岐阜護國神社 歴史

岐阜護國神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/14 19:40 UTC 版)

歴史

鳥居から本殿を望む
狛犬

岐阜県内には、1870年明治3年)に大垣城内に大垣招魂社(後の濃飛護國神社)、1909年(明治42年)に高山城址に飛騨招魂社(後の飛騨護國神社)が創建されていたが、岐阜市ほか10郡には招魂社がなかった。日露戦争後の1908年(明治41年)、岐阜市郊外稲葉郡北長森村(現・岐阜市野一色)に陸軍歩兵第68聯隊が設置され、1917年大正6年)に稲葉郡那加村(現・各務原市)に陸軍各務原飛行場が開設されると、当地出身の英霊を祀る招魂社建立の機運が高まった。1918年(大正7年)に歩兵第68聯隊は岐阜県知事市町村長及び在郷軍人などの有志と共に招魂社の創建を企画したが実現しなかった[1]

1937年昭和12年)の支那事変勃発に伴い、1939年(昭和14年)3月10日に2市10郡209ケ村の代表者が内務省へ創立を出願し、内務大臣から創立許可を受けた。翌1940年(昭和15年)11月に社殿が竣工、同19日に鎮座の儀、翌20日に幣帛供進の儀が執り行われて創建された[1]。なお、1939年(昭和14年)4月1日に施行された「招魂社ヲ護國神社ト改称スルノ件」(昭和14年3月15日内務省令第12號)により、招魂社は護國神社と名称が改められていたので、創建当初から「岐阜護國神社」と称し、内務大臣指定護国神社に指定された[2]

第二次世界大戦後の一時期は美濃御霊神社と改称していたが、主権回復後は元の名に復した。1952年(昭和27年)10月に岐阜県神社庁より県神社庁長参向指定神社(金幣社)の指定を受ける。1962年(昭和37年)に昭和天皇香淳皇后による御親拝が行われている[1]1995年平成7年)には終戦50周年記念事業として拝殿(外拝殿)が竣工している。


  1. ^ a b c 神社について、岐阜護國神社
  2. ^ 「護國神社指定」(昭和15年11月7日内務省告示第582號)
  3. ^ クローズ・アップ ぎふ経済 経営戦略の転換に本腰”. 岐阜新聞 (2007年12月1日). 2011年11月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月24日閲覧。
  4. ^ 長良川(伊自良川含む) 重点区間と要注意区間 拡大図A国土交通省中部地方整備局 木曽川上流河川事務所
  5. ^ 刀[かたな]銘近江守源久道[めいおおみのかみみなもとのひさみち]”. 岐阜県庁文化伝承課 (2022年3月4日). 2023年6月19日閲覧。


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