商法講習所の開設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 01:33 UTC 版)
辞官後の矢野は商業教育の必要を唱え、同じくアメリカから帰国した森が福沢諭吉の賛同を得て、1875年8月、私塾としての「商法講習所」を東京府下・京橋(銀座尾張町)に開設すると矢野も参加した。この講習所は私塾の形をとっていたが事実上東京会議所の所管であり、翌1876年5月、東京会議所の解散にともない東京府に移管されることとなった。また同じ頃森も駐清公使として日本を離れることとなったことから、矢野は益田(当時、東京会議所副会頭)や勝海舟・大久保一翁らの熱心な説得を受けて講習所所長に就任し同所の経営を引き継ぐこととなった。
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