国府祭
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脚注
参考文献
- 西角井正慶 編 『年中行事辞典』 東京堂 1958年5月
- 蘆田伊人 編 『大日本地誌大系15 新編相模国風土記稿 第2巻』 雄山閣 1962年9月
- 蘆田伊人 編 『大日本地誌大系17 新編相模国風土記稿 第3巻』 雄山閣 1962年9月
- 文化庁 田中英機 監修 『日本の奇祭』 有朋舎 1983年7月
- 谷川健一 編 『日本の神々 -神社と聖地- 11 関東』 白水社 1984年12月
- 神祇院 編 『官國幣社特殊神事調』 国書刊行会 1988年7月
- 中世諸国一宮制研究会編 『中世諸国一宮制の基礎的研究』 岩田書院 2000年2月
- 齋藤盛之『一宮ノオト』 思文閣出版 2002年12月
- 薗田稔 高橋政宣 編 『神道史大辞典』 吉川弘文館 2004年7月
- 星野紘 芳賀日出男 監修 社団法人全日本郷土芸能協会 編 『日本の祭り文化事典』東京書籍 2006年7月
- 加藤友康 高埜利彦 長沢利明 山田邦明 編 『年中行事大辞典』 吉川弘文館 2009年3月
関連項目
外部リンク
- 相模国府祭・くしまつり(六所神社のサイト)
- 相模国府祭(さがみこうのまち)(大磯町観光協会:イソタビドットコム)
- 一千年の祈りを紡ぐ 相模(さがみ)国府(こうの)祭(まち)(ダイドー祭りドットコム)
- 平塚八幡宮のサイト
注釈
- ^ または小字高天原(こあざたかまのはら)とも。(『相模国府祭』の御由緒(総社六所神社内 相模国府祭類社会)より)
- ^ a b 「一宮」から「五宮」までの表記は Wikipedia 一宮 の記事名にあわせて統一した。また、平塚八幡宮は『新編相模国風土記稿 巻之48』平塚新宿の八幡社の項に「當社は當国第五の宮(古より八幡宮と称して、五宮の唱はなし、・・・)」とあるように[2]、相模国第五格の神社と認識されてはいたが、平塚八幡宮は「五宮」を自称しなかった。現在の平塚八幡宮も同様と思われるが、本記事では説明を分かり易くするため、五宮・平塚八幡宮としている(ノート:国府祭も参照のこと)。
- ^ 国府祭を行う日が5月5日に改められた弘安5年以降のこと。(『相模国府祭』の御由緒(総社六所神社内 相模国府祭類社会)より)
- ^ 神集山(かみそろいやま)とも言われる。(神揃山の位置はgoogleマップ参照)
- ^ 「逢親場」や「王家場」とも表記される。『新編相模国風土記稿 巻之40』では、六所神社の神輿が向かうのは高天原と称する場所、と述べている。(大矢場の位置はgoogleマップ参照)
- ^ 「また明年まで」と言う場合もある。
- ^ 「師長」とも表記する。
出典
[前の解説]
- 国府祭のページへのリンク