抹茶 歴史

抹茶

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/16 00:24 UTC 版)

歴史

中国

現代の団茶(プーアル茶

中国の時代の茶は、茶葉を固めて塊状にした餅茶(のちの団茶)が主流であった。8世紀頃、中国の陸羽が著した『茶経』には茶の製法が詳しく記されている。それによると、茶葉を杵と臼でつき餅状にしたあと、塊に整形する(餅茶の名はこれに由来する)。飲むときは、餅茶を固形のまま火であぶり、木製の碾(てん、薬研)で挽いて粉末にし、鍑(ふ、現在の茶釜の祖先)で湯を沸騰させ塩を加えて煎じた[14]。また、茶にネギ、ショウガ、ナツメ、みかんの皮、呉茱萸、ハッカの類を入れることもあった。この時代の茶は飲用よりも薬用が主目的であり、味も劣っていたため、塩や各種の調味料を加えて飲んでいた[15]

『茶経』に、茶には觕(そ=粗)茶、散茶、末茶、餅茶の4種類があると述べられている[16][17]。粗茶は茶葉を斫(き)って作ったもの、散茶は炒って作ったもので、この2つは葉茶と解されている[18]

上記のうち、「末茶」を現在の抹茶のような粉末茶と解するべきかについては意見がわかれる[19]。末茶の説明として、ただ「煬(あぶる)」とだけあり、焙煎のために火にかけて作られた茶であることは確かだが、形状が粉末であるかは述べられていないからである。

中国の茶碾、法門寺出土品、9世紀。

「抹茶」という言葉は使われていないが、茶筅で点(た)てる粉末茶は遅くとも11世紀までに中国で発生したと考えられている。文献としては宋時代の蔡襄『茶録』(1064年)や徽宗『大観茶論』(12世紀)などが有名である[20][21]。これらの文献では龍鳳団茶に代表される高級な団茶を、砧椎(ちんつい、茶を砕く道具)で砕いたあと碾で粉末にし、羅()にかけ、その後、盞(さん、天目茶碗)に粉末を入れて湯を注ぎ、茶筅で点てた。羅のめが細かいと茶が浮かび粗いと沈むとあるので(『茶録』)、粉末の粒子は現代の抹茶より大きかったらしい。京都の建仁寺、鎌倉の円覚寺の四つ頭茶会はこの遺風を伝えている[22]

皇帝に献上される団茶は表面に光沢を出すために珍膏という油脂類香料を塗ったり、香りのきつい龍脳を入れたりして、茶本来のもつ香りが消し飛ぶほどであった。こうした加工を蔡襄は批判している[21]。また、茶の色も緑や茶色ではなく、白が理想とされた。しかし、茶の粉末を点てても通常は白にならないため、白にするために様々な加工を施さざるを得なかった。たとえば、茶の芽を芽生えたばかりの粒のうちに摘み、それを繰り返し搾り、何度も水を足して研(す)ったりした。また茶の芽の肉の部分を取り除いて筋の部分だけを材料とする「水芽」という白茶の銘柄もあった[23]

朱元璋(洪武帝)

このように宋代の団茶は複雑な製造工程のため、大変な労力と金銭がかかり、また途中のちょっとした落ち度でも失敗してしまうほどであった。当然、庶民には手の届かない高価なものとなった。また茶の味も「啜苦咽甘(啜ると苦く、飲み込むと甘い)」(『茶経』)から、無理やり「香甘重滑(香り、甘み、濃さ、滑らかさ)」(『大観茶論』)へと変え、それを理想とした。これは茶が本来もつ苦みを完全に排除しようとする試みであった[15]。こうして団茶は宋代では高価で複雑な加工茶となったため、明代以降、急速に衰退する原因の一つになったという指摘もある[24]

明代に入り、初代皇帝朱元璋(洪武帝)が洪武24年(1391年)に団茶の製造禁止を発令し、これをきっかけに中国では団茶が廃れ、散茶(葉茶)をお湯に浸して抽出する泡茶法が主流となった。沈徳符の『万暦野獲編』補遺巻一、供御茶に、「国初四方の供茶、建寧、陽羨の茶品を以て上と為す。時なお宋制に仍(よ)る。進むる所の者、倶に碾(てん)してこれを揉み、大小龍団を為(つく)る。洪武二十四年九月に至り、上(しょう)、民力を重労するを以て、龍団を造るを罷(や)む。惟だ茶芽を採り以て進む」とある[25]

明は尚武の精神が強い重農主義的な王朝であり、洪武帝も社会の最下層から身を起こした人物であったため、贅沢な団茶を嫌ったのではないかと指摘されている[26]。明代以降、中国では炒め散形茶(釜炒り茶)が主流となり、団茶やその粉末である末茶は廃れた。団茶は辺境の少数民族の間にのみ残った。

日本

栄西

日本には平安時代初期に唐から喫茶法が伝えられた。『日本後紀』によると、弘仁6年(815年)、嵯峨天皇が近江の唐崎に行幸したおり、大僧都の永忠が「手自ら煎茶し」奉献したとある。しかしこの煎茶は現在の煎茶ではなく、餅茶だったと考えられている[27]

鎌倉時代に、日本の臨済宗の開祖となる栄西1191年、中国から帰国の折にチャノキの種子を持ち帰り、肥前国(現・佐賀県)の脊振山に植えたとされる[28]。栄西はのちに「茶祖」と仰がれるようになった。

栄西の『喫茶養生記』には茶の種類やその製法、身体を壮健にする喫茶の効用が説かれている[29]建保2年(1214年)には源実朝に「所誉茶徳之書」(茶徳を誉むる所の書)を献上した[30][注 3]

『喫茶養生記』には栄西が見た宋代の茶の作り方が記されている。それによると、朝に茶葉を摘み、すぐに蒸し、そしてまたすぐに焙(あぶ)る。焙る方法は焙棚(あぶりだな)に紙を敷いて、紙が焦げない程度の火加減で、夜通し眠らずに焙るとある[31]

この製法が当時日本に伝わったと考えられているが、現在の抹茶の製法と大きく異なるのは、焙る時間が長い点である。それゆえ、当時日本に伝わった茶は、褐変しており黒褐色のいわゆる団茶であり[注 4]、現在の抹茶のような緑色ではなかったと考えられている[32]。また。茶色の語源もここから来ていると考えられる。

『喫茶養生記』には、茶葉を粉末にしたかは明確には述べられていないが、桑の葉の服用法は茶と同様に粉末にして服用するとあるので、茶葉も粉末にして抹茶風に飲んでいたと考えられている[33][32]

『運歩色葉集』の「抹茶」の文字。

「抹茶」という語がいつから使われ始めたのか明確にはわかっていない。栄西の『喫茶養生記』にはこの語は使われていない。また同時代の中国の茶に関する書にも見いだせない。王禎の『農書』(1313年)に「末茶」、「末子茶」という語が使われており、そこに記載されている製法は抹茶の製法と矛盾せず、これらは抹茶のことを指すとする説がある[19]。ただしこの書の出版は栄西より約100年後であり、これらの語が日本に伝わり抹茶に転化した具体的な記録は見つかっていない。

日本では室町時代に書かれた『君台観左右帳記』の「能阿弥本」(1476年[34]、「相阿弥本」(1511年[35]にそれぞれ「抹茶壺」(この場合は茶入)の挿絵が描かれており、15世紀後半には「抹茶」の語が使われていたことがわかる。なお、相阿弥本の最古の写本「東北大学本」(永禄2年、1559年)には抹茶壺に「スリチヤツホ」のふりがなが振られており[36]、もとは「マッチャ」ではなく「スリチャ」と呼ばれていた可能性がある。

次に、国語辞典『運歩色葉集』(1548年)に「抹茶」の語が「マツチヤ」のふりがなとともに掲載されており[37]、この頃には「マッチャ」の呼称が存在していたことがわかる。

栄西の弟子である明恵は、茶の種子が入った茶壺を師より譲り受け、京都栂尾に茶の種を蒔き茶園を開いた。鎌倉時代には、栂尾茶は本茶と呼ばれ、他の地域の茶は非茶と呼ばれるほどの評価を得た。また、伝説では明恵は京都宇治にも茶園を開いたという[38]。ただし、明恵が開いたされる茶園は、厳密には現在萬福寺がある宇治郡小幡の地で、本来の宇治茶の産地は平等院付近の久世郡宇治郷で、両者は隣接しているが別々で、後者は足利義満の命を受けて大内義弘が開いたともいう[39][38]

薬研

13世紀までは、碾茶を薬研(やげん)で挽いていたが、粉末の粒子は粗く、ざらざらした食感で強い苦みを感じるものだった。しかし、14世紀になると、茶葉を挽くための専用の石臼(茶臼)が登場し、それ以前より粒子の細かい抹茶が作られるようになり、滑らかな食感とまろやかなうま味が増し、品質が大きく向上した[40]

チャノキを藁や葦簀(よしず)で覆って日陰で栽培する方法(覆下栽培)は、従来、16世紀後半に日本で発生したと考えられていた。例えば、1577年に来日したポルトガルの宣教師・ジョアン・ロドリゲスは、『日本教会史』(1604年)の中で覆下栽培について書き記している。しかし、近年の宇治茶園の土壌分析から、覆下栽培は遅くとも15世紀前半には始まっていたことが明らかとなっている[41]

日光を遮ることで茶葉の光合成が抑制され、うま味成分のテアニンが苦味や渋味の元となるタンニン類へ変化するのを抑制し、結果としてうま味を多く含んだ茶葉へと成長する[42]。また、覆下栽培によって、茶葉のクロロフィル(葉緑素)が増加し、鮮やかな緑色になることが明らかとなっている[43]

室町時代以降、茶を製造販売する業者を「茶師」と呼ぶようになった。江戸時代になると、茶師は、特に幕府によって身分を保証された、選ばれた宇治の「御用茶師」を指すようになる。宇治茶師には、御物茶師、御袋茶師、御通茶師の三階級があった。

宇治茶師は苗字帯刀を許され[38]、もっぱら将軍、朝廷、各地の大名とだけ茶(碾茶)の取引をし、一般の人々に売る「町売り」はしなかった[38]。また、覆下栽培は宇治茶師にのみ許され、高級な抹茶や玉露の生産は宇治茶師が独占した[38]

錦絵『山城国宇治茶摘図』

最古の抹茶の銘柄としては「祖母昔(ばばむかし)」が知られている。祖母とは六角義賢の娘で上林久重に嫁いだ妙秀尼(慶長3(1598)年没)のことで、徳川家康から「ばば」と呼ばれていた[44]。『台徳院殿御実紀』(徳川秀忠の記録)によると、妙秀尼は茶の製法にすぐれ、家康は妙秀尼の茶をよく好んで飲んでいたという。そして「今、祖母昔と名づける茶は、この老母の遺法によるものである」とある[45][44]。また、肥前国松浦郡平戸藩藩主松浦清の『甲子夜話』には、家康(神君)が「ばば昔」と名付けたとあり、妙秀尼に若林という茶園を与え、ゆえに祖母昔は若林昔とも称すとある[46]。久重、妙秀尼の長男久茂、四男政重はともに家康に仕え、政重は伏見城で討ち死にしている。上林一族はその後宇治茶師の筆頭として、徳川幕府に重用された。祖母昔の銘は、宇治茶師でも上林家以外は使えなかったとされる[46]。祖母昔の銘茶はいまでも続いている。

祖母昔以外の銘茶としては、やはり将軍家への献上茶であった「初昔(はつむかし)」、「後昔(あとむかし)」や、「鷹の爪」、「白」も著名であった[47]。当時の抹茶は茶葉のままの碾茶を茶壺に入れて出荷し、飲むときに茶臼で挽いて粉末にした。宇治から将軍へ献上するために江戸へ茶壺を運搬する行事は「御茶壺道中」と呼ばれ、茶壺を運ぶ行列が通る際には諸大名も道を開けなければならなかった。

明治時代になると、それまで覆下栽培のもとで碾茶の生産を独占していた宇治の茶業者はその特権的地位を失った。また将軍家や諸大名といった取引先も失った。一方、覆下栽培は宇治以外でも可能となった。大正時代になると、碾茶乾燥機が発明され、製茶の機械化が進められた。

現在、日本における碾茶の生産量は、一位が鹿児島、ニ位が京都、三位が静岡となっている[48]。近年は、愛知県西尾市の業者が中国で技術指導する等して栽培技術が流出し[49] 、中国でも碾茶の栽培が進んでおり、生産量で日本を凌駕するまでに至っている。


注釈

  1. ^ 「var. sinensis」の訳は「中国種」である[12]
  2. ^ buds and shootsの訳は文献[13]に従った。
  3. ^ 「所誉茶徳之書」が『喫茶養生記』であったと見られている。
  4. ^ 『喫茶養生記』には、茶葉を杵臼でつく工程が書かれていないため、団茶(餅茶)とは断定できないとする意見もある[28]
  5. ^ a b 火入れによる乾燥[73]

出典

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