7月):帰国。
  • 1865年慶応1年):幕府騎兵伝習隊の指図役心得となる。
  • 1868年明治1年):官を辞して士籍を脱し、横浜にて翻訳所を自営する。
  • 1870年11月(明治3年10月):外務省に入り二等書記官に任官、渡米しワシントンにて在勤。
  • 1873年(明治6年)9月:臨時代理駐米公使(-1874年11月)。
  • 1875年9月:帰国。
  • 1875年10月:免官。
  • 1876年5月:東京府商法講習所の所長に就任(-1883年11月)。
  • 1884年7月:東京商業学校校長(-1887年10月)。
  • 1887年10月:(東京)高等商業学校校長(-1893年4月)。
  • 1894年2月:堀越商会重役。
  • 1904年8月22日:貴族院勅選議員[3]
  • 1906年6月17日:死去。

栄典

家族

脚注


  1. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年、15頁。
  2. ^ 『日本近現代人物履歴事典』などは明治5年10月とする。
  3. ^ 『官報』第6345号、明治37年8月23日。
  4. ^ 『官報』第354号「叙任及辞令」1884年9月1日。
  5. ^ 『官報』第907号「賞勲叙任」1886年7月10日。
  6. ^ 『官報』第2545号「叙任及辞令」1891年12月22日。
  7. ^ 『官報』第6890号「叙任及辞令」1906年06月19日
  8. ^ a b 富永冬樹(とみながふゆき)谷中・桜木・上野公園路地裏徹底ツアー
  9. ^ 矢野二郎年表でつづる、大学の ”始まり” 物語。2021 大学事始編纂室
  10. ^ a b c 『矢野二郎伝』矢野二郎翁傳記編纂會、1913年 p127
  11. ^ 『木戸松菊公逸話』有朋堂書店、1935年、p197
  12. ^ 富永敏麿『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
  13. ^ 川上市松(かわかみいちまつ)谷中・桜木・上野公園路地裏徹底ツアー
  14. ^ 今井一良「瓜生 (永井) 繁子の英文「日記」と「回想記」」『英学史研究』第1985巻第17号、日本英学史学会、1984年、7-17頁、doi:10.5024/jeigakushi.1985.7ISSN 0386-9490NAID 130003624793 
  15. ^ a b 中山誠一郎谷中・桜木・上野公園路地裏徹底ツアー
  16. ^ 中山譲治『人事興信録』初版 [明治36(1903)年4月]
  17. ^ 中山譲治(読み)なかやま じょうじコトバンク
  18. ^ a b c 『矢野二郎伝』矢野二郎翁傳記編纂會、1913年
  19. ^ 守岡多仲『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]


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