川原ひろし 来歴

川原ひろし

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/14 08:48 UTC 版)

来歴

生い立ち

福岡県福岡市博多区生まれ。

貿易会社を経営する父義充、母京子との長男として、博多区冷泉町に生まれる。祖父の儀夫は、福岡でも名を馳せた投資家で、かなりの財を成したと言われる。また、大叔父(祖父の弟)は博多名物の辛子明太子考案開発者で「ふくや」の創業者・川原俊夫[1]、父は貿易関係の経営者であった[1]。母方が芸術系の家系であったこともあり、4歳から福岡クラシック音楽の名門福岡音楽学院附属幼稚園に入園。 入園当初、ヴァイオリンを習っていたが、ヴァイオリンの先生が父兄と教育方針で対立、ピアノ声楽に転向、小学校高学年まで通っていた。またこの頃からラーメンが大好きで、お年玉や小遣いを貯めては小学生ながら一人でラーメン屋まで出かけていた。福岡市立当仁小学校卒業後大阪府寝屋川市香里園にいた親戚に預けられていたが中学2年の時、福岡の福岡市立当仁中学校、3年生からは福岡市立高宮中学校に戻っている。大阪の時代に歌手にも憧れを持つようになり、最初に夢中になったのは西城秀樹[1]。「ちぎれた愛」が大好きで、幼い頃から声楽を学んでいたこともあって歌が上手く、人前で色々と披露することが大好きで、小学校のとき先生に頼み、授業の1時間を"川原ひろしショー"にしたことがある[1]。 中学生に入るとアコースティックギターを始めて吉田拓郎井上陽水をコピーしたり作曲もするようになる。[1]。当時ギターをやれば女性によくもて、自身もよくもてたという[1]高校に進学するとロックに夢中になり、ディープパープルリッチー・ブラックモアが好きで、将来はロックギタリストになりたいと腕を磨いたが[1]卒業寸前になり、やはりクラシック音楽の魅力には勝てないと、ピアノを猛練習、オペラ歌手を目指すようになる[2]

歌手デビューと漫才

一年間浪人した後[1]、一時期は、オペラ歌手に憧れ音大を目指したこともあったが、断念。幼い頃から親戚づきあいしていたバーニングプロダクション所属第一号歌手(タレント)であり、レコード大賞新人賞の本郷直樹を頼り、歌手を目指し上京。たまたま雑誌に掲載されていた作曲家の募集に応募したことがきっかけで東芝レコードから「打碁一代」という曲で作曲家としてデビューした。作曲家デビューとはいえ、嬉しくて博多で行われた同窓会でしかし自分で歌を歌いたいということで、両親がシャンソン、旦木が好きだった影響もあってか、シャンソンタンゴ歌手として活動する。作曲家デビューした際のプロデューサーが、日本シャンソン界の殿堂でもある銀パリのプロデューサーでもあったこともあって、銀巴里ステージにも立つ。 居酒屋で父の大学の時の友人の講談師神田勢山と飲むことになり、昭和の大御所漫才師Wけんじが前座歌手を探していると聞いて紹介を受け、その場で弟子として共に行動するようになる[1]。そのかたわら司会やお笑いにも興味を持ち、漫才コンビを組んだ後、漫談家になったこともある。また、春日八郎和田弘とマヒナスターズ、[[]]等の司会など、歌以外の仕事も受けていた[3]。店を出すまでの3年間はWけんじと行動をともにした[1]

なんでんかんでん開業

上京してうどんのつゆの黒さとラーメンの違い、特に東京に「とんこつラーメン」が無かったことに驚いたこと、川原は、師匠宮城けんじの応援もあり「博多ラーメン」を修得するためにいったん帰省、主に実家の台所で研究を重ねていた。再上京し1987年7月、東京都世田谷区の幹線道路・環七通り沿いにとんこつラーメン店、『なんでんかんでん』を開業、5年後には日商120万円を超える日も出るほどの繁盛店となった。“なんでんかんでん”の成功をきっかけにこれまで若者が敬遠しがちだったラーメンもトレンディーなビジネスとなった。2009年 文化の日、ラーメンを日本の文化にした功績が認められ、【東久邇宮文化褒賞】受賞。 川原自身も、2001年に放送が開始されたテレビのバラエティ番組マネーの虎』(日本テレビ系列)に投資家として出演したことがきっかけでブレイク、独特のキャラクターで多くのテレビ出演をこなすなど、タレント活動も平行して行った[2]。2003年にはミュージシャン氏神一番とともに音楽バンド「ラーメンロック」を結成、2003年6月4日には同名のCDを発売[4]、日本テレビ歌スタ!!のオープニングソングなど、多くのテレビ挿入歌も歌っている。

全店閉店と再オープン

2015年までに全てのなんでんかんでん店舗が閉店した[5][6] が、2018年9月に高円寺に店舗を再オープンしている[7]。2019年11月に高円寺店を閉店して2020年2月に渋谷へ移転したが[8]、渋谷店はコロナ禍のため2020年6月に閉店した[8]


  1. ^ a b c d e f g h i j 東京スポーツ連載『ラーメンブームを作った男「なんでんかんでん」川原ひろし〈3〉』2007年7月5日分。
  2. ^ a b “【飲食の戦士たち〜プロフェッショナルたちの仕事(じんせい)論】in-職hyper特別コラム 第316回 なんでんかんでん 代表取締役社長 川原ひろし氏”. in-職hyper. (2012年9月15日). http://in-shoku.info/foodfighters/vol316.html 2016年1月10日閲覧。 
  3. ^ “7/4発売「博多豚骨ラーメンなんでんかんでん」 レポート3「期間限定ラーメン開発レポート」”. らあめん花月嵐. (2012年7月28日). http://www.kagetsu.co.jp/menu/report/nandenkanden/report_3.html 2016年1月10日閲覧。 
  4. ^ 発売元はウォーブル・レコーズ(有限会社ウォーブル、東京都中央区
  5. ^ “とんこつブーム立役者「なんでんかんでん」本店閉店”. 東京スポーツ. (2012年11月5日). https://web.archive.org/web/20130113025004/http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/52798/ 2016年1月10日閲覧。 
  6. ^ “あの人はいま【お騒がせ編】船場吉兆ささやき女将、野々村"号泣"県議、なんでんかんでん社長、ボディコン女王…… 新春特別企画 賢者の知”. 現代ビジネス. (2016年1月4日). https://gendai.media/articles/-/47105?page=2 2016年1月10日閲覧。 
  7. ^ 「なんでんかんでん」6年ぶり復活”. www.asahi.com (2018年9月3日). 2018年9月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月4日閲覧。
  8. ^ a b なんでんかんでん川原ひろし社長 コロナ直撃も悲壮感なし”. 日刊ゲンダイDIGITAL (2021年5月5日). 2023年10月27日閲覧。
  9. ^ なんでんかんでん伝説
  10. ^ “なんでんかんでん閉店理由を川原ひろし社長が語る布教活動は役割を終えたかな。「働く女性の知的向上心に応えるウェブマガジンVita」”. http://vita.yokohama/nandenkanden= 


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