狛江市立狛江第二中学校 狛江市立狛江第二中学校の概要

狛江市立狛江第二中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/01 13:41 UTC 版)

狛江市立狛江第二中学校
北緯35度37分36.7秒 東経139度35分00.9秒 / 北緯35.626861度 東経139.583583度 / 35.626861; 139.583583座標: 北緯35度37分36.7秒 東経139度35分00.9秒 / 北緯35.626861度 東経139.583583度 / 35.626861; 139.583583
過去の名称 狛江町立狛江第二中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 狛江市
校訓 相互敬愛
自主自立
意思と実践
設立年月日 1967年4月1日
創立記念日 5月1日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード C113221900029
校地面積 15,830平方メートル
校舎面積 9,313平方メートル
設計者 旧体育館: 早稲田大学安東研究室
所在地 201-0015
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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銅製の学校銘板

概要

狛江市で4校ある中学校のひとつで、狛江市南部唯一の中学校である[1]学区岩戸北東和泉の一部と、岩戸南猪方駒井町の全部からなり、狛江市立狛江第三小学校狛江市立狛江第六小学校児童のほとんどが進学する[2]。1つの学年あたりAからDまでの4学級の合計12学級あり、2022年5月現在422人の生徒が在籍する[3]

教育に関しては課題設定・課題解決・共同解決・振り返りで構成される学習スパイラルを実践している。また、狛江市の特別支援教室であるくすのき教室はこの学校を拠点としていて、各々に個別の特別支援教育を行なっている。部活動としてダブルダッチ部があったことで知られ、2010年の創部以来世界大会における優勝など、多くの実績を残した。

教育

教育目標

基本的な教育理念として「互いを認め合い共に生きていくことを意識し、感動する心をもち、未来への夢や目標に向かい、強い意志で自らを律しつつ、その実現に努めるとともに、我が国と郷土を愛し、正義感や公正さを重んじ、持続可能な社会の創り手としての生きる力を身に付けた生徒の育成を図る[4]」とした上で[注 1]、以下の3つを掲げている。

相互敬愛 - 自他の生命を尊重し、相互に高め合う生徒

自主自律 - 自ら学び考え、自らを律しつつ、主体的に行動する生徒

意志と実践 - 夢や目標の実現に向け、強い意志をもち、前向きに実践する生徒

上から順にそれぞれ人間化関係形成能力、問題発見・解決能力、実践力に対応するとしている[4]。2020年度の狛江市立学校第三者評価委員会[注 2]からは、生徒が主体的に取り組む教育を推進していることが先進的であることや、課題設定・課題解決・共同解決・振り返りで構成される学習スパイラルの、校内研究の成果を活かした実践などが評価された[5]

他にも、「やる気・勇気・根気で構成される3本の『き』を育ててほしい」という初代校長である大八木敏夫の願いも重視されており[2]、これにちなみ昇降口横にはヒマラヤ杉(勇気)・大王松[注 3](やる気)・メタセコイヤ(根気)が植えられている他[注 4][10]、開校50周年を記念した生徒作成のキャラクターにも3本の木が描かれている[2]

2021年度より、GIGAスクール構想の一環として授業にタブレットPC (ARROWS Tab[11]) を活用していて、Microsoft Teamsを利用した課題の配信や欠席生徒への授業の配信などが行われている[12]。またなお、かつて2学期制による教育活動が行われていたが、現在は3学期制に復帰している[13][14]

特別支援教育

狛江市の特別支援教室であるくすのき教室は、この学校を拠点校として設置されている[15]。くすのき教室は狛江市に住む全ての学習に支障をきたす心身の障害をもつ中学生を対象とし、狛江市立狛江第一中学校・狛江市立狛江第三中学校・狛江市立狛江第四中学校の各学校で教育が行われている。この4校を合計すると2021年時点で計54人の生徒が在籍している[15]

くすのき教室は2004年4月1日に情緒障害等通級指導学級・くすのき学級として開設され、2016年度から翌年度にかけて特別支援教室モデル事業が実施された。モデル事業終了年度の翌年度である2018年度より特別支援教室として本格的に教育が開始され、今日に至る[15][16]。ここで、特別支援教室の名称に含まれるくすのきは、クスノキは大きく育ち、また耐久性に優れ、医薬品としても活用されることにちなみ、生徒が多くの場面で活躍し、心身が逞しく成長するという目標に例えてつけられた[15]

沿革

開校以前

この学校が開校する前まで、狛江町内唯一の中学校であった狛江町立狛江中学校(後の狛江市立狛江第一中学校)に狛江町に住む生徒が通学していた[17]。無論、狛江南部に住む生徒も例外ではなく、現在の学校の位置から直線距離にして約1.5キロメートル以上もの距離を歩いて通学する必要があった。1964年(昭和39年)に神代団地の入居が、1966年には多摩川住宅の入居がそれぞれ開始されると狛江中学校の生徒数は1,024名を数え、マンモス校と化した[17]。そうした状況から、南部に住む町民をはじめとして一部から南部への中学校建設を求める声が増えたが、町は建設費確保の難しさを理由として計画を先延ばしにし続けていた[17]

しかしながら1967年には都営狛江アパート(都営狛江団地)の入居が開始される予定であったので、新しい中学校を開設せざるを得ず、町は土地の確保と建設費確保に向け東京都との交渉を開始した[17]。当時、都からは大規模団地が建設された地域に設置する学校に対してのみ建設費などの補助を出していたが[注 5]、団地建設によりさらに規模が大きくなるであろう学校の規模を縮小させるための学校新設であったことから補助金などの交付が認められた[18]。こうしたケースはこの学校が初めてであった[17]

建設予定地の国土地理院による航空写真。

こうした経緯を経て、東京都から土地購入資金や建設費の一部補助を受けつつ建設が開始された[19]。建設場所には狛江市南部の狛江町立狛江第三小学校の南、田園が広がる地帯が選ばれた[20]。当時当地は田んぼや灌漑用水、小川が流れていたため、工事はそれらを埋め整地する作業から始まった[18]。校舎は鉄筋コンクリート構造の4階建てで、普通教室12教室、特別教室4教室が設置された[21]。町内における学校としては初めて4階まで造られた[22]。当時学校建築に様々なアイデアが取り入れられた時期であったため、この学校も様々な工夫が施された[18]。(詳細は節「学校施設」を参照)校舎は1967年4月4日に竣工した[23]。教材や教具の準備は狛江中学校の準備委員が担当した[18]。生徒が使う机は、生徒の利便性を考え狛江中学校で設計し、刑務所で生産されたものを当初使用した[24]

開校と増築

開校当時の航空写真。上が本館、下が体育館。

1967年(昭和42年)4月1日に設立が許可され、同日に狛江中学校[注 6]から別れる形で狛江町立狛江第二中学校として開校した[2][16]。学区域は当時流れていた六郷用水を境にして、その南側を学区とした[25]。この地域に住む全ての狛江第一中学校に通う生徒を狛江第二中学校に移動させる予定であったが、新学期より新たに3年生となる生徒から「卒業を目前にして移籍するのは嫌だ」という声が多く上がったことから、新3年生は希望者のみが移籍した[25][26]。結果、狛江第二中学校へは162名が移籍し、10学級設置されたが、うち3年生は23名のみであった[25][27]。翌年度、学区に岩戸北四丁目[注 7]の全域が追加された[25]

4月6日に開校式が挙行され、その際初代校長が訓示した「3つの『き』」に関する話はのちに校訓となる[注 8][24]。翌日第一回入学式が挙行され、新たに197人を迎え、初年度の在校生は計378人となった[注 9]。なお、まだ体育館が完成していなかったため、これらの式典は紅白幕が張られた校庭で、青空の下挙行された[26]。また、同月15日に第一回生徒総会(役員は10月23日に選出)、28日より京都・奈良方面への修学旅行が実施された[10]

プール体育館は完成が遅れた。プール建設は国の失業対策事業の対象事業として行われ[28][29]、同年8月1日までに完成し同日にプール開きが行われた[30][23]。体育館は同年12月20日に完成した[23][31]。体育館の形状は正方形で、非常に珍しいものだった[32]。設計は早稲田大学安東研究室(安東勝男)、構造は早稲田大学松井源吾研究室(松井源吾)がそれぞれ担当した[33][34][35]。その後も学校施設の建設は続き、開校2年経った1969年度時点で生徒数が605人、計16学級となり開校時の生徒数からからほぼ2倍となったため[36]、校舎の増築(第2期増築工事)が行われた[23]。1969年2月28日に普通教室4教室が竣工し[23]、1970年5月10日には第3期増築工事として普通教室4教室、特別教室2教室(家庭科室・図書室[29])及び昇降口がそれぞれ竣工した[21]。(詳細は節「学校施設」を参照)また、1969年10月1日に狛江町が市制を施行し狛江市となったため、従来の狛江町立狛江第二中学校から現在の狛江市立狛江第二中学校へと名称が変更された[6][21]

1968年度に、進学元である狛江市立狛江第三小学校の生徒数が1,052人となり、新規の受け入れが難しくなったため狛江市立狛江第六小学校が新設されることとなった[37]。狛江第六小学校は1971年度より開校し、狛江第三小学校と学区を分割した。これによりこの学校の進学元の小学校は前述の2校になった[37]

開校以降

1971年10月2日に京都・奈良での修学旅行が行われた。この回が最後の修学旅行列車ひのでの利用となった。この年は詳細な記録が残っており、校庭に6時10分集合、品川駅でひのでに乗車し、浜松駅通過後昼食、15時京都着。初日は新京極の散歩、2日目は奈良、最終日は京都を見学した後、京都駅を16時4分に出発し夜行列車で翌朝5時に到着するという行程であった[38]。翌年度からは新幹線の利用となり、狛江駅集合、小田原駅こだまに乗り換えるというルートに変更された[38]

1972年度に狛江第一中学校の生徒数は1,000人を超え、1,107人の29学級と再びマンモス校となったため[36]、1973年に新しく狛江市立狛江第三中学校が開校した[21]。主に狛江第一中学校の生徒が移籍したが、一部狛江第二中学校の生徒も移籍した[39]。これにより学区が大幅に変更され、小田急小田原線以西及び以北は全て狛江第三中学校の学区となった[25]。これにより、当時17あった学級が16学級に減少した[40]。その翌年度である1973年12月に暖房が従来の石炭ストーブから石油ストーブに変更された[41]。ただし、当時はオイルショックの真っ只中であり、しばらくは満足に教室を暖められない状態が続いた[42]。なお、冷房は狛江第三中学校などではこの時期から順次設置が始まったが、この学校では平成になるまで教室に設置されることはなかった[43]

1973年1月22日、臨時生徒総会が招集され、補正予算承認の件を審議議決した[10]。内容はアマチュア無線クラブを創部するために必要な補正予算の承認で、当時2年生だった五神真が召集を求めた。案件は承認され、それに伴いアマチュア無線クラブが創部された[44]。なお、この五神真はのちに第30代東京大学総長日本学術会議会員を歴任する、物理学者となる[44]。(詳細は節「関係者」を参照

1974年10月1日から昭和49年台風16号が接近し、多摩川が氾濫する危険性が高まったため緊急避難場所に指定され、700人以上がこの学校の本館に避難した[16]。この台風により猪方において堤防が決壊するという大規模な水害(多摩川水害)が発生したため、翌日10月2日は臨時休業した[16]

1970年代の航空写真。校舎が増設されているのが分かる。

1976年度までに生徒数が再び増加したため、増築が行われ普通教室4教室、特別教室4教室(LL教室・視聴覚室・第一音楽室等[8])を備えた新館と、本館東側に木工室と金工室が入る技術棟が1976年5月13日にそれぞれ竣工した[29][8]。1990年(平成2年)に新館の改修工事が行われ、視聴覚室が移動になり、また新たにコンピューター教室が設置された[16]

1990年9月28日から同月30日までの2泊3日の予定で行われた京都・奈良の修学旅行[45]、同年9月24日にフィリピンの東海上で発生した平成2年台風第20号の影響で大雨に見舞われた[46]。この台風は同月30日9時30分ごろ紀伊半島に上陸し、日本の太平洋側で記録的な暴風雨をもたらしたため新幹線が運休し[46]、帰京が困難となったため修学旅行団はバス車内で1泊車中泊し夜を過ごした[45]。夜のうちに台風は東京湾温帯低気圧に変わり[46]、一行は10月1日朝に帰京した[45]

その後2001年3月31日には給食配膳室が設置され、翌年度5月1日よりミルク給食が開始された[16]。本格的な中学校給食が始まるのは7年後の2008年10月14日のことである[16]。(詳細は節「学校給食」を参照

2019年に撮影された航空写真。武道棟と体育館棟が見える。

2010年より体育館とプールなどの大規模な再整備が始まった。同年2月18日に住民説明会が開かれ、7月21日にプールの撤去が開始、9月1日に工事が始まった[16]。翌年7月21日には正方形の体育館の撤去も始まり、そのさらに翌年8月31日にはアリーナとプールを含む体育館棟が完成した[16]。また、同年度中に冷房の普通教室への取付け工事や武道棟の整備工事も行われた。2011年度中にこれら全ての工事が終了した[16]

2019年(令和元年)10月12日の令和元年東日本台風通過時に避難所として開設された。この時避難民が1,000人以上と殺到し、市は狛江第二中学校では新規避難民をこれ以上受け入れることができないとして避難所を閉鎖する事態となった[47]

2020年以降の新型コロナウイルス感染症の世界的流行においては、当時の安倍晋三内閣総理大臣の要請に従う形で、2020年3月2日から臨時休業した[9]春休みが明けても感染拡大は収まらず臨時休業の解除は数回延期され、2020年6月1日から分散登校の形をとって再開した[48]。臨時休業中は学校から郵送による課題の配信や、YouTubeを用いたオンデマンドによる授業の実施などが行われた[48]。2019年度の卒業式は卒業生とその家族のみの参加で行われたほか[9]、2020年度の入学式は入学生とその家族のみに制限されたうえ、会場は室内ではなく校庭とされた[49]。なお、臨時休業によって減った授業日数の穴埋めをするため、夏休みが大幅に短縮されこの年度の期間は8月8日から8月24日となった[48]


注釈

  1. ^ 2022年度現在。内容は年によって微妙に変わっている。
  2. ^ 狛江市立学校第三者評価委員会委員は、帝京大学大学院教授の坂本和良を委員長とし、委員に一般財団法人教育調査研究所研究部長の大橋明、学校法人清和学園子鹿幼稚園園長の豊島秀臣、横浜DeNAベイスターズ元監督の中畑清の計5人で構成される委員会[5]
  3. ^ 初め植樹された3本はヒマラヤ杉2本、メタセコイヤ1本だったが、うちヒマラヤ杉1本が台風により倒れたため、1983年に卒業記念として、代わりにこの大王松が植樹された[6]
  4. ^ 第一回卒業生(30名)により、1968年3月14日植樹[7][8]。なお、他にも2本の木が植樹されていて、内1本は2019年度開催された、生徒が地域住民に合唱を披露するイベントである地域合唱交流会に対するお礼として猪方・駒井地域福祉推進委員より贈呈されたモミである[9]
  5. ^ 上述の3つの大規模団地は全て狛江北部に位置している。
  6. ^ なお、狛江町立狛江第二中学校の開校とともに狛江町立狛江中学校から狛江町立狛江第一中学校に名称を変更した。
  7. ^ 岩戸北四丁目という地名は1975年1月1日の住居表示で制定された町丁であるから学区変更時にこの地名は無かったことに注意。
  8. ^
    君たちに3本のきをあげよう。それは「やる気」「勇気」「根気」である。君たちは、この3本のきをこの二中に大きく育ててほしい。 — 大八木敏夫[8]
  9. ^ 1年生197人・2年生158人・3年生23人[6]
  10. ^ 市は代替の業者を探したが見つからなかった。
  11. ^ 安藤勝男と松井源吾は狛江市立狛江第四小学校校舎の設計にも携わっている[72]
  12. ^ 創部当時は合唱部だったが[7]、2016年度までに名称が変更され合唱箏曲部になった[74]
  13. ^ 2010年度創部[75]
  14. ^ 2010年度までに廃部[75]
  15. ^ MRCはMaruta Recreation Clubの略で、当時この学校の教員を務めた丸田氏が創部した文化部。将来自然の研究をしたいと思った時に使う体力を養うことを目的に活動していた。文化部ではあるが、長期休暇中にはハイキングなどを行い、運動部に合わない生徒の受け皿としての側面をもっていた[77]。2017年度までに丸田の異動に伴い廃部[78]。その後同じ内容の部活が世田谷区内の学校、狛江第一中学校でも創部された[77]
  16. ^ 2010年度創部[75]
  17. ^ 受賞理由は地域の緑化や美化、また生徒に対し環境に対する学習を提供したため。具体的には市主催の多摩川清掃・クリーン大作戦への参加や卒業証書ホルダーへのバナナペーパーの採用など[98]

出典

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