相田翔子 略歴

相田翔子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/08 13:36 UTC 版)

略歴

幼少期から芸能界デビュー(1970年 - 1988年)

芸能界にデビューして一人暮らしを始めるまで、家族と共に東京都東村山市で育つ[5]

子供の頃は、やんちゃでイタズラ好きだったという。3歳の時、肥溜に落ちて偶然通りかかった姉と友達に助けられたことは、トーク番組でよく話題にされる[6]。歌が好きで、よく姉とピンク・レディー等の歌を歌っていた[7]。ピンク・レディーではケイのファンであった[8]。小学校低学年の頃、近所の友達を集めて草芝居を行うなど活発な少女だった[8]。しかし、幼少期は知らない人の前で何かをすることができず、芸能界への憧れはまるでなかったという[8]

中学時代クラッシュギャルズに憧れ、入団テストを受けるためトレーニングをしていた[5]全日本女子プロレスのオーディションに数回応募するが、いつも不合格で断念する。

中学2年生(当時14歳)の時に、友人の応募でオーディションを受けたことがきっかけで、渋谷で芸能プロダクションのマネージャーにスカウトされたのち、芸能プロダクションに所属、歌手としてのレッスンを受け始める[8]。母はかつて歌手に憧れていたためその夢を応援したが、父は芸能界への不安から反対した[8]。そのため当面はモデルとして活動し、歌手デビューは高校進学後にと事務所と話し合っていた[8]

高校時代は複数のアルバイトを経験。紙袋をつくる内職 → 工場で冷凍ラビオリなどの箱詰め(姉と共に) → 惣菜屋(秋津商店会) → ハンバーガーショップ(高校2年から) → 居酒屋(新秋津駅前) → パン屋「サントアン」(新秋津駅前)の順で働いた[9][10][11]

高校2年生(当時16歳)の時にソロ歌手としてのデビューが予定されていたが、校則で禁止されていることを理由に辞退[7]堀越高等学校への転校も考えたが、多くの芸能人が並ぶ中でのプレッシャーに耐えられないと考え、断念[8]。すでにデビュー曲はレコーディングも済んでおり、現在の感覚で言えば訴訟沙汰にもなりかねない事態であったが、当時の事務所の社長の配慮もあって大事には至らなかった[8]。本人はこの選択を後悔しておらず、後年の談話では、その時デビューしていたら自己主張できず、消えただけだろうと語っている[8]。なお、「幻のデビュー曲」となったこの楽曲は、歌手桑田靖子が歌っていそうな硬派な路線で、翔子は大変気に入っていたという[12]

1987年9月、ワニブックス社の雑誌『UP TO BOY』の第9代ミスアップ・グランプリを受賞(第7代グランプリが後にWinkとしてデュオを組むことになる鈴木早智子)。

Wink時代(1988年 - 1996年)

1988年4月、高校卒業後に鈴木早智子とWinkを結成し、CX系ドラマ『熱っぽいの![注 5] 主題歌「Sugar Baby Love」で歌手デビューする。デビュー当時は、頼りなさげな素人っぽい雰囲気を残し、ブレイク前の1988年夏のキャンペーンでは観客が入らず、楽屋で泣くこともあったという[8]。1歳年上の鈴木早智子を「明るくて凄い優しい人だなって思って。お姉ちゃんと同じ歳で相談とかできていいんじゃないかなと」と慕う一方、「どんどん勉強して実力をつけて。あと、自分の書いたもの(註・詞だそうです)を人に見てもらえる位になりたい」と作詞に対する意欲を語っている[13]

1988年11月、シングル3作目となるCX系ドラマ『追いかけたいの![注 5] の主題歌「愛が止まらない 〜Turn It Into Love〜」でブレイクを果たす。以降、1990年3月にリリースされた「Sexy Music」まで5曲連続オリコンチャート1位を獲得した。この間人気は頂点に達し、トップアイドルの仲間入りを果たす[8]。さらに、ブレイク後の1989年12月には同年7月にリリースされたシングル5作目となる「淋しい熱帯魚」で第31回日本レコード大賞を受賞している。

Wink時代、特に全盛期には無表情でほとんど笑わないアイドルとして知られ、当時の所属事務所からは、笑うよう叱責されていた[5]。本人は「当時は突然の人気に戸惑い、ずっと緊張が解けなくて笑うことができなかった」と回想している[8]。その一方で、オルゴール人形のように無表情で独特な振り付けは、Winkのキャラクターとして定着していく。気負いのない素直な振舞いは、時にやる気がないとバッシングを受けることもあったが、本人はWink時代を通して音楽に打ち込み、挑戦を重ねてきた。また、周囲に媚びを売らず大人の対応をするように教えられたことはありがたかったと後に感謝の意を述べている[8]。アルバムのソロ楽曲では、ノーランズジョン・レノンベット・ミドラーチャカ・カーン等、海外アーティストのカヴァーを積極的に取り上げ、歌手としての表現の幅を広げる(「#Wink時代のソロ楽曲」を参照)。さらに中期以降は、アルバムごとに自作曲を発表するようになる。1993年のアルバム『Αφροδιτη(アプロデーテ)』に収録された「おしえて」は、しっとりとしたバラードの曲想にのせて、切ない恋心を歌い上げた佳曲である。また、1994年のアルバム『voce』に収録された「裸足のマリオネット」は、ボサノヴァ志向を明らかにし、後のソロ活動を予見させるものとなった(「#Wink時代の自作曲」を参照)。

1995年3月、ソロ・プロジェクトに着手する[要出典]そして、ソロ活動とのけじめをつけるため[要出典]、1996年3月をもってWinkとしての活動を停止する。アイドルユニットとしては異例の長期にわたるWink時代の約8年間は、あらゆる意味で鈴木早智子との厚い友情と周囲の熱意に支えられたものであり、自らの芸能活動の原点となったWinkについて、本人は「夢のようで刺激的で濃厚で鮮烈」なものだったとし、今でもWinkやその楽曲を大事に思うファン、当時のスタッフ、そして「早智子とじゃなければ私には出来なかったこと」と語っている[14]。また、鈴木との仲についても、「Wink時代から不仲であり、それが原因で活動を停止した」という説が囁かれたこともあったが、実際には活動停止後も会ったり電話で話したりする機会も多く、自身の結婚式にも招待するなど、現在も交流は続いている。

本格的なソロ活動開始とマイペースな音楽活動没頭(1996年 - 1998年)

Wink活動停止直後の2年間は、マイペースな音楽活動に没頭した時期である。解散の際に1人では何もできないと感じて引退も決意していたが、事務所にそれを伝えたら、相田には作詞と作曲があるではないかと言われて思いとどまった[8][注 6]。この時期の音楽活動の成果は、全曲自作曲による2枚のソロ・アルバム『JÓIA』(1996年5月25日)と『Luz』(1997年5月25日)に結実される。

この時期、自分自身と向き合い、安らげる音楽を求めて模索を続けながら、辿りついたのはボサノヴァであった。ボサノヴァ界の大御所として知られるセルジオ・メンデスやベン・ウィットマンのプロデュースを得た『JÓIA』は、ボサノヴァ風のサウンドを基調とする本格的なアコースティック・サウンドを目指したかなりの意欲作である。しかし、これらのアルバムは必ずしも一般受けするものとはいえず、商業的な成功を収めることはできなかった。この時期の活動について、本人はアーティストであることにこだわり過ぎていたという。そして「表現者である限り、恥をかいてもいいから、もっとありのままの自分を表に出していこう」と決心する。この強い決意がバラエティ番組等への進出への大きなターニングポイントとなる[7]

バラエティ進出から現在(1998年 - )

1998年11月、MBS製作・TBS系列のテレビ番組『世界ウルルン滞在記』に出演、旅先での思い切りのよいレポートは好感をもって迎えられ、1999年4月からは同番組の司会に起用される。また、2000年7月に日本テレビ系『踊る!さんま御殿!!』にゲスト出演し、天然ボケといわれる独特のキャラクターで注目されるようになる。

以降、『笑っていいとも!』、『メレンゲの気持ち』、『いいはなシーサー』等、数々のバラエティ番組で司会、レギュラーを務めるとともに、『花とアリス』、『七色のおばんざい』等の映画やドラマにも出演し、女優・TVタレントとしても幅広く活躍している。また、音楽活動も精力的に展開しており、地中海地域の音楽および往年のフレンチ・ポップスをカヴァーしたアルバムを発表したり、2004年以降『晩餐ライブ』と題してライブを開催している。現在は芸能事務所「アップフロントクリエイト[注 7]に所属し、アップフロントワークス(zetimaレーベル)からCD、およびデジタル・ダウンロードシングルをリリースしている。

2006年10月28日公開の映画『虹の女神 Rainbow Song』には、年下の主人公を翻弄する恋人役で出演した。もう若くはないことを自覚し、年齢を偽ってでも可愛いらしく振舞い、主人公の気を惹こうとする女の悲しい性を丹念に表現、『キネマ旬報』2006年11月下旬号では、「年齢不詳の女の持つ迫力をまざまざと見せつけてくれたのは衝撃ですらあった」と評された。

また、舞台出演に関しては、2007年9月に大阪松竹座で公演された『蝉しぐれ』(藤沢周平原作)で、幼馴染である主人公への一途な想いを抱きつつ、藩主の側室となったお福役を演じるとともに、2008年1月には、日本モンゴル親善特別公演『ジンギスカン〜わが剣、熱砂を染めよ〜』に、主人公のライバルの許婚でありながら、互いに惹かれあう主人公とそのライバルとの対決に心を痛める女性として出演していた。

2008年7月31日、医師の相澤宏光と婚姻届を提出した。同年10月30日に東京・芝公園のザ・プリンス パークタワー東京で披露宴を開いた。2012年1月13日、第1子となる女児を出産した。予定日より約2か月早く1866gの体重だった。

2013年9月4日、デビュー25周年記念企画の一環として制作され、『Luz』以来およそ16年4か月ぶりとなる3枚目のオリジナル・アルバム『This Is My Love』をリリースした[15][16]


注釈

  1. ^ Wink在籍時代を含む。
  2. ^ 2012年9月30日まではアップフロントエージェンシー名義。
  3. ^ 東京ニュース通信社の『TVスター名鑑』を例にすると、1993年版(1993年10月20日発行)から1996年版(1995年10月25日発行)の「Wink」の項では「相田翔子」が本名とされ、また、この名鑑に「相田翔子」が立項された2002年版(2001年12月1日発行)以降の版では一貫して本名記載箇所に本名が記されていない。1988年4月27日発売のWinkのデビュー・シングルCDSugar Baby Love」裏ジャケットにも「相田翔子」が「本名」と記されているなど、公式には、Winkの活動期間中は本名が「相田翔子」、少なくとも2001年以降には本名が非公開となっている。
  4. ^ 「鈴木敬子」が本名か否かを公表している媒体は未確認。ただし、Winkの写真集『Double Tone』(ワニブックス、1989年8月10日)にWinkの「2人の本名はどちらも鈴木」と記されている。
  5. ^ a b 主演は南野陽子
  6. ^ 相田は、2017年8月27日(日)放送の『マルコポロリ』(関西放送)で、Wink活動停止後の「2年間、本当に、休ませていただいた、あの、テレビ一切出ないで」と語ったが、Wink活動停止後の1990年代において相田がテレビに出演しなかった年は存在せず、事実ではない。下記「出演」「音楽・バラエティ・トーク・教養・情報・ミニ番組など」参照。なお相田は、2006年3月5日(日)放送の『いつみても波瀾万丈』では、「2年間ほど、ほとんど、あの、テレビに出てない時期があって」と、『マルコポロリ』で発言したことよりは実態に近いことを述べている。
  7. ^ 2013年10月1日以降より。同年9月30日以前はアップフロントプロモーションに所属していた。
  8. ^ 相田のWink結成直前期からの公称身長は、1987年から1988年前半頃まで161cm(『UP TO BOY』1987年11月号p.13、1988年5月号p.43・7月号p.12など)、1988年後半頃から1990年頃まで159cm(『GORO』1988年11月10日号p.205、『UP TO BOY』1989年3月号p.91、『Twinkle Angels』<ワニブックス、1990年4月10日>p.130など)、1991年頃から160cm(『明星』1991年3月号p.85に「身長も最近伸びて160cmぐらいになったの!」)と変遷している。
  9. ^ ただし、2007年当時の番組タイトル名は『世界ウルルン滞在記"ルネサンス"』。
  10. ^ ただし2012年1月以降より相田本人が産休を理由に一時的に活動を休止したため同年2月以降の放送分は彼女の代理として吉澤ひとみ(元モーニング娘。OG)が2012年9月まで一時的にパーソナリティを担当していた。2012年10月より再開。
  11. ^ ただし、当アルバムのライナーノーツ上では編曲者の名前が馬飼野康二と誤ってクレジットされている。

出典

  1. ^ 別冊宝島2611『80年代アイドルcollection』p.51
  2. ^ 『テレビ・タレント人名事典(第6版)』日外アソシエーツ、2004年6月、6頁。ISBN 978-4-8169-1852-0 
  3. ^ スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇』第16話「リリアン棒危うし!由真の一番長い日」(フジテレビ系、1987年2月26日(木))クレジットタイトル
  4. ^ a b 公式プロフィール”. Blue Star. アップフロントクリエイト. 2014年3月1日閲覧。
  5. ^ a b c 幸せ!ボンビーガール 2016/10/04(火)22:00 の放送内容”. TVでた蔵. ワイヤーアクション. 2020年4月20日閲覧。
  6. ^ "いつみても波瀾万丈". 5 March 2006. 日本テレビ。 {{cite episode}}: |series=は必須です。 (説明)
  7. ^ a b c d "徳光和夫の感動再会!"逢いたい" 芸能人スペシャル". 8 January 2009. TBS {{cite episode}}: |series=は必須です。 (説明)
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n 別冊宝島2611『80年代アイドルcollection』pp.10-13
  9. ^ スターアルバイト烈伝★相田翔子(前編)|バイトル
  10. ^ 相田翔子 公式ブログ-『わが地元商店街』 - GREE
  11. ^ ぶらり大好きな場所へ|相田翔子オフィシャルブログ「こんな翔子に誰がした?」Powered by Ameba
  12. ^ 書籍「アイドル冬の時代 今こそ振り返るその光と影」2016年9月8日発売、シンコーミュージック 
  13. ^ 「COMING UP! 今週の推薦盤「Sugar Baby Love」いつでも、どこでも聴いて欲しい曲です Wink」(『ORICON WEEKLY』1988年5月9日号p.11)。
  14. ^ 相田翔子、Wink30周年目に感謝つづる 「近々また会う約束」は活動再開フラグ? - ねとらぼ - ITmedia 2017年4月27日(2017年5月4日閲覧)。
  15. ^ 相田翔子が16年ぶりのオリジナル・ソロアルバムをリリース(2013年8月29日) - BARKS(グローバル・プラス) 2013年9月23日閲覧。
  16. ^ 相田翔子、約20年ぶりのミニライブ開催。Wink時代の名曲も披露(2013年9月7日) - BARKS(グローバル・プラス) 2013年9月23日閲覧。
  17. ^ "わたしたちの食". 日本新生. 22 October 2011. NHK
  18. ^ "徹子の部屋". 26 August 2005. テレビ朝日。 {{cite episode}}: |series=は必須です。 (説明)
  19. ^ 吉田照美 [@tim1134] (2018年12月1日). "この写真は、てるてるワイドの田植え企画で、電車貸し切りで、リスナーと一緒に群馬県水上の田圃に向かう車内。". X(旧Twitter)より2021年5月22日閲覧
  20. ^ ネスレ フードスタイル第10回「相田翔子の食生活とライフスタイル」2003年8月18日
  21. ^ 『日経おとなのOFF』、日経ホーム出版、2005年11月。 
  22. ^ 朝日新聞: 夕刊. (2005年6月25日) 
  23. ^ 読売新聞: 夕刊. (2005年6月30日) 
  24. ^ 『DODA』、学生援護会、2005年12月14日。 
  25. ^ 『測量』、日本測量協会、2006年7月。 
  26. ^ Toshiba Web Street 2004年11月
  27. ^ 朝日新聞. (2006年3月29日) 
  28. ^ オルビス『La Beauty』2007年夏臨時増刊号
  29. ^ 相田翔子(インタビュー)「『相田翔子さん』特別インタビュー」『ドクターシーラボ』、2008年4月24日。 オリジナルの2008年5月20日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20080520234516/http://www.ci-labo.com/campaign/0805/2014年3月1日閲覧 
  30. ^ 日本経済新聞『日経マガジン増刊号』2006年7月2日
  31. ^ 『読売新聞縮刷版』1996年1月21日(日)朝・夕刊に放送・出演予定記載あり。
  32. ^ 『読売新聞縮刷版』1998年11月1日(日)朝・夕刊に放送・出演予定記載あり。
  33. ^ 読売新聞縮刷版』1996年5月13日(月)朝・夕刊番組表に放送・出演予定記載あり。
  34. ^ 『NHKクロニクル』「「真夜中の王国」番組表検索結果」(2017年10月30日閲覧)。
  35. ^ ザテレビジョン』1997年第22号「今週のTV音楽」p.57(各地方版共通)に放送・出演・曲目予定記載あり。『読売新聞縮刷版』1997年6月12日(木)朝・夕刊番組表に放送・出演予定記載あり。
  36. ^ 『読売新聞縮刷版』1997年7月2日(水)朝・夕刊番組表に放送・出演予定記載あり。
  37. ^ 『ザテレビジョン』1997年第29号「今週のTV音楽」p.59(各地方版共通)に放送・出演・曲目予定記載あり。
  38. ^ 『ザテレビジョン』1997年第32号「TV番組解説」p.72に相田の番組出演中の写真とともに放送・出演予定記載あり。
  39. ^ 『NHKクロニクル』「「新・真夜中の王国」番組表検索結果」(2017年11月30日閲覧)。
  40. ^ 『ザテレビジョン』1998年第20号「今週のTV音楽」p.59、1999年第14号「今週のTV音楽」p.59(ともに各地方版共通)に放送・出演・曲目予定記載あり。
  41. ^ 『読売新聞縮刷版』1998年7月21日(火)朝刊番組表に放送・出演予定記載あり。
  42. ^ 『ザテレビジョン 首都圏版』1998年第44号深夜番組表p.98に放送・出演予定記載あり。
  43. ^ 『読売新聞縮刷版』1998年12月12日(土)朝・夕刊番組表に「元超アイドルA初登場」というかたちで放送・出演予定記載あり。
  44. ^ 『読売新聞縮刷版』1999年9月6日(月)朝刊番組表に放送・出演予定記載あり。
  45. ^ “相田翔子、歌謡番組アシスタントに大喜び「日本の歌が大好き」”. ORICON NEWS (oricon ME). (2017年6月26日). https://www.oricon.co.jp/news/2093088/full/ 2017年6月26日閲覧。 
  46. ^ 10月2日(月)よる7時~好評につき第2弾の放送が決定!『歌のゴールデンヒットオリコン1位の50年間』オリコンランキング上位の経験を持つ堺正章、相田翔子、田中直樹のMC3人が超秘蔵映像とともに余すところなくお届けします - TBSテレビ 2017年9月19日。
  47. ^ NHK オーディオドラマ 過去作品アーカイブ / FMシアター「佐恵子の話」(2016年5月28日 放送)”. NHK 日本放送協会. 2022年10月2日閲覧。
  48. ^ 映画「東京喰種」あんていくに集った喰種に村井國夫、浜野謙太、佐々木希ら”. コミックナタリー. 株式会社ナターシャ (2017年5月9日). 2017年5月9日閲覧。
  49. ^ “『ザ・ピーナッツ トリビュート・ソングス』特設サイト”. 渡辺音楽出版. (2016年8月11日). http://thepeanuts-tribute.jp/ 2016年9月2日閲覧。 
  50. ^ “相田翔子&森高千里 ピーナッツを歌う 女性歌手12組がデュエット”. ORICON STYLE. (2016年8月11日). https://www.oricon.co.jp/news/2076648/full/ 2016年8月12日閲覧。 






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「相田翔子」の関連用語

相田翔子のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



相田翔子のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの相田翔子 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS