シカゴ (バンド) 来歴

シカゴ (バンド)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/26 19:14 UTC 版)

来歴

1967年2月15日にウォルター・パラゼイダー (Woodwinds)、ロバート・ラム (Vo,Key)、テリー・キャス (Vo,G)、ジェイムズ・パンコウ (Tb)、リー・ロックネイン (Tp)、ダニー・セラフィン (Dr)により結成[2]。当時のバンド名は「ビッグ・シング」[3]

1969年にジェイムズ・ウィリアム・ガルシオのプロデュースにより「シカゴ・トランジット・オーソリティ」としてコロムビア・レコードからデビュー。4月、アルバム『シカゴの軌跡』を発売し、Billboard 200で最高位17位を獲得[4]

1970年1月、シカゴ交通局からの苦情により現在の「シカゴ」へとバンド名を変更し[5]、『シカゴと23の誓い (シカゴⅡ)』を発売。アルバムからはシングル『長い夜』がヒットした。また、アルバムには「ぼくらに微笑みを英語版[注釈 1]」「クエスチョンズ67/68英語版」、「ビギニングス英語版」、「いったい現実を把握している者はいるだろうか?英語版」などの曲が収録された[6]

1971年1月には『シカゴIII』を発売し、全米2位を獲得[4]。11月にはライブ・アルバムである『シカゴ・アット・カーネギー・ホール』を発売し、全米3位を獲得[4]。続く1972年7月には『シカゴV』から「サタデイ・イン・ザ・パーク」、「ダイアログ (パート1 & 2)英語版」がヒットし、バンド史上初の全米1位を獲得した。また、同年の大統領選挙ではポール・サイモンらとともに反戦候補のジョージ・マクガヴァンを熱心に支援するなど、当時は政治的な歌詞を持つ曲が多かったが、徐々にその特徴は影を潜めた。

1973年6月、ロッキー山脈にスタジオを変え、『遙かなる亜米利加』を発売。アルバムからは「愛のきずな英語版」「君とふたりで英語版」などがヒットした。なお、ロッキー山脈で活動する姿はアメリカのテレビ番組「シカゴ・イン・ザ・ロッキーズ」として記録されており、その一部分は後のドキュメンタリー映画などにも使用されている。

1974年3月には『シカゴⅦ 市俄古への長い道』を発売するが、その内容はジャズやラテン音楽を意識したものになっており、従来の音楽性を望む声も多かった。翌1975年3月には『シカゴⅧ 未だ見ぬアメリカ』を発売、「オールド・デイズ英語版」などの楽曲で従来のシカゴらしいブラス・ロックを復活させたが、同アルバムからAOR、ポップス路線へと移行し始め、1976年6月には『シカゴX カリブの旋風英語版』からラブ・バラードである「愛ある別れ」が大ヒット、全米ナンバーワンを記録するが、バンドのリーダーであるテリー・キャスロバート・ラムはこのような音楽性に反対した。

1977年9月、アルバム『シカゴXI英語版』を発表し、シングル「朝もやの二人」がヒットした[7]。ポップス路線の楽曲に加え、従来のシカゴらしいナンバーや社会風刺が再び取り入れられたが、デビューから活動を共にしてきたプロデューサーのガルシオを、金銭問題により解雇せざるを得なくなった。また翌1978年1月にはテリー・キャスが拳銃暴発事故(自動式拳銃の薬室に残った弾丸の誤発射)によって死亡してしまい、バンドは低迷期に突入することになる。なお、キャスの死後、バンドは解散や改名を考えたというが、リーダーを新しく立てずにシカゴとして活動再開を決意する。

1978年9月、ギターに新しくドニー・デイカスが起用され、キャスの死後初となるアルバム『ホット・ストリート英語版』を発売。しかし音楽性がディスコ・ミュージックに移行したとして評論家から批判され、1979年8月の『シカゴ13英語版』、1980年7月のトム・ダウドプロデュースによる『シカゴXIV英語版』も共に失敗に終わる。

1980年代に入ると、フル・ムーン (WEA系) に移籍。セラフィンの友人であったビル・チャンプリンの紹介によりデイヴィッド・フォスターをプロデューサーに迎え、1982年5月には『ラヴ・ミー・トゥモロウ (シカゴ16)』から「素直になれなくて (Hard to Say I'm Sorry)」(1982年ビルボード年間12位)、続く1984年5月の『シカゴ17英語版』からは「君こそすべて英語版」など、ラブ・バラード路線の楽曲が大ヒットを記録し、再ブレイクを果たした。

1985年、バンドの顔であったセテラが、ソロ活動に専念するため脱退。新ボーカリストのジェイソン・シェフが加入するものの、フォスターによる主導は続き、1986年9月の『シカゴ18』、1988年6月の『シカゴ19』も共にラブ・バラード、AOR路線でヒットを記録するが、遂にメンバーは不満によりフォスターを解雇する。

1991年1月、新しくプロデューサーを迎え21作目のアルバム『シカゴ21英語版』を発売。しかし売り上げが低迷したことからバンドとレコード会社の関係が悪化し、『シカゴ22』として製作された次作『ストーン・オブ・シシファス英語版』はレコード会社の希望する路線と異なっていたことから、アルバム発売が中止されてしまう(2008年5月6日放送『ベストヒットUSA』での、ロックネインとパンコウの発言より)[出典無効]。これがきっかけとなり、バンドはジャイアント・レコードへ移籍。1995年5月にはビッグバンド・ジャズのカヴァー集であるアルバム『ナイト・アンド・デイ〜ビッグ・バンド』を発売した。

1998年8月、初のホリデイ・アルバム『シカゴ25〜クリスマス・アルバム〜』を発売。プロモーション活動も精力的に行い、同時期のベスト・アルバム数枚も大ヒットを記録した。

2004年、アース・ウィンド・アンド・ファイアーとのジョイント・コンサートを開催し、成功を収める。ロバート・ラムは後にこのコンサートを「近年では一番好きなライブ」と語っている。

2006年3月、ジェイ・ディマーカスをプロデューサーに迎え、15年ぶりのオリジナル・アルバムである『シカゴXXX』を発売。また、2008年6月には、かねてからお蔵入りとなっていた『シカゴ22』が『シカゴ32 ストーン・オブ・シシファス』としてリマスターされ発売された。

2014年7月、8年ぶりのオリジナル・アルバムである『シカゴ36"NOW"』を発売。

2016年4月、ロックの殿堂入りを果たした[8]。授賞式でのパフォーマンスでは「サタデイ・イン・ザ・パーク」「いったい現実を把握している者はいるだろうか?」「長い夜」の三曲を披露し、元ドラマーのセラフィンも演奏に参加した。同じく元メインボーカリストのセテラも式典でプレイしたいと発言していたが、ラム曰く、自分のバンドの楽曲を演奏したがっていたこと、「長い夜」のキーをAからEに下げたがっていたこと(ブラスがあるためこのような大きなキーチェンジは難しかった)などの理由でバンド側との話し合いが決裂し、式典に出席することはなかった。

2017年1月1日、米CNNにおいて2013年に撮影されたシカゴのドキュメンタリー映画『ザ・ヒストリー・オブ・シカゴ ナウ・モア・ザン・エヴァー』が公開され、後に海外でDVDも発売された(日本では2022年2月に発売予定である)。また、同年にはラム、パンコウ、セテラがソングライターの殿堂入りを果たした。

2018年からメンバーが大きく入れ替わり、新型コロナウイルスの影響でライブ活動がストップしたものの、現在ではツアーを精力的に行い、ラムは2022年の1月〜4月の間にニュー・アルバム『シカゴ38』の発売を公言している。


注釈

  1. ^ 日本では1972年にヒットした。
  2. ^ 元々は2009年9月16日 中京大学文化市民会館、19,20日 東京国際フォーラム、22日 神戸国際会館こくさいホールで公演予定だったが、ロバート・ラムの直前の怪我の為に振替となった。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o Ruhlmann, William. Chicago Biography, Songs & Albums - オールミュージック. 2021年12月28日閲覧。
  2. ^ Seraphine 2011, pp. 29–49.
  3. ^ Ruhlmann 1991, p. 1.
  4. ^ a b c Chicago Chart History (Billboard 200)”. Billboard. Billboard Media. 2021年12月28日閲覧。
  5. ^ Ruhlmann 1991, p. 3.
  6. ^ Chicago II Allmusic 2023年4月12日閲覧
  7. ^ Chicago XI Allmusic 2023年4月12日閲覧
  8. ^ Greene, Andy (2016年4月13日). “2016年『ロックの殿堂』セレモニー総括:N.W.A.、チープ・トリック・ディープ・パープルが受賞”. Rolling Stone Japan. CCCミュージック・ラボ. 2021年12月28日閲覧。
  9. ^ BILL CHAMPLIN COMES FULL CIRCLE, LEAVING HERITAGE ROCK BAND CHICAGO TO RETURN TO HIS SOLO CAREER”. Bill Champlin Official Website (2009年8月10日). 2009年8月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月30日閲覧。
  10. ^ Price, Robert (10 August 2017). "Chicago feeling 50 years young". New Jersey Herald (Interview). 2017年8月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月28日閲覧
  11. ^ Chicago – Awards: AllMusic”. AllMusic. Rovi Corporation. 2016年7月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月7日閲覧。
  12. ^ a b c 日本国内盤未発売





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